河内国喜志村覚え書き帖

歴史34 昭和――春やん恋しぐれ①

大学2年生の長い夏休みだった。アルバイトはしていなかった。
その代わり、朝8時半ごろ家を出て阿倍野に行く。
阿倍野筋の旭屋書店の下にあるパチンコ屋がアルバイトのようなものだった。
10時の開店前に並んでいると高校の同級生が、たいがい五、六人いた。
パチプロのエーちゃんというのがいて、ハンカチを預ける。
ドアが開いて軍艦マーチがけたたましく鳴る中を台探し。エーちゃんが目ぼしい台を見つけて、預けたハンカチを台の上に置いてくれる。
まだ一発ずつはじいて打つ手打ちの時代だった。

一時間半ほどすると1500発で終了になる。一発2円の頃だったので3000円だが、2割引かれて2500円前後。
二台目に挑戦している途中に食事時。「食事中」の札を貼ってもらって皆で昼食。
豪華にいくならKYKの豚カツ定食350円。
腹いっぱいならアポロの下の熊五郎でラーメン・ライス280円。
あるいは路地裏の眠眠でチャーハン・餃子250円。
質素にいくなら隣の立ち食いで狐うどん150円だった。

二台目を終了し、「打ち止めや、兄ちゃん出ていって!」と店員に言われて、旭通りのパチンコ屋へ。
ここはそこそこ出るのだが、なかなか終了させてくれないので1000円も勝てばサヨウナラ。
天王寺西口のパチンコ屋へ戦場を替えて戦い開始。
ここで終了すれば駅前商店街のアラスカ(喫茶店)で、ウインナーコーヒー250円なりで本日の打ち止めとなった。
これがパチンコ仲間のおおよその一日のコースだった。
アルバイトの時間給が550円の時代だったから、それに見合う収入はあった。

ある日、アラスカでコーヒーを飲んでいるとき、エーちゃんが、
「今晩、俺のアパートに泊まりにけえへんか?」と言う。
理由を聞くと、福井県からエレキバンドを目指してやって来たTという男と知り合って、住むところが決まるまで泊めてやっているのだった。
それで、男二人だけでは話がもたないので泊まりにきてくれということだった。
ならばというので、私とFがエーちゃんのアパートに泊まりにいくことになった。
それなら夕食は豪華にすき焼きでもしようということになって、近鉄百貨店の地下で肉と野菜を買ってアパートに向かった。
環状線で新今宮に行き、阪堺線に乗り換えて三つほど駅を過ぎた聖天坂で降りた。
後に、これが春やんとの意外な接点につながることになる。

②につづく


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