Cool Flame Blog

小物から大きなものまで。独自の視点で「より良いもの」を幅広く。タブレットPCから始まって拡張しました。

前に進め

2011-09-14 23:05:57 | People

世の中には、前向きな考え方の人間と、後ろ向きな考え方の人間とがいる。

何が違うのか考えてみた。後ろ向きの人間は、何を見ても、何を考えても、マイナスを思う。マイナスの部分を拾い集める。そして、結果として、保守的になる。保守のために戦う。保守のために他を攻撃する。

でも前向きな人間は、そもそも守ろうとするのではなく、進もうとする。何を見ても、何を考えても、プラスを思う。プラスの部分を拾い集める。結果として、前進的になる。前進するために戦う。道を作るために、マイナスの傾向に立ち向かう。


こう断言してしまうと友達を失うかもしれないが(というほどお友達はいませんが)、はっきり言っちゃいます。後ろ向きの人間と一緒にいると、疲れます。

自分はおそらく前向きでしょう。落ち込むことがあんまりないんですよ。失敗した~!って考えたことがないんです。他の人から見たら「それって明らかに失敗じゃない?」と思われるようなことでも、それを失敗だとは全然思えないんです。

自分にとって、失敗というのは、前に進まないこと。物事のマイナス部分に支配されて自分の思考がストップすること。動かなくなったらそれが失敗。


だから人間は、病気になっちゃいけないし、健康に気を配り、安全に配慮し、安心してのびのびできる空間を確立しないといけない。

それが出来るかどうかは別としても、何かを成し遂げようと思うのであれば、身を粉にして頑張るんじゃなくて、自分という人間が快適に過ごせる空間を自分で確立しないといけない。

ただ、ハンディキャップゆえに自分で確立しようにも出来ない状況の人間もいる。僕らはそういう人間に対しては、愛と親切を持って接していかなければならないし、助け合う必要がある。

でも、比較的健康なら、何をかなぐり捨ててでも、「自分」という場所と地位を築いていかなければ幸せにはなれない。



身を粉にするのは自分を捨てること。自分のために自分を捨てることはありえない。だから、自分以外の何を捨てても、自分というものを確立しなければならない。そしてそれは決して保守的ではない。保守的な人間は、自分を守りたいんではなくて、自分の環境を守りたいだけ。



「自分」という名の場所と地位が築かれていれば、守らなければいけない「自分」の中に、他人は入らない。第一に自分を守れなくて、どうして他人を守れるのか。自分が前に進める人間でなくて、どうして他人を前に進ませることができるのか。


後ろを振り向いて引っ張るのではなく、後ろ側に回って、前向きに押してあげることはできる。でもそれはつまり、自分自身はちゃんと前を向いていて前に向かって進んでいることに変わりはない。

後ろを向いて、自分の過去を嘆いている人間は、決して前には進めない。




前に進め。

前に進め。

前に進め。


後ろを振り返るのは、自分の足跡だけで充分だ。足跡を見れば、迷っているのか真っ直ぐ歩めているかがわかる。でも、後ろに残してきた自分の残骸には一切目を向ける必要はない。自分の残骸は自分の思い出ではない。それらは自分の排泄物だ。そんなものには目もくれるな。

前を向いていればいい。一歩、足を踏み出せばいい。

ただそれだけのことなのに、なぜそれが分からないのか。







あ~、また少しスッキリした。