◆今日は、ジョイフルでサークル。
一人インフルエンザで欠席。
3人で実施になった。
◆私は、レポート3本と、音読テストのビデオを持っていった。
レポートは鑑賞画、食育、道徳の3つの授業記録である。
音読テストは、教室後ろからの映像。
どれも楽しい取組みだった。
が、どれも6ページ程度では分厚さが足りない。
◆Kさんは、生活科の実践。昨日が研究授業だったそうで、お疲れの所を串間まで来てくれる。
生活科で一番難しく、忘れがちなのが、「自分への気づき」という目標であることを話した。
活動に向けての取組み、そして楽しい活動を通して、自分への気づきが最終的にないと、学習が中途半端になってしまうのである。これは、くしま学の学習で感じたことと似ている。
◆菱形を思い浮かべるとわかりやすい。
1年生で「学校探検」などで少しずつ自分のまわりを広げていく。
2年生では、「地域に出かけ」ていき、さらに広げる。
2年生の2学期から、その広がりを自分自身に向けて集約していく。地域の方々や校長先生におもてなしをする。そこから自分自身への気づきを深めるのである。
3学期は、「明日へジャンプ」とう単元だったように思う。
自分自身への集約は、「両親」という一番身近なところに学習のベクトルは向く。ここでも、今日まで「こんなことができるようになったなぁ。」という実感を味わわせて生活科を終わるのである。
自分自身への気づきをどう仕組むのかは大切なポイントである。
そういう話をした。
◆Hさんは、研究所つながり。
広汎性発達障害の子をターゲットにした漢字指導をレポートにしていた。
なるほど。という点もあったが、漢字の練習量の少なさが気になった。
「楽しい」だけで漢字が覚えられたら、楽であろう。
やはり繰り返しが必要であると考えた。
ただ、ノートの1列に同じ文字を何回も書かせるだけでは芸がない。
国語の時間5~10分間を使ってどれくらい飽きさせずに練習させるかである。
鉛筆を持たせずに机に書かせるというやり方は、有名である。
その時にどのように声をかけるのか。最初に何から指導するのか。そういった話をした。
2学期漢字50問テストがある。
日々の指導の成果がここに出る。
一人インフルエンザで欠席。
3人で実施になった。
◆私は、レポート3本と、音読テストのビデオを持っていった。
レポートは鑑賞画、食育、道徳の3つの授業記録である。
音読テストは、教室後ろからの映像。
どれも楽しい取組みだった。
が、どれも6ページ程度では分厚さが足りない。
◆Kさんは、生活科の実践。昨日が研究授業だったそうで、お疲れの所を串間まで来てくれる。
生活科で一番難しく、忘れがちなのが、「自分への気づき」という目標であることを話した。
活動に向けての取組み、そして楽しい活動を通して、自分への気づきが最終的にないと、学習が中途半端になってしまうのである。これは、くしま学の学習で感じたことと似ている。
◆菱形を思い浮かべるとわかりやすい。
1年生で「学校探検」などで少しずつ自分のまわりを広げていく。
2年生では、「地域に出かけ」ていき、さらに広げる。
2年生の2学期から、その広がりを自分自身に向けて集約していく。地域の方々や校長先生におもてなしをする。そこから自分自身への気づきを深めるのである。
3学期は、「明日へジャンプ」とう単元だったように思う。
自分自身への集約は、「両親」という一番身近なところに学習のベクトルは向く。ここでも、今日まで「こんなことができるようになったなぁ。」という実感を味わわせて生活科を終わるのである。
自分自身への気づきをどう仕組むのかは大切なポイントである。
そういう話をした。
◆Hさんは、研究所つながり。
広汎性発達障害の子をターゲットにした漢字指導をレポートにしていた。
なるほど。という点もあったが、漢字の練習量の少なさが気になった。
「楽しい」だけで漢字が覚えられたら、楽であろう。
やはり繰り返しが必要であると考えた。
ただ、ノートの1列に同じ文字を何回も書かせるだけでは芸がない。
国語の時間5~10分間を使ってどれくらい飽きさせずに練習させるかである。
鉛筆を持たせずに机に書かせるというやり方は、有名である。
その時にどのように声をかけるのか。最初に何から指導するのか。そういった話をした。
2学期漢字50問テストがある。
日々の指導の成果がここに出る。