ここ数年来とみに人々の耳目を騒がせている「自由貿易条約」ですが、
古くは1789年、
「フランス革命」の嚆矢となったのが「自由貿易条約」だという言説は余り知られていないのではないでしょうか。
本日はこのことを少し記させてもらいますね。
☆簡易歴史年表
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1700年頃 スペイン継承戦争
1740年頃 オーストリア継承戦争
1750年頃 7年戦争、フレンチ・インディオ戦 . . . 本文を読む
アテネ民主政体への道 1 ソロンの改革~資産政開始までから続きます
古代アテネの繁栄期、主要産業は農業ではなかった。
山岳地帯が多い立地であったため農業には向かなかったのだ。
特に欧州の主要穀物である「小麦」が採れなかったのは大きな痛手であり、
人口が増加するにつれて食糧安保上の問題が浮き彫りになってきた。
ワインやオリーブはとれたがそれでは十分なカロリーが得られないのだ。
しかし、災い転 . . . 本文を読む
なぜイギリスはカナダを植民地支配したのか?から続きます
前回はイギリス国内の砂糖族議員が暗躍してカナダを植民地することとなった経緯を説明しました。
今回はそれに関連して、
何故、イギリスがアメリカ大陸から率先して奴隷制度を撤廃したのかを説明させてもらいますね。
1600年代から、
カリブ海の島々にはサトウキビ大農場が延々と広がりイギリス、フランス、スペインといったいわゆる列強諸国に富を献上し . . . 本文を読む
カナダの国家元首が依然としてイギリス・エリザベス女王である事実をみなさんはご存知でしょうか。
捉えようによっては現在もイギリスの属国である「カナダ」ですが、
そもそもどのような経緯で植民地となったのでしょうか?
そのことを本日は説明させて頂きたい。
1750年代に欧州大陸で勃発した「7年戦争」で勝者側となったのはイギリスであり、
敗者側となったのはフランスでした。
この戦後賠償を巡っては、
. . . 本文を読む
カール・マルテルによるイスラム勢力駆逐、ピピンの寄進、カール戴冠、
少し飛んでオットー戴冠と西暦800年代から1000年代にかけてローマ帝国の復興が漸進的に進められました。
その過程においてローマ・カトリックそしてローマ教皇中心の社会が築かれていきますが、
中でも「カトリックの教会」というものが果たした役割はとても大きなものでした。
そのことを今日は説明してみますね。
西暦1000年近辺のヨー . . . 本文を読む
古代アテネが「民主政体」の本尊だといわれているが、
アテネではどのような経緯で民主政体がおこなわれる運びとなったのであろうか。
端的に纏めてみたい。
ギリシャのアテネが位置するバルカン半島は山岳地帯が多く農村活動にはあまり向かない土地であった。
そのため、早くから農業以外に交易を通じた商工活動に活路を求める動きがあった。
海外との交易を行うにあたって「物々交換」は至難の業であり必然的に「貨幣経済 . . . 本文を読む
紀元前660年02月11日神武天皇即位
いわいる「建国記念日」ですね。
この日には様々な歴史的意義がありますが、
今回は「相続形態にみる経済構造」というお題目でお話しさせてもらいます。
神武天皇が即位されたことで変化した社会制度の一つが「相続形態」でした。
具体的には、
建国記念日以前は「末子相続」であったのが神武天皇即位を皮切りに「長子相続」へと相続制度の潮目が大きく変わっていきました。
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