Cool Flame Blog

小物から大きなものまで。独自の視点で「より良いもの」を幅広く。タブレットPCから始まって拡張しました。

口先ばかりの「身内」は要らない

2011-10-30 20:42:04 | People
事故に遭ったじゃないですか。もう2週間以上が経過しましたけどね。車は修理されて戻ってきたものの、むちうちの状態は芳しくなく、週に3回以上はリハビリで整形外科に行かなければなりません。

それよりも、怒りのほうを抑えるのが大変なんです。

事故当初、現場には、自分と、加害者の若い男性一人、そして警察がいました。自分も加害者も、人身事故は初めて。そして自分は、アドレナリンが分泌しているのでまだ痛みもわからない状態。そんな中で、親族に電話をしました。

加害者も、初めての事故で、何をしたらよいのか、何ができるのか、どこに気を回せばよいのか、何にもわかりません。当然ですよね。どんなにわかっていたとしても、事故当初、気が動転して、何をどうしたら良いかなんて冷静な判断はできません。

そんな中で、電話の向こうの親族は、「相手にあーしてもらえ」とか「こういう風にしたほうがいい」と、動こうともせず、指示ばかり。

病院にいても、自宅に戻っても、見舞いもなければ面会もない。

もちろん、そこまで重症じゃないので見舞いだの面会だの、ということを期待するほどでもないんです。

でも、腹立たしいのは、現場の状況は事の流れ、相手のこともそして私の体調も何もヒアリングしようともせず、「こういう時はこうすればいいんだ」「あのとき、あーすればよかったのに」と、上からものをいう始末。

「体調はどう?」の一言すらない。

世の中すべて、お金と法律ですか。

そしてそのような人間が、偉そうに、他人に対して権限を持って活動している。

あ~情けない。

それが他人ならまだしも、身内だと思うと本当に嘆かわしい。逆に言うと、血のつながらない身内でよかった。あんな白状で軽い人たちと同じDNAが自分にあるかと思うだけで腹立たしいから。

そんなわけで、みなさん、ヒアリングもせず、大した関心も示さず、そして実際的な行動に出るつもりがないのであれば、口は慎んだほうがいいですよ。自分ではいいと思って語るかもしれませんが、当事者にとってみれば、ゴミ箱の蓋にすらならない、単なるおせっかいでしかありませんから。

いや、おせっかいであればまだしも、気分を害されてストレスになるだけですからね。

そういう人間の前では、それなりに挨拶と笑顔は見せてあげますけど、決して親切をしてあげようとは思いません。

さようなら。



前に進め

2011-09-14 23:05:57 | People

世の中には、前向きな考え方の人間と、後ろ向きな考え方の人間とがいる。

何が違うのか考えてみた。後ろ向きの人間は、何を見ても、何を考えても、マイナスを思う。マイナスの部分を拾い集める。そして、結果として、保守的になる。保守のために戦う。保守のために他を攻撃する。

でも前向きな人間は、そもそも守ろうとするのではなく、進もうとする。何を見ても、何を考えても、プラスを思う。プラスの部分を拾い集める。結果として、前進的になる。前進するために戦う。道を作るために、マイナスの傾向に立ち向かう。


こう断言してしまうと友達を失うかもしれないが(というほどお友達はいませんが)、はっきり言っちゃいます。後ろ向きの人間と一緒にいると、疲れます。

自分はおそらく前向きでしょう。落ち込むことがあんまりないんですよ。失敗した~!って考えたことがないんです。他の人から見たら「それって明らかに失敗じゃない?」と思われるようなことでも、それを失敗だとは全然思えないんです。

自分にとって、失敗というのは、前に進まないこと。物事のマイナス部分に支配されて自分の思考がストップすること。動かなくなったらそれが失敗。


だから人間は、病気になっちゃいけないし、健康に気を配り、安全に配慮し、安心してのびのびできる空間を確立しないといけない。

それが出来るかどうかは別としても、何かを成し遂げようと思うのであれば、身を粉にして頑張るんじゃなくて、自分という人間が快適に過ごせる空間を自分で確立しないといけない。

ただ、ハンディキャップゆえに自分で確立しようにも出来ない状況の人間もいる。僕らはそういう人間に対しては、愛と親切を持って接していかなければならないし、助け合う必要がある。

でも、比較的健康なら、何をかなぐり捨ててでも、「自分」という場所と地位を築いていかなければ幸せにはなれない。



身を粉にするのは自分を捨てること。自分のために自分を捨てることはありえない。だから、自分以外の何を捨てても、自分というものを確立しなければならない。そしてそれは決して保守的ではない。保守的な人間は、自分を守りたいんではなくて、自分の環境を守りたいだけ。



「自分」という名の場所と地位が築かれていれば、守らなければいけない「自分」の中に、他人は入らない。第一に自分を守れなくて、どうして他人を守れるのか。自分が前に進める人間でなくて、どうして他人を前に進ませることができるのか。


後ろを振り向いて引っ張るのではなく、後ろ側に回って、前向きに押してあげることはできる。でもそれはつまり、自分自身はちゃんと前を向いていて前に向かって進んでいることに変わりはない。

後ろを向いて、自分の過去を嘆いている人間は、決して前には進めない。




前に進め。

前に進め。

前に進め。


後ろを振り返るのは、自分の足跡だけで充分だ。足跡を見れば、迷っているのか真っ直ぐ歩めているかがわかる。でも、後ろに残してきた自分の残骸には一切目を向ける必要はない。自分の残骸は自分の思い出ではない。それらは自分の排泄物だ。そんなものには目もくれるな。

前を向いていればいい。一歩、足を踏み出せばいい。

ただそれだけのことなのに、なぜそれが分からないのか。







あ~、また少しスッキリした。