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Win-Win関係

2006-02-23 03:05:21 | 日記・エッセイ・コラム

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一昨年洞谷丸遭難50周年記念(ディーン・リーパー師召天50周年記念)のピース・キャラバンを主宰したスティーブ・リーパー氏は「戦争文化と平和文化」というい印象深い講話をした。対人関係も国際関係も平和文化に立脚した友好関係を基礎としなければならない。http://www.xdos.com/peace

早大の加納貞彦教授は「Win-Win関係とWin-Lose関係」を語る。友好関係にあるビジネスは両者に利益をもたらす(Win-Win関係)が、敵対関係にあるビジネスでは一方の勝利は他方の敗北になる(Win-Lose関係)。

とかく敵対関係に陥りやすい対人関係や国際関係を友好関係に昇華する媒介は「受容」であり「愛」である。

エントロピーが増大するように、自然的人間関係では敵意が増大する。友好関係は努力して築かねばならない。ここに宗教の出番がある。

「互いに愛し合うなら、神の愛がわたしたちの内で全うされる」(ヨハネ第一の手紙4:12)


天動説

2006-02-22 03:25:39 | 日記・エッセイ・コラム

海外に出て気付くことの一つに日本の「天動説」がある。自分が確固不動の原点で、世界が自分を中心に回っているという思い込みである。

小泉政権の「外交音痴」もまさに天動説の所産であろう。自分の都合ばかり主張して周囲の事情を顧みようともしない。自分の言動で、海外で働く日本人がどれほど迷惑しているかということすら全く意識が及ばない。

1992年ブラジル・リオデジャネイロで、「持続可能な開発」をキーワードに地球環境問題と開発問題を取り上げた史上最大の国際会議「リオ地球サミット」が開催され、世界の耳目を集めていた折、日本のマスコミは連日、社会党党主おタカさんの「消費税反対」ばかりを大々的に報じていた。私は学生時代以来の社会党支持をやめることにした。

トリノオリンピックの報道に毎日失望落胆させられている。マスコミの前評判が大袈裟で「過大広告」になっている感がある。「競技の結果は選手の責任、自分の仕事は視聴率を上げること。視聴率さえ上がれば・・・」と何やら天動説の本音が聞こえてきそうな気がする。

「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」(ピリピ書2:4)


第一志望

2006-02-21 22:57:31 | 日記・エッセイ・コラム

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カンボジアの大学生の就職希望の第一位は「外国人のお抱え運転手」とのことである。

語学力と技術力が問われ、さらに、首都プノンペンの市街と人脈への「土地勘」が必要な「専門職」であるそうな。

ハイカラ・高収入・楽 と 3K(汚い、キツイ、苦しい)とは逆の仕事だからと説明されると、我が国でも全く同様の志望動機と頷(うなづ)かざるをえない。

技術指導に出かけて行く側としては、成長期の国のエリートとして、もう少し国家社会の将来像を構想して欲しいと願いたいところだが、所詮は現代の若者に無理な注文なのかもしれない。

「あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る」(ヨエル書2:28)


立地条件

2006-02-20 15:42:07 | 日記・エッセイ・コラム

人は死に方は選べるとしても、どこで生まれてくるかは選べない。自分が生まれた場、すなわち家族は、各自の人生にとって「所与」であり「立地条件」である。

立地条件が異なるから、人は個性的にならざるを得ない。それぞれ自分の人生を自分自身で生きねばならない。立地条件であるから家族構成もハンディキャップも各自の個性である。

立地条件は他と比べて文句を言ったり、もっと有利な条件に変えようと悪足掻きする前に、素直に「受容」するのが良い。

受容した上で、その条件で最善を尽くそうと努めることこそが「雄雄しく勇ましい生涯」(内村鑑三)である。

「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」(テモテ前書6:6)

cf)「立地条件」という言葉を聞いたのは40年前、平林照彬先輩からであった。佐藤陽二牧師からの「受け売り」とのことであった。


明日を思い煩うな

2006-02-19 19:46:42 | 日記・エッセイ・コラム

安息日である。朝、関東学院教会まで息子を送り、そのまま上大岡の姉を見舞う。(途中「ブレーメン」で焼きたてのパンを買ってゆく)

80歳前後の老々介護である。比較的具合の良い80代の夫が引き籠りの70代の妻を養っている。こんな生活をもう十数年続けている。

最近体調を崩し買い物にも不自由している。当然介護保険の対象と考えられるのだが、自分でトイレに行けるとか心の病は該当しないとか、杓子定規なお役所仕事では、なかなか条件をクリヤできない。

彼女は明日の心配をしない。だから食料の買い置きはない。必要な糧は誰かかだきっと運んできてくれると思っている。今日も当然のように、「何も食べるものが無かったのヨ~」とにこにこしていた。浮世離れの笑顔であった。

「明日のことまで思い悩むな」(マタイ6:34)