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良い樹、悪い樹

2006-02-18 21:00:48 | 日記・エッセイ・コラム

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カンボジアからバンコク経由で成田に帰ってきた。プノンペン発のTG(タイ航空)が遅れた結果バンコクでの乗り継ぎ時間が30分しかなく、広いドンムアン空港を小走りに走った。

トランジットの荷物を載せ替える時間が無かったらしく、成田のバゲジクレームでは預けた荷物を受け取れなかった。次の便で着き次第、自宅へ託送してくれるとのこと。かえって楽になった。航空会社を代表してしきりに謝罪して廻る若い女性スタッフが健気であった。

空身で税関を通ってから、再度航空会社のスタッフに連絡に戻ろうとして税関の役人とトラブルになった。居丈高な役人の態度を咎めると、分が悪いと見た役人は、にわかに矛先を転じて、航空会社の女性スタッフを叱り始めた。

偉そうに虚勢を張って威張り散らす役人の醜さと、身に覚えの無い叱責にひたすら耐えて謙遜に謝罪を続ける女性スタッフの立派さとが対照的であった。

「良い樹は良い実を結び、悪い樹は悪い実を結ぶ」(マタイ7:17)


実に恵みによる

2006-02-17 00:52:43 | インポート

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セミナーの最終日となった。あっと言う間の一週間であった。充実した時がゆっくりと流れた。多くの出会いと発見があった。そして、そのほとんどが、予期せぬ「想定外」の事柄であった。

しかも、振り返ってみると、すべてが予め計画されていたかのように、美しくかつ理にかなって織り成されている。

格別に努めて準備したことと言えば、6ヶ月も前(820日)が締切りの教科書原稿(英文)の提出くらいである。急いでまとめたので、記憶が薄く、半年もすると何を書いたのか忘れてしまったほどである。あとは、今回のカンボジア出張のために、思い切ってソニーの軽量パソコン(VAIO)を購入したこと。これは極めて有効であった。

カンボジアの研修を進めながら、日本での仕事もこなすことができた。家族の協力があってのことではあるが、VAIOとインターネットのおかげである。実にすべてが「お蔭様」である。こちら側の計画や努力の結果でなく、あちら側の手配と配慮の賜物である。実に「恵みによりて」である。

「あなたがたの救われたのは恵みによる」(エフェソ書2:5


朝ごとに夕ごとに

2006-02-16 02:57:12 | 日記・エッセイ・コラム

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プノンペンのインターコンチネンタルホテルに滞在している。11階の南向きの部屋だ。部屋の南側が全面大きな窓になっていて、今の季節、この窓から日の出も日没もみることができる。

滞在型の旅行は良い。朝食後あわてて荷物のパックをしないで良いのだ。同ホテルの会議室で行われているセミナーの講義を終えて部屋に戻ると「ただいま」という気持ちになる。

朝出た時のまま部屋がちらかっているとホッとする。ルームサービスが入ってきれいに清掃・整頓されていたり、クリーニングを頼んだ服がロッカーの中にキチンとしまわれていたりするとハッとする。

モーバイルクリニック(巡回診療)などフィールドワーク型のボランティア活動は移動が多くて、「間接業務」だけで疲労困憊してしまう。その点、滞在型の活動は申し訳ない位に楽チンである。朝夕見慣れた窓外の景色も朝ごとに夕ごとに親しみ深くなってくる。

「神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」(エフェソ書2:10)


「歎き節」と「喜び組」

2006-02-15 03:02:18 | 日記・エッセイ・コラム

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カンボジア・グリーンテクノロジー研修の講義の合間に、カンボジア技術者協会(EICThe Engineering Institution of Cambodia)を表敬訪問し、ソクホン会長とプラック・ミン副会長の歓迎を受けた。

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内戦状態の終息からわずかに数年、まだまだ政情が安定せず若手技術者育成の環境が整わないことを嘆いておられた。しかし、事態は確実に改善されつつあり、若手の技術者の成長が見られ、指導者の「歎き節」の背後に明るい将来への期待がうかがえた。

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その晩、「平城冷麺」という名の北朝鮮レストランに案内された。多数の美人ウエイトレスが歌や踊りを披露してくれる。聞けば、「将軍様」専属の「喜び組」という踊り子グループのOGたちであるという。「平城冷麺」という名の「喜び組」卒業生がサービスするレストランが東南アジアの各地にあるとのこと。

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歌も踊りも給仕も笑顔で行ってはいるが、口元は笑顔でも眼差しがとても悲しげで、「喜び」とは裏腹に、自由を束縛された悲しみに満たされているようで、胸を突かれる思いがした。

「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる」(マタイ54


弱い時こそ強い

2006-02-14 16:41:17 | 日記・エッセイ・コラム

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日本技術士会カンボジアフォーラムから派遣されて、第3次グリーンテクノロジ研修の講師として、昨日からプノンペンで「情報応用」の講義を担当している。1週間の集中講義である。

「なんで私が?」と思った。現役を退いて20年になる。7倍速のドッグイヤーに換算すると140年に相当する。1世紀半も昔のローテク技術を指導しろと言うのだろうか?

25人の受講生はカンボジアえり抜きの技術エリートである。日本留学経験者(修士)のエンジニアも多数参加している。先端技術の解説よりも、研究開発失敗談を聞きたがる。技術史と技術哲学そして将来の技術予測に多大の関心と興味を示す。

英語もコンピュータ技術も苦手の方である。それが今は、引き受けて本当に良かったと(終わる前から)感謝している。「案ずるより産むが易し」である。「弱い」ことが良かったと思う。

「私は弱い時こそ強い」(コリント後書12:10)