奥野garden ~奥野ガーデン~

記録を残さなければ、
風のようにとんでいってしまう毎日。
授業も然り。
日々の実践等を記していきたい。

他に利する心

2011-10-31 06:32:09 | 授業実践
◆なぜ、学校に行くのですか?
 
 なぜ、勉強しなければならないのですか?

 なぜ、我慢しないといけないのですか?

 なぜ、●●したらいけないのですか?

 こうした「なぜ?」に即座にこたえられるようにしておきたい。

◆「みんなが幸せ、みんなが快適」

 「人が喜ぶ。それを見て、自分も幸せになる」

 「自分を小さくすることで、みんなも私も得をする。快適に過ごせる。」

 「個を小さくして、みんなとのつながりを大切にしないと、成長できない。」

 「社会生活は、互助と協力で成り立っている。」

 「なまけものは勤勉に。暗い子は明るく。明るすぎる子は慎重に。」

 「学力形成と人間形成。つまり、今のままにしておかないということ。」
  
    ・
    ・
    ・

◆全て、先日の野口先生から学んだことである。

◆今週は、「立腰」を再確認する1週間にする。

 来週は、「挙手の三原則」。
 
 

英語弁論県大会

2011-10-15 05:36:35 | なんやかんや
◆教え子からメールが届いた。

 英語弁論県大会の結果である。

 「3位」に入ったということで、全国大会出場するそうだ。

 すっばらしい快挙である。

 うんと努力する子だったし、芯のしっかりした子だった。

 中学校生活もそうだったのだろう。

 誰だってそうだが、努力の成果が見えると、人はさらに頑張れる。

 しかし、努力が続かない人がほとんどだ。

 当時、ぽつりとこの子が言ったことを思い出す。

 「どうやったら勉強が楽しくなりますか?」
 
 6年生の女の子からこういう質問が来るとは思わなかった。

 素直な感情だったのだと思う。

 「やらなければならないものだと、思わないことだね。」

と笑顔でかえした。
 
 忙しい忙しいと思ってやる、強制されていると思ってやるのは、つまらない。

 自分に必要なことだからやっているんだという意識が大切なのだ。

 勉強時間は、「自分の時間」なのである。

 そうすると、5分10分の隙間時間でサササーと一つプリントができる。
 
 今日の宮崎日日新聞の「ことば巡礼」にも同じようなことが書かれてある。
  
 この子からは、一つずつ壁を乗り越えて行っている印象をうける。

 当然、周りのサポートもよかったのだ。
 
 ご家族は、穏やかで明るい。

 大好きな方々だ。

 そういうことも影響しているのだと思う。

 全国の舞台で、しっかり自分の思いをアピールしてほしい。

 ガンバレ ガンバレ!!!!

 

学校訪問を考える。

2011-10-12 17:30:46 | 授業実践
 学校訪問について考えている。
 今年はどういった形で行うか。
 研究主任の考えを示した。
 心づもりをしていただくためである。
 
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1 学校訪問を考える<第1案> ◆今年、本校は「要請訪問」である。

 「要請訪問」とは、
① 学校及び他の教育機関の依頼を受けて、指導主事が現場を訪問する。
② 研修会講師、研究協議会委員等として、指導助言等を行う。
 というものである。

  指導案づくり、指導案検討の段階から指導していただいてもよいし、授業研究会に焦点を絞って来ていただいても
よいわけである。学校で様々な活用が考えられる。

◆小中一貫教育初年度の要請訪問である。
 研究主任としての考えを書いてみる。
指導いただくのは、研究主題にもある、

『小中一貫教育のよさ』を生かした『教科指導』

についてお願いしたい。
 本校の主題研究は、「授業」を通してのみ成立するからである。
 これまでの学校訪問では、

ア. 集中授業を行う。(全職員で参観する)
イ. 授業についての反省・授業研究会をおこなう。
ウ. 研究主題について全体協議をおこなう。
エ. 全体に向けてのお話をいただく

 これが、これまでの学校訪問である。
 工夫したい。
「要請」訪問だから、ある程度自由がきく。
 直接自分自身のためになる、子どもたちのためになるような要請訪問にしたい。

 <第1案>
   それぞれの授業を参観いただき、一人一人に指導助言をしていただく形が一番よい。

と考える。
 私たちは、常々次のように考えている。
   ★子どもに力をつけたい。
   ★そのために、自分自身の授業力を向上させたい。
 授業のどこがよくてどこが悪かったかを知りたいと思っている。
 授業について、教科指導について、いろいろ聞きたいこともある。
 そのためには、授業を人に観ていただくことが不可欠である。
 他の人にコメントをもらうのは、少々恥ずかしいし、ちょっと気が引けてしまうものである。
 しかし、こうした取り組みが、自分だけでなく、子どもたちの力に影響するのであればやってみたいと思う。
 こうした思いから、指導主事の先生に、授業の良し悪しをズバリ言ってもらいたい。
 そう考えている。
 本校の研究は、【小中の参観授業を通して】と副題にある。
 授業を観ていただくことで観る方も観られる方も鍛えられる。だから、1学期から授業参観に取り組んできている。

◆しかし、問題がある。
 本校はおよそ20名の先生方がいらっしゃる。

  どのように一人一人の授業を参観いただき、指導助言をいただくか

ということである。
 現在、教育委員会に諮っているところである。
 無理なのかもしれない。当然一人の指導主事では無理である。
◆もしも、この第1案が通れば、次のようなイメージになる。

 <第1案>
   それぞれの授業を参観いただき、一人一人に指導助言をしていただく。

   ○午前中、全員が1時間授業を行う(指導案略案・指導主事参観・)。
   ○午後から、分科会(いくつかの小グループに分かれる)を行う。
   ○授業について、教科指導について質問をしたり、助言をいただいたりする。
   ○よって、全体研究会は実施しない。
    ※ 指導案は略案でよい。
      略案とは、「単元名」「本時の目標」「学習指導過程」程度のことである。

 指導主事の先生方には、指導案を観てもらうのではなく、生の授業を観てもらう。
 授業についていろいろ考えることの方が大切である。
 次に、グループに分かれるということについてである。
『教科指導』だから、教科に分かれてみたらどうかと考えている。
 本校の小学校教員は、中学校職員の担当教科に合わせて授業をすることもできる。
 【国語、数学算数、社会、理科、(英語)、音楽、体育】
 指導主事の数によって、グループを編成することも可能である。
 小グループで集まり、協議する。
 教科について、授業について、教材について等、あらゆる視点から指導主事に質問し、答えてもらおうと思う。授業についての助言も合わせていただけるとよい。

 ★子どもたちに力を付けたい
 ★そのために、自分自身の授業力を向上させたい

 この2点の思いから、要請訪問についての考えを書いた。ご意見をいただきたい。


2 学校訪問を考える<第2案> 
◆教育委員会の返答によっては、第1案が無理の場合も十分考えられる。
 指導主事の数を調整しなければならないためである。
 その場合には、従来の学校訪問の形でよいと思う。
 具体的には、先日の英語科授業参観・研究協議のような形ですすめるとよいと考える。
 つまり、

   一つの授業提案を材料にして、自分自身の授業を見直す

という形である。
 授業を行う時の、さまざまな微細技術や授業の組み立て方、児童生徒の反応を自分の目で見る。
 そうすると、同じ授業であっても見え方は様々である。
 気付きが多い先生もいらっしゃるし、少ない先生もいらっしゃる。
 自分にはなかった気付きを共有することで、授業に対する視点が蓄積される。
 ワークショップ型の授業研究会はそういう利点がある。
 授業に対する意識が少しずつ変わっていく。
 授業参観する際の視点が増える。
 先日の会がそのような形だったと思う。

◆具体的な形として考えてみると、次のようなイメージになる。

 <第2案>
   一つの授業提案を材料にして、自分自身の授業を見直す

    ○小中連携しながら教材研究を行う(小中連携・学習の系統性)。
    ○指導案検討を行う(全体会)。
    ○修正を加えて指導案を作成する(小中連携)。
    ○教材を準備する(小中連携)。
    ○集中授業を全員参観する(全体)。
    ○その際、学び・疑問を書き出す(付箋紙活用)。
    ○授業研究会を行う(ワークショップ型)。
    ○指導助言をいただく(全体会)。
     ※ その場合は、後期ブロックから中学校社会の授業(倉田先生)を提案していただく。

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運動会の作文②

2011-10-11 05:19:51 | 授業実践
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   絆をつなぐバトン

 「カッセ、カッセ、カッセ、カッセ、カッセー、白団。」
 今、白団の応援をしています。私は白団のリーダーです。だから、みんなよりも大きな声を出します。
 私は、リーダーに立候補しました。「自分を成長させたい。」と思ったからです。今日まで、昼休みや放課後を使って応援練習をしました。団長を中心にみんな一生けん命になって練習しました。今年、美郷南学園は小中一貫校になりました。人数も増え、みんなをまとめるのは大変でした。しかし、団の仲間が協力してくれました。
 リーダーとして、私は、「応援は大きな声で、大きく動く」ということを意識していました。
「白団絶対優勝だあ。オ―。」
 この応援の通り、「絶対優勝したい。」と思いました。となりでは、亜花壇も応援しています。赤団に負けない位の声を出してがんばりました。自分が競技をしている間も一生けん命声を出してがんばりました。
「ドキドキ、ドキドキ。ああ、ちゃんと走れるかなあ。」
 いよいよ最後のプログラム「全校リレー」です。私も全校リレー選手に選ばれました。赤団は、六年生で一番足の速い舞さんです。いつも練習では追いつけませんでした。でも、「今日こそは抜かしたい。」と思っていました。
五年生にバトンがわたりました。もうすぐです。赤団も白団も同じくらいのタイミングでバトンパスになりそうです。
「リード、リード。」
 バトンがわたりました。
「ワーワー。」
「がんばれえ。」
 二人に応援の声がかかります。私は、歯をくいしばって走りました。走っている間、何も考えられません。
「もう少し、もう少しだ。」
「追いつくぞ。」
 気合いを入れて走りました。と中で、こけそうになりました。しかし、これで優勝が決まってしまうと思うとこけるわけにはいきません。
「白が追い付きそうです。」
と放送の声が聞こえた時、うれしくなってスピードがさらに加速しました。最後の力をふりしぼってバトンをつなぎました。
「はあはあ。」
走り終わったら、息切れがしていました。無事に走り切れてよかったと思いました。
「総合優勝、白団。」
「バンザーイ。」
 私は、飛びはねたいくらいでした。
「運動会は最高だ。また、リーダーに立候補したい。」
そう心の中でつぶやきました。







  緊張の一瞬

 「がんばれー。」
 ぼく達に対する応援の声が運動場にひびきわたります。
 ぼくは、今、団技の順番を待っています。一列目と四列目の二回が出番なので、すごくドキドキしています。
 朝、教室で黒板に運動会の意気込みを書きました。ぼくの意気ごみは「成長と優勝」です。この意気ごみに、「この運動会に一生けん命取り組み、競技も応援もがんばろう。そして成長しよう。」という気持ちをこめました。
 ぼくは、団技で出番を待っている時、この意気ごみのことを思い出していました。
突然、放送がかかりました。
「団技、ファイティング・ボウイズです。」ぼく達の団技は、「台風の目」と「矢切りのわたし」を組み合わせたものです。
 団でみんなでエンジンを組み、気合いを入れました。
 ぼく達は作戦を考えていました。帰ってくる時に、工夫しました。四人一組で帰る際、外の二人が棒を持ち上げ、中の二人が棒をくぐり抜けてダッシュするという作戦です。外から回りこむよりも、時間短縮になります。
ぼくの出番は二回あるので大変です。
 その作戦が功を奏したのか、赤団は白団より速く矢切りのわたしに入りました。わたる人も一度も落ちなかったので、スムーズにゴールに近づけました。
「もう少しだ。」
 ぼく達は声をかけ合いながらゴールを目指しました。
 団技は圧勝でした。
「優勝、赤団。」
という放送が流れた時、ぼくは仲間とハイタッチをしました。みんな笑顔でした。
 総合優勝は白団でした。ぼく達赤団は惜しくも負けてしまいました。
 朝、書いた意気ごみの一つ「優勝」は無理でした。しかし、もう一つの「成長」は達成できたのではないかと思っています。それは、仲間と協力して競技や応援を行うことができたからです。ぼくなりに、一生けん命声を出して応援もできました。
「今年の運動会は大成功だった。」と思います。













   緊張の一瞬
     
 「よし、やるぞ。」
 今日は、待ちに待った運動会です。
「うわあ。こんなにたくさんの人が集まるなんて・・。」
 ぼくは、すでに開会式で緊張に押しつぶされそうでした。
「ラジオ体操。指揮は黒田祐作君。」
「はいっ。」
 どうして緊張に押しつぶされそうだったかというと、そうです。ぼくは、ラジオ体操の指揮者に立候補したのです。
 気が付くと、ぼくは朝礼台の上に立っていました。しっかりと来ひんの方々に礼をしたかも覚えていません。何が何だか分かりません。練習はたくさんしましたが、本番は全然緊張感がちがいます。
「体操体形に、広がれ。」
 ぼくが指示を出すと、みんな一斉に動き出しました。
「ふう。」
と、心を落ち着かせていると、音楽がかかりました。
 ぼくは、本番前、次のようなことを考えていました。「ラジオ体操をする時は、次の体操が何かを考えながらすること。大きく動作をすること。この二つのことを意識してやるぞ。」そう考えていましたが、ぼくは本番の緊張感を甘くみていました。頭の中で描いていたイメージと本番とのギャップがありすぎました。一つ目の、「次の体操を考えながら」という目標は、あまりの緊張でそんな事を考えている余裕がありませんでした。だから、一つ体操が終わるたびにほっとしていました。二つ目の「大きく動作をする」という目標は、自分で意識したつもりです。しかし、みんなからみて、しっかり出来ているかどうかは心配になりました。
「あと少しだぞ。」
と、ぼくは心の中でつぶやきました。
 最後まで大きなミスをすることなくできて、ぼくは、大きく息をはきました。
 最後の深呼吸の時に、ようやくみんなの顔が見えたような気がしました。
 運動会の開会式がこんなに緊張するものだとは思いませんでした。でも、「ラジオ体操の指揮者に挑戦できてよかったなあ」と思います。
「来年の運動会も何かに立候補してみたい。」
と、ぼくは心の中でつぶやきました。

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運動会の作文①

2011-10-10 06:44:57 | 授業実践
◆運動会の作文を書いた。
 
 指導を一つずつ入れて、少しずつ修正を加えた。

 少しずつ紹介する。

 



   バトンをにぎりしめて
     
 ドキドキの全員リレーです。
「一番になれるといいな。」
「いや、負けないからね。」
 私たちは、待機しています。 
 今日は、美郷南学園第一回目の運動会です。
練習を毎日一生けん命にしてきました。練習の中で、一番力を入れたのが、全員リレーです。その大好きなリレーが今、始まりました。
赤団がリードしています。
「いよいよ次だ。ドキドキ。」
 コースに立った私は、急に緊張してきました。足がうまく動きません。
 舞さんがぐんぐん近づいてきます。
「はいっ!」
 舞さんからバトンをもらいました。
「よし、全力で走るぞ。」そう思って走りました。
「がんばれー、がんばれー。」
 どんどん応援する声が聞こえなくなっていきます。私は集中していました。体が何だか軽い気がしました。白線で分けられた道を走っています。
「タッタッタッ。」
 雄介君の背中が見えてきました。もう少しです。私はバトンをにぎりしめました。
「はいっ。」
 バトンパスをしっかりすることができました。どんどんバトンがつながっていきます。
「優勝、赤団」
「やったあ。」
 赤団みんなで飛び上がりそうなほど喜びました。私は、体の力が抜けた気がしました。
 閉会式では、校歌の指揮をする係になっていました。
「気持ちを切り替えなくちゃ。」そう思っていると、放送が入りました。
「効果斉唱。指揮者は、六年土田早紀さんです。」
「はいっ。」
 大きな声で返事をして、指揮台の上に立ちました。みんなが注目します。
 スッと手をあげると、みんなが歌の態勢になりました。
「山なみ青く、きり晴れて、百済の里に日がのぼる・・」
 大きな運動場が見わたせる指揮台の上からの景色はとても気持ちがよかったです。
小中一貫校、美郷南学園の第一回目の運動会は大成功だと思います。
「ゴールへと一つになって突っ走れ」
 このスローガンのように、みんなが一つになってゴールへ走り抜けた一日でした。






   おどれ舞え、ソーラン
     
 太鼓の音が鳴りひびきます。
「ドドドドドド・・。」
「ドドンッ。」
 構える合図で、ぼくは集中しました。音楽が流れ始めました。いよいよ美郷南ソーランの始まりです。五年生から中学生までがいっしょにおどるソーラン節です。
 練習でいつも間ちがえるところがありました。「今日は失敗せずにやるぞ。」そう思っておどりました。
 ぼくは、練習の時よりもがんばろうと思っていたことがあります。それは、こしを低くして大きくおどるということです。全身がつってしまうくらいうでや足をのばしておどりました。また、声も出しました。運動場いっぱいに響きわたるように声を出しました。最後の決めポーズも工夫しようと思いました。
手や目線も意識してやりました。
 終わってみると、どこも失敗せずにおどりきることができていました。練習を積み重ねてきたからだと思います。
 観客から大きな拍手が聞こえてきました。
「しっかりおどれてよかった。」と思いました。
 もう一つ、心に残った競技があります。それは団技です。「台風の目」と「矢切のわたし」を組み合わせた団技です。みんなの心が一つにならなければうまくいかない競技です。
「がんばれー。」
と、白団の応援が聞こえます。
 ぼく達の番です。放送が、
「白団ミスをしました。赤団チャンスです。」
と言っていて、すごくあせりました。できるだけ差をちぢめて、「矢切のわたし」に入りました。
「がんばれば勝てる。」
と、みんなで声をかけ合いながらやりました。
「パーン。」
 ゴールの合図が鳴りました。赤団の勝ちです。
 競技には負けてしまいましたが、白団もくじけず、最後までやりとげました。結果はくやしいですが、みんなで力を合わせることができたのでよかったです。
 美郷南ソーランも団技も、みんなの心を一つにして取り組みました。そういう気持ちをわすれずに、運動会が終わった学校生活を送っていきたいと思います。











   全力で引っ張れ

 「これから、美郷南学園、体育大会を始めます。」
「ドン!ドドドドン!」
 花火の音で、体育大会が始まりました。今年の体育大会は、小中一貫校になって初めての開さいです。
「綱に、つけ。」
「ヤー。」
 いよいよ、綱引きの始まりです。集中しているからでしょう。音楽が流れていますが、聞こえません。ぼく達は心を一つにして綱をにぎりしめました。
「バン!」
 合図が鳴りました。
ぼくは、「絶対勝つぞ!」という気持ちで綱を引っ張りました。
「エイ、エイ、エイ、エイ。」
 なかなか手前に引っ張ることができません。
「ズル、ズル、ズル・・。」
と引っ張られて、一戦目は負けてしまいました。二戦目も負けてしまうとこの競技は終わりです。点数に大きな差がついてしまいます。
「今度こそ買ってやる。」
と、気持ちを入れ替えて二戦目に臨みました。
「綱に、つけ。」
 ぼくは、先ほどよりも強く、しっかり綱をにぎりました。
「バン。」
 合図が鳴り、綱を引っ張り合います。
 グイグイ引っ張ります。少しずつ、こちら側に綱が寄ってきます。
「ピーッ!」
 笛が鳴りました。勝ったことがわかり、ぼく達はその場で跳びはねました。
 これで一対一です。次の一勝で優勝が決まると思うと、とても緊張してきました。
「綱に、つけ。」
 三度目の合図です。ぼくは、ゆっくり綱をにぎりました。
「バンッ。」
 相手は、ものすごい力で引っ張ってきます。
「エイ、エイ、エイッ。」
 ぼく達も負けていません。どちらが勝ってもおかしくない勝負でした。力の限り全力で引っ張りました。
「ピーッ。」
 笛が鳴りました。旗を見ると、ぼく達の方に旗があがっていました。
「やった!」
 ぼくは、団の仲間とハイタッチをしました。
思わず、笑顔になってしまいました。
 みんなが全力で綱を引っ張りました。心に残る勝負でした。

りんご 山村暮鳥③

2011-10-10 02:46:40 | 授業実践
◆山村暮鳥さんは、たった6行でこんなに深い詩が書けるんだなあと思いました。
 私は、初めて見たときは、何だか幸せそうな感じの詩なんじゃないかなあと考えていました。
 だけど、先生が言った、「『かかえる』は責任を課す」というのを聞いて、不幸せな感じじゃないのかなあと考えが変わりました。
 山村暮鳥さんの考えている場所は、外で、日なたにいるんじゃないかと考えました。
 でも、どんどん変わっていき、暗い家の中にいて、窓からさしている日が机の上のりんごにあたっているんじゃないかなと考えました。
 こんなに深く考える詩をつくるなんて、すごいなあと思いました。【S.T】

◆私は、はじめ、悲しい詩だと思っていた。
 学習していくと、次のようなことが分かった。
「かかえる」というのは、「責任を課す」という意味。「日当たり」というのは、「日なた」という意味がある。
 この2つのkとから、私はこう考える。前半はもうおいこまれてしまい、困り、ぽつーんとせまい部屋に座り込んでいると考えた。
 後半は、「りんごが一つ 日当たりに転がっている」というところから、せまい部屋の片すみに、ほんの少しだけ、日なたになっているところがある。そこに、自分のようにぽつーんとあるりんごを見つめていると考える。
 山村さんは、この詩を書いたとき、こう考えながら書いたと思う。
 それは、仕事がうまくいっていなくて、座りこみ、悩んでいるとき、たった一つのりんごを見つめて、ちょっと自分に似ているなあと思った。だから、この詩を書いたんじゃないかなあと思った。
 そしてこんな詩が誕生した。【M.K】

◆私はこの詩を初めて読んだ時は、だれかが外にいてりんごの木をみているのかなあと思っていました。
 でも、学習していくと、次のことがわかりました。
 前半の方は両手をどんなに大きく広げても、悲しいさみしい気持ちをかかえきれない不幸せな感じがするけど、後半のりんごが一つ日当たりに転がっているというところで、さみしい気持ちをかかえている。
 だけど、りんごが一つ日当たりに転がっているのを見て、何だか自分が元気づけられた、ほっとしたような感じがしたのかなあと思った。【M.N】

◆ぼくははじめ、幸せそうな詩だなーと思っていた。
 しかし、学習していくと前半と後半では気持ちがちがうということが分かった。
 前半の言葉に「かかえきれない」という文があったが、「かかえきれない」という言葉を調べると、重責を担うなどの意味があった。
 そのときぼくは、これは不幸せな気持ちだなと思った。
 逆に後半は、「日当たり」という言葉が出てきた。この意味は、日なたという意味があった。
 ぼくはその時、幸せな気持ちになったんじゃないかなーと思った。
 このことから、この「りんご」という詩は、前半は不幸せ気持ちで、後半は幸せな気持ちだと思った。
 それに、最初はりんごの木の下に山村暮鳥さんがいたんじゃないかと思っていたけれど、ぼくは何かちがうと思った。
 それは、日当たりといったら、窓やえんがわなどが思い浮かぶのでそういうところにいるんじゃないかと思った。【Y.N】

◆りんごは人のことで、人をりんごに例えたと思います。
 りんごに例えた人は山村暮鳥さんで、悩んでいて一人で日なたに転がって考え事をしていたのかなあと思います。
 なぜ、りんごに例えたかというと、これは予想だけど「自分は小さい存在」みたいな感じでりんごに例えたのかなあと思います。
 私は、こういうふうに感じました。【M.T】

りんご 山村暮鳥②

2011-10-08 17:22:00 | 授業実践
○ 「かかへきれないその気持」とあります。
  「この気持」は幸せ(あたたかい、楽しそう)な気持ちでしょうか。
   それとも、不幸せ(苦しい、つらい)気持ちでしょうか?
   理由と一緒に書きましょう。
  → 幸せ派 :11名
    不幸せ派: 9名

○ 机を中心に向けます。少数派の不幸せに感じた人たちから、意見を発表しましょう
 → 子どもたちは、私が指名せずに発表します。各々、起立して発表していきます。
   2人立ったら譲り合います。
<不幸せ派の意見>
 ・りんごが一つ、と聞いて、一人ぼっちのように思った。
 ・「かかえきれないこの気持」のところから、そう感じた。
 ・「かかえきれない」から楽しくない、又は、苦しいというようなイメージがわく。

<幸せ派の意見>
・嬉しい気持ちが、抱えきれないほどうれしいのかなあと思った。
・「かかえきれない」ほどうれしい気持ちがしているんじゃないかと思う。
・どんなにがんばってもかかえきれない位、たくさんりんごをもっているんじゃないか。
 だから、りんごが転がっているんじゃないか。
・転がっているりんごは、りんごの木の下でその木のりんごを食べたあとだと思う。

○ 友達の意見を聞いて、もう一度。「この気持」とは、幸せな気持ちでしょうか。
  不幸せな気持ちでしょうか。
 → 幸せ派 :7人
   不幸せ派:13人
 →友達の意見を聞きながら、考えが変わった子がいます。それはすばらしいことです。

○「日当たり」と「かかえる」を辞書で調べてみました。

  ・日当たり・・・日光のあたるところ。日なた
  ・かかえる・・・①腕の中に囲い持つ。
          ②囲い込む。
          ③かばう。
          ④人を雇い入れる。
          ⑤物を所持する。
          ⑥自分に課せられたものとして持つ。
           重責を担う。

○ 前半と後半を比べて、ちがいは何でしょう?思ったことを発表しましょう。
 →・前半は、幸せか不幸せかわからないけど、後半のところで幸せか不幸せかわかる。前半は不幸せだけど、後半の方はなんだか幸せな感じがする。
  ・前半と後半を比べて、前半は不幸のような感じで後半は幸せのような気がする。
   理由は、前半では「かかえる」という言葉で重責を担う、苦しそうだが、後半は、「日当たり」というところから暖かいイメージができるから。
  ・前半と後半を比べて、前半はかかえきれない不安があって、後半は日当たりにころがっているりんごを見て、少しだけ気が楽になった感じがするから。

○この詩を学習したことを作文してみましょう。

 ⇒ 何か重大なミスをして、落ち込んでいる。次は、自分の妻に死なれて一人ぼっちになった。
   すると、そこに一つのりんごが転がっていた。「同じだな、おれと。一人ぼっちなんだろ。お前も。」と思った。
   だけど、暗い自分よりもそのりんごの色はすごく明るかった。その明るさに元気づけられて立ち上がったと思う。
   ぼくは、はじめは、作者はりんごの木の下にいると思っていた。でも今は、家の中にいて、その家にあるベッドにねて落ち込んでいると感じる。
   その場所では、暗い世界しか見えなかったが、りんごに元気づけられて世界が明るく見えたと思う。
   りんごの色はものすごく明るい色だと思う。    【T.S】

 ⇒ 私は、はじめ「幸せな様子の詩だ。」と思っていた。
   でも、「かかえる」の意味が責任を課す、責任を担うということを知った時、「あれっ?これは幸せな様子じゃないぞ。」と考えた。
  「日当たり」とは日なた。つまり、温かくて明るいところにりんごが転がっていることが分かった。
   勉強しているうちに、この詩を書いた山村暮鳥さんは、暗い家のすみっこで落ち込んでいたのじゃないかと思った。
   その時に、ベランダの日なたに真っ赤なりんごが一つ転がっていて、元気づけられたんじゃないか。というイメージがわいてきた。
   だから、この詩は、前半は何かを抱え込んでいた=不幸せだった。
   でも、日なたに落ちたりんごを見て元気づけられた=幸せになれた、という詩じゃないかと考えた。【S.K】

教師のチカラ

2011-10-05 18:36:45 | 読書日記


◆『教師のチカラ』No.7が届いた。

 大変読み応えのある雑誌が世に出たと思う。

 http://www.kyousi-no-tikara.com/

 何というか、”熱”の伝わってくる文章が多い。

 単なる読者で終わるのではなく、感じたことを自分の実践に影響させたい。