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慢性疲労症候群(CFS)患者のブログ

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ダン・ミセリ 浅草観光大使への道

2011-11-26 18:29:13 | Weblog
ダン・ミセリ―
日本の美しさを知る男。


1970年生まれ。
ニュージャージー州ニューアーク出身。
1990年のドラフト外入団ながら、95年にはピッツバーグ・パイレーツのクローザーとして防御率は4.66ながら要所をしめる投球をしたのであろうか21セーブを記録し頭角をあらわす。98年には67試合に登板し10勝05敗2S防御率3.22の成績でサンディエゴ・パドレスのワールドシリーズ進出に貢献。
93年から04年までの12年間で実にのべ11球団を渡り歩き、特に03年シーズンには1年間で4球団に所属するというメジャー記録も達成。
渾名は屈強な体格から「ポパイ」、そして、ロジャー・クレメンスの「ロケット」に対し控え目ながら名前をもじったか「ミサイル」とも呼ばれていた。

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【ダン・ミセリ】
2004年 MLB ヒューストン・アストロズ
74試合  06勝 06敗 02S 24H  防御率3.59
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2004年シーズンはアストロズにて主にセットアッパーを担い74試合に登板してポストシーズン進出に貢献を果たす。
だが、プレーオフでは2本のサヨナラ本塁打を含む4本塁打を喫しミセリ投手が登板した5試合のうち3試合で敗戦投手となってしまいチームはプレーオフにて敗退したことはあまり表に出ることはなかった。
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【ダン・ミセリ】 MLB通算 1993年-2006年   
631試合  43勝 52敗 39S 39H  防御率4.48
右投右打 投手
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抑えの切り札いわいる守護神を模索する読売ジャイアンツは04年オフ、このメジャーリーグで実績十分のミセリ投手をリストアップ。

プロモーション用ビデオだったとはいえ、ストレートが最速158キロ、安定して150キロ台を出せる剛腕「ポパイ」の評価は俄然高まる。
そんな中、大リーグ時代の同僚であり先んじて読売ジャイアンツ入団が内定していたゲーブ・キャプラー選手―
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【ゲーブ・キャプラー】
NPB・読売ジャイアンツ 05年途 .153  3HR  6打点
一口コメント
「日本ではハンバーガーを注文した時にトマトを抜いてもらえなかったのが残念」
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が『ミセリ兄さんのボールは非常に打ちにくい』と球団に獲得を進言。
更には、過去の実績・反省から念には念を込めてプロモーション用の編集が入っていない「裏」ビデオをも入手した読売ジャイアンツ・堀内恒夫監督は「投げている球はしっかりしている、懸案だった補強ができる」と獲得に前向きな姿勢をみせる。

だが、ミセリ投手はベースボールから94年をもって引退の意思を示していることとなっていたため―
一筋縄ではいかないとみた読売巨人軍は94年のミセリ投手の推定7000万円という年俸の約3倍にあたる推定2億円という金額を提示。

こうして、
94年オフに読売巨人軍のダン・ミセリ投手が誕生したのだった。
明けて95年の入団会見では「50セーブを目指したい」と全盛期の力石なみの自信を漲らせた「ポパイ」の姿があった。
02月10日に宮崎キャンプへ合流するや『ボールが高めにいかない、9回1イニング限定』と堀内恒夫監督が早くも絶対的守護神として太鼓判を捺す。
こうしてオープン戦に突入―
この時期にはよくあることだが、常時150キロを記録するはずのストレートは140キロ前後であり、セットポジションになると途端に投球が怪しくなることが判明して打ちこまれても『今は準備の段階、開幕までには必ず調子を合わせてみせる』とミセリ投手はあのヒルマン流の調整を示唆。

こうして若干の不安が過るなか05年セントラルリーグペナントレース開幕―

4月1日 読売-広島開幕戦―
読売 2-1 広島――1点リードの9回表には東京ドームの大歓声は守護神・ミセリ投手がのぼるマウンドで黄に染まる。赤ゴジラこと広島の先頭打者・嶋選手をセンターフライに打ち取るとスタンドに黄が広がったが続くラロッカ選手のバットが快音を残すと白線がセンターバックスクリーンに描かれ一瞬にして同点となる。更に前田選手が内野安打を放ち代走の福地選手に易々と盗塁を許すと緒方選手の一振りから広島ファンの待つ左中間スタンドに白線が描かれ真っ白になる東京ドーム。
☆僅か15球にて1/3イニング3失点で防御率81.00―☆
「投げて打たれた、それも野球だ」
敗戦投手となったにも関わらず泰然と振舞うミセリ投手の言。


4月5日 横浜-読売1回戦―
横浜 3-3 読売――同点の延長12回裏に横浜スタジアムのマウンドに向かう読売・ミセリ投手には期待の声援がレフトスタンドからもライトスタンドからも轟く。
そんな中、あの故障がちな横浜・多村仁選手が期待で充満した宙空を引き裂きセンターフェンス直撃の劇的サヨナラヒットを放ちゲームセット。
☆僅か13球にて1/3イニング1失点で防御率54.00―☆
「野球というスポーツの一部、投げて打たれたそれだけだ」
又も敗戦投手となり読売巨人軍が開幕4連敗ともがくなかで防御率を改善したことに気をよくしたか自若としたミセリ投手の言。

唖然とした読売首脳陣が二軍落ちを勧告するが、
  ――本人の同意なしに二軍に落とすことが出来ない――
という契約条項の存在がここに到り判明、ミセリ投手が二軍落ちをよしとしなかったため1軍に帯同し続けることとなった。


4月6日 横浜-読売2回戦―
延長11回裏・読売巨人軍1点リードの場面で奇跡は起こった―
なんと横浜スタジアムの横浜ベイスターズファンから「ミセリコール」が起こったのだ、相手チームの守護神を誘う声が球場に木霊したが読売巨人軍・堀内監督動かず。

4月7日 横浜-読売3回戦―
横浜 8-3 読売――
ならばと横浜ファンは5点差をつけた6回裏に「ミセリコール」を浴びせると、堀内監督がリリーフに「ミセリ」を告げ横浜スタジアムは活況このうえなし。
期待にこたえ横浜・佐伯選手のタイムリーが飛び出し、大盛況なるスタジアムの打席には一昨日の殊勲者・多村仁選手―

 ――ポパイがスペランカーに続けて負ける訳にはいかん――

とばかりに投じられたミセリ投手渾身のストレートはセンターバックスクリーンへと消える劇的な一撃と化し、横浜スタジアムは真っ白になった。
☆最多30球 1イニングにて自責点3で防御率38.70―☆
「こんなリトルリーグみたいな狭い球場でやっているからだ」
とは試合後の傍若無人なミセリ投手の言。

更に―
4月10日 中日-読売戦
読売 0-10 中日――
5点差で駄目なら更に倍と10点ビハインドで堀内監督は9回にミセリ投手をもってきた。この采配が吉とでたか2安打を許しながらもなんと無失点で凌ぐ。
☆19球 1イニングにて自責点0で防御率23.63―☆
「投げながら調子を上げていくしかない」
と防御率に大きな改善がみられたことで余裕がうまれたかミセリ投手は前向きなコメントを試合後に残す。

しかし、その後右肩痛が判明したが二軍落ちを断固として拒否、
更に度重なる(2回)敗戦処理での登板に業を煮やしたかミセリ投手は首脳陣に噛みついた。
4月17日のミセリ投手と読売巨人軍首脳との会談は1時間近くに及んだ。

そして、
「日本の美しさや家族構成のこと、それに仏教について話した」
とミセリ投手は報道陣を前に会談の手応えを健やかな表情で口にした。
だが、
読売首脳陣並びにフロントの判断は厳しいものであった、
4月19日―
読売巨人軍史上最速でミセリ投手の解雇決定。

当日午前、荷物をとりに東京ドームに姿を現したミセリ投手は―

『喉が痛いから話すことはない、俺は行かなくてはならないのだ』

と報道陣に最後の挨拶をおこない颯爽と球場を後にした。
当日午後―
浅草寺に家族を伴って現れたミセリ投手―



『俺はミセリじゃない。質問は受け付けない』



と報道陣にたいしては徹底した緘口令を敷くミセリ投手だったが、春風のなか人力車の上でも雷門の前でも愛するファンへの笑顔は忘れなかった。

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【ダン・ミセリ】 NPB・読売ジャイアンツ 2005年途   
04試合  00勝 02敗 00S 00H 2.2/3イニング 防御率23.63 
打者 19 被安打 9 与四球 2 敬遠 1    総投球数77
右投右打 背番号35 推定年俸 2億円*(2/8)
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当初はホアン・アイケルバーガー投手(89年・ヤクルト・5月20日解雇)の再来程度にみられていたミセリ投手だったが蓋をあけてみれば全く異質ともいえる風雷の如き活躍をみせた。
そして僅か3時間あまりの滞在で浅草観光大使の異名を確固たるものにしたミセリ投手だが、彼には自身が語ったとおり「行かなくてはならない」場所があったのだ。
未だにそれを浅草寺だとする論調が強いが、それは違う。
ミセリ投手の終着駅はまだ先にあったのだ―

帰国後の5月19日つまり読売巨人軍解雇後から僅か1か月でコロラド・ロッキーズと契約を結びメジャー復帰―


           ダン・ミセリその後 浅草観光大使の挑戦 プロ野球の歴史#005#

浅草観光大使の知られざるその後「行かなければならない場所」が遂に明らかになる―



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