今でも夢に見ることがある――。
一日のうちほとんどを布団の中で過ごしていたヒー婆(曾祖母)がいた。機嫌の良いときは、枕もとの布団の下にしまってある財布から小遣いをくれたり、セロハンの袋の中の氷砂糖をくれたりした。
ある日、氷砂糖をねだろうと、ヒー婆の枕もとへ行くと、すやすやとよく眠っている。一つくらいならええやろ・・・。私は、布団をそっとめくり、角砂糖の袋を引っ張り出した。その時、セロハンの音がパリッと鳴った。同時に、ヒー婆の目がパチリと開いた。日頃はニコニコと笑っている目が、鬼のようにつりあがっていったく。私は、恐ろしくなって逃げた。ヒー婆は、すくっと起き上がり、傍にあった和裁で使う1尺8寸5分(約70.3cm)の竹尺を手に持って、逃げる私を追いかけてきた。
私は庭に飛び出す。ヒー婆は人食い婆のごとき形相で、寝巻の裾をかき乱して追いかけてくる。そして、家の裏に祀ってあるお稲荷さんの祠の前に私を追い詰めた。しゃがんで小さくなっている私に、ヒー婆は、「お稲荷さんに謝れ。謝れへんかったら、これじゃぞ!」と竹尺を振り上げた。
ここで、たいがい目が覚める――。
幼いころの罪悪感。小さな罪悪感をいくつも経験して、子どもは大人になっていく。
私が小学校2年生の冬、ヒー婆が亡くなった。九十歳をこえていた。
我が家は門徒(浄土真宗)で、四十九日の忌明けまで、毎夜、親戚や近所の人が集まってお勤めをするのが慣わしだった。坊さんは来ずに、お参りに来た人が代わるがわる導師をつとめて、「正信偈」というお経を皆で唱和する。
その日は、一杯ひっかけて来たのか、ご機嫌の春やんが「今日は、わしがやるわ」と導師をつとめた。仏壇の前に座り、チーン、チーンと鐘を鳴らして、「キミョームリョウジュニョウラーイ、ナームフカシーギーコー、ホーゾーボーサツインニンジー、ザイセージーザイオーブッショー・・・」と経を読みだした。
読むというより唄うといった方がよい。まだ、ろくに漢字の読めなかった私には演歌のようにしか聞こえなかった。実際、導師をつとめる人によって、村田英雄調であったり三波治夫調であったり、微妙に節がちがった。唄い終わるまで20分前後はかかった。お勤めが終わると、お茶が出て、しばし賑わった後、夜のことゆえ、「ほな、お疲れやろうから」と一人、二人と帰って行って、仏間はシーンと静まりかえった。
しかし、その日は、オトンと春やん、他にオッサンが三、四人残っていて、話がはずんだ。
――帰命無量寿如来南無不可思議光法蔵菩薩因位時在世自在王仏所――
毎夜、勤めているお経の意味はなんなのだうと言う話だった。結局、詳しく説明できる人は誰もなく、「ナマンダブと言うてたら極楽へ行けるんや」で終わった。しかし、そのあとで、春やんが、出荷組合(野菜を共同で出荷する村ごとの集まり)の秋旅行で行く、出雲大社の話をし出して、変わったお経を唱えた。
――たまものしずし、いずもびとまつるまたねのうましかがみ、おしはふるおんかみ、そこたからみたからのぬし、やまかわのみくくるみたま、しずかけるうましおおかみ、そこたからみたからのぬしなり (玉菨鎭石出雲人祭眞種之甘美鏡押羽振甘美御神底寶御寶主山河之水泳御魂靜挂甘美御神底寶御寶主也)――
「おい、皆、知ってるか? このお経の解釈によっては、喜志の宮さん(美具久留御魂神社)は、縁結びで有名な出雲大社と同じくらいに大きな神社なんやで!」
春やんは、そう言って、話を続けたのだが、私は、ここで、眠ってしまった。
【補筆】
ヒー婆の十七回忌の法事がありました。私は大学生になっていました。その法事の仕上げ(食事)のとき、年老いた春やんの席に酒を次に行き、小学生のときに眠気眼で聞いた「玉菨鎭石(たまもしずし)」のお経の意味をたずねました。やせ衰えて、しゃべることが億劫になっていたのか、老体に酔いがまわっていたのでしょうか、ごくかいつまんだ説明でした。わかったのは、あれはお経ではなく、神さんからのお告げ(神託)だということだけでした。春やんも気にかかっていたのでしょう。二、三日後、新聞のチラシの裏にメモしたものを持って、説明に来てくれました。以下は、そのメモをもとにまとめたものです。
◆喜志の宮さん(美具久留御魂神社)の社伝に、――崇神天皇の十年、支子の茅原(かやはら=喜志の古名)に大蛇が多く出没し、人々はとても恐れたので、天皇は自ら御幣を捧げて支子の森にお上りになり、大蛇の巣窟(すみか)をご覧になって、「これは大国主神の荒ぶる御魂のせいだ。ねんごろろにおまつりせよ」とおっしゃって、まつらせられた――とある。
大蛇というのは、河の反乱、水害のことで、崇神天皇が喜志あたりの水害を治め、その災いを起こした大国主神(大国主命)の荒魂を祭神として、喜志の宮さんにまつらさせたということだ。
第十代崇神天皇は実在した可能性がある最初の天皇で、夢枕に現れた大物主神(一説に大国主神の和魂)のお告げに従い、大物主神の子の大多田根子を河内の国から探し出して、本拠地の奈良県桜井市に、大物主神をまつらせている。現在の大神神社(三輪神社)である。
「荒ぶる御魂」とは、 神にも人間と同じく、荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)の善悪二つの側面があり、疫病や天変地異は荒魂の怒りが影響したもので、逆に、天地の恵みや人の幸福は和魂によるものという古代の考え方である。そこで、人々は荒魂を鎮めまつり、和魂を敬いまつった。つまり、
喜志の宮 = 大国主神の荒魂を鎮めまつる
三輪神社 = 大国主神の和魂を敬いまつる
ということになる。「その四」で述べた「東西対称」がここにもある。
◆ここからが、春やんが言った「おい、皆、知ってるか? このお経の解釈によっては、喜志の宮さん(美具久留御魂神社)は、縁結びで有名な出雲大社と同じくらいに大きな神社なんやで!」の本題になる。
社伝は次のように続く ――丹波国の氷上の氷香戸辺の幼児が神がかりをし、「玉菨鎭石。出雲人祭、眞種之甘美鏡。押羽振甘美御神、底寶御寶主。山河之水泳御魂。靜挂甘美御神、底寶御寶主也」と神託(お告げ)があった。それを地方官が、皇太子(のちの垂仁天皇)に報告したのを、天皇がお聞きになって、家来をを遣わして河内国支子に祀らせ、美具久留御魂神社と御名を称え祀られた。
このお告げは、出雲大神は大国主命であり、大国主命は山河を泳ぎ渡ってきた和爾神(龍神)であり、水泳御魂大神(ミククルミタマノオオカミ)である」と、美具久留御魂大神のご神体を明らかにされたのである――。
子どもが神かがかりして言った神託を理解するためには、日本書紀にある次の話を頭に入れておく必要がある。
――大和をほぼ統一した崇神天皇が、「武日照命が天から持参した出雲大社に収めてある神宝を見たい」とおっしゃって、家来を出雲に遣わされた。この時、神宝を管理していた出雲のフルネというのが筑紫国に行って留守だったので、弟のイイイリネが自分の判断で神宝を天皇に奉った。
筑紫から帰ってこれを知ったフルネは、「自分の帰国を待たずに神宝を勝手に献上するとは何事だ」と弟を責めた。その怒りは数年たっても収まらず、ついに謀略で弟を殺してしまう。
「このごろ、止屋(やむや)の淵に菨(あさざ)が生い茂っているそうだ。一緒に見に行かないか」
そう言って、弟を誘い出した。淵のほとりに着いて、兄が弟に、
「なんと清らかな水だ。どうだ、一緒に水浴びをしないか?」
そう言って、二人で水浴びをした。兄は先に陸にあがって、弟の刀を、あらかじめ自分の刀とそっくりに作っておいた木刀とすりかえた。そして、弟が陸に上がったのをみはからい、弟の刀を抜いて切りかかった。弟はびっくりして、兄の刀を手にとったものの、木刀である。抜くに抜けず、とうとう、弟のイイイリネは、兄のフルネに斬り殺されてしまった。
イイイリネの弟と子供は、このことを朝廷に訴えた。それを知った天皇は、軍隊を出してフルネを討伐した。それ以後、出雲の人たちはは朝廷の怒りを恐れて、出雲大神(大国主神)をまつらなくなった――。
出雲の神宝は崇神天皇の手にある。そこへ丹波の国の子どもに例の神託(神のお告げ)がある。――玉菨鎭石出雲人祭眞種之甘美鏡押羽振甘美御神底寶御寶主山河之水泳御魂靜挂甘美御神底寶御寶主也――。
『日本書紀』には、これを聞いた崇神天皇は「則勅之使祭(則ち之に勅して祭らしむ=すぐに皇太子に勅命をだしてまつらせた)」とある。どこに神宝をまつらせたのかは書かれていない。丹波国の氷上の氷香戸辺の幼児の神託の解釈がカギになる。
◆江戸時代の本居宣長は「すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以って、出雲臣これをまつるべしとなり」と解釈している。しかし、社殿の解釈は「このお告げは、出雲大神は大国主命であり、大国主命は山河を泳ぎ渡ってきた和爾神(龍神)であり、水泳御魂大神(ミククルミタマノオオカミ)であると、美具久留御魂大神のご神体を明らかにされたのである」とまったく逆の解釈である。
多くの学者は、本居宣長の解釈にしたがって、冒頭の「玉菨鎭石出雲人祭眞種之甘美鏡」を、「玉のごとく美しい菨(藻)の中に鎮む石を、出雲人よ祭れ。本来の美しき鏡を」としている。しかし、これは日本語の語順で読んだ解釈である。
春やんは「日本書紀は漢文で書かれてる。漢文の語順で読まんと、ほんまの意味はわからん!」と断言した。漢文の文法は「S+V+О+C」、つまり「主語+述語+目的語+補語」で、述語が前にくる。レ点や一二点の返り点をつけて読むのはそのためだ。「SはОをCに(~て・~より)Vする(Vだ)」と訓読みする。春やんのメモは、漢文で読んだものだった。
これを漢文読みすると、
玉菨鎭石なる出雲人、眞種之甘美鏡を祭る。
押羽振甘美御神こそ山河之水泳御魂によって底寶の御寶の主なり。
靜挂甘美御神こそ底寶の御寶の主也。
となり、「水を制御できる力をもった神(山河之水泳御魂)が、神宝の主だ」ということになる。
春やんのもう一つのメモは、
★
大胆にも、一行目の後に、逆接の接続詞「しかし」を入れている。漢文では、文脈から逆接の接続詞を入れることは多々あるという。漢文読みすると、
玉菨鎭石なる出雲人、眞種之甘美鏡を祭れども、
押羽振甘美御神なる底寶の御寶の主こそ河之水泳御魂なり。
靜挂甘美御神こそ底寶の御寶の主也。
となり、「勢いがあるだけではなく、世の中を静かめる力をもった、美具久留御魂の大神が神宝の主だ」ということになる。
※社伝は「押羽振甘美御神=靜挂甘美御神(大国主神)=山河之水泳御魂(和爾神)」としている。
美具久留御魂神社の社号の古くは、和邇宮(わにのみや)・河内大社ともいった。神社参拝の作法は「二礼二拍手一礼」が一般的だが、美具久留御魂神社は「「二礼四拍手一礼」で、出雲大社と同じである。
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