奥野garden ~奥野ガーデン~

記録を残さなければ、
風のようにとんでいってしまう毎日。
授業も然り。
日々の実践等を記していきたい。

きらきら

2008-12-30 02:30:43 | 携帯メールから投稿
◆きらきらがかわいい場所がある。
 串間市の県南病院。
 クリスマス後、しかも午前中が雨だったということもあり、独り占めだった。
 宮崎との往復でストレスもあったであろう長男はおおはしゃぎだった。

串間に

2008-12-29 17:06:24 | なんやかんや
◆昨日、ようやく帰ってきた。
 明日、また、宮崎の実家に。
 片付けがいろいろとある。
 思い出の品などもあるだろう。
 全てかたをつけなければならない。

◆子ども達2人が、嘔吐下痢で苦しみながらも、がんばってくれた。
 ゆっくり休ませたい。
 近くを散歩した。
 自転車2台で散歩するのも久しぶりのことだ。
 
 
◆我が家の片付けもしよう。
 2008年がもうすぐ終わる。

何もかもが

2008-12-28 22:27:43 | なんやかんや
何もかもがいやになる日がある。


自分に最も近い人の死。

◆何をもって「生」、何をもって「死」と分けるのか。
 何年生きれば、よく生きたと言えるのか。
 どのような人生が、よい人生だったと言えるのか。
 そもそも、本望の死などあるのか。
 
 どのように生き、どのように死ぬのか。
 誰にもわからない。
 だから、精一杯生きなければならない。
 生きることがつらい時がある。
 生きることが楽しい時がある。
 どちらも半分半分。
 長い人生で考えれば、プラスマイナスゼロ。
 そんなことありはしない。
 
 つらいことが多い人生だったに違いない。
 楽しいことをどれだけできた54年だったといえるのか。
 たった54年で何ができたというのか。
 旦那の世話に、子育て。
 ようやく目処がたったのに。
 つかの間の休息。
 せっかく2人の孫が生まれたのに。
 なぜ、ここで、なのか。

 その人生に悔いが残っていないはずがない。
 
 目を開けずに、何もいわずに旅立った。
 言いたいことは山ほどあったにちがいない。
 聞いておきたいこともあったに違いない。
 それもかなわない。
 自分のやりたいことがあったにちがいない。
 
 その最期に悔いが残っていないはずがない。 

◆パチッ、パチッと、昔の家、昔の時間を思い出す。
 「ただいま」と帰る家に、その人はいた。
 よく笑い、料理のうまい人だった。
 そして、何より気遣いに長けた人だった。
 家のこと、家族のことに時間を使い、自分のことは二の次、三の次だった。
 寝るときに本を読み聞かせてくれた。
 ねるとき、私達子どもの将来のことを話してくれたことがある。
「ともが選んだ人だったら、どんな人でもいい。」
 その言葉がずっと頭に残っていた。
 今の奥さんはその言葉で導かれた人である。
 その奥さんとよく話していた。
 今からたくさんのことを教えてくれるはずだった。
 かなわぬことになった。
 でも、子どもの中にその意志は伝わっている。
 この体の中にいつまでも生きながらえる存在である。

◆今は、惟々、この方の渾身の生がまぶしい。
 

りんご 山村暮鳥3

2008-12-25 04:18:51 | 授業実践
◆・・・つづき

先:後半の2行を絵にしてみなさい。
  また、その絵にした理由も書きなさい。
子:       
<Aパターン>  <Bパターン>






※ 子どもたちからは、大きく分けて2パターンの絵がでてきました。
ちがいは分かりますね。

   ■Aパターン派
    ・・・日光が当たっている中、コロコロと転がっていると思ったから。
   ■Bパターン派
    ・・・ころがっているだから、終わっている。(転がった後)
先:2つの意見を聞いて、あなたの考えを書きなさい。
    ■Aパターン派
    ・・・★ころがっているということは、動いている。
   ■Bパターン派
    ・・・★「ころがっている」なら、日当たりからはみ出していると思う。
       ★Aの絵だと、「日当たりをころがっている」や「日当たりにころがってきた」になりそうだから。
       ★「ころがっている」ということは、動いているということもあるけど、日当たりにぽつんとある感じもする。何となくだが、「一つ」とあるから動いていない感じがする。
       ★ころがっていたら、「ころがってくる」や「ころがっていく」を使うと思ったから。
 
※ この辺りの意見には、成長を感じます。文中の言葉に注目して考えをもてていることが立派です。

先:先生の考えもBパターンです。では、日当たりに置いてあるりんご、りんごは「幸せ」そうですか?「不幸せ」そうですか?
子:「幸せ」・・・・・・6人(日当たりであたたかそうだから。スポットライト。)
「不幸せ」・・・・14人(ぽつんと一つ、だから。さみしい感じ。)
先:どちらとも「なるほどな。」とうなずける意見ですね。
  先生はどちらかというと、「不幸せ」そうだと考えます。無造作にたった一つだけ置かれてある林檎は、寂しい感じがするからです。
先:この詩は、何か別のものを「林檎」に例えているのではないか、と思います。
  例えば、□に私と入れて読んでみましょう。
子:(読む)
先:「私が一つ」では、少し変です。
どう言い換えると良いですか?
子:私が「一人」。
先:それで、もう一度読みます。はい。
子:(読む)
先:「林檎」の代わりに別の言葉を入れても、詩の意味はわかります。
 「林檎」が他の意味を表していると考えることもできます。
  こういうのを「象徴」って言うのです。言ってみて。
子:象徴
先:難しいけれど、ノートに書いておこう。
先:とっても大きな責任ある仕事、又は負担を背負っている時、ふと日当たりを見ると、りんごが転がっている。たった一人、スポットライトを浴びているよう。この林檎と同じだな。
  そう思って書いた詩なのかもしれません。
最後に、今の先生の考えについての意見を書きなさい。「賛成意見」でも、「先生に反対意見」でもいいですよ。
子:



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時間の使い方

2008-12-24 20:40:00 | 授業実践
◆私は、学期末整理になると、時間の使いか上手になる。
 これはどうしてだろう?
 「焦り」ではなく、「最善」を意識しているからだ。
 現状で一番よい選択肢を準備し、選び、実施出来ている。
 忙しい時ほど、それができる。
 抜けもあるのだが、、。

◆つまり、
 これだけのことをどうして今までやっていなかったのか。
ということである。
 今できるのならば、それより前からやり続けていくことは可能である。
 時間を有効に使うこと。
 これが課題だ。
 
◆上のレベルに行くには、
 「継続」
がキーワードである。
 これは、子ども達にもよく話すことだ。

 成功するためには、続けることが一番大変であり、一番の近道である。

 自分自身にも言い聞かせたい。

◆今日は、クリスマス・イブ。
 我が家は、いつもと変わらず8時前に就寝。
 明日は、学級で「鍋パーティー」。
 奥野ガーデンの野菜を堪能する。


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熱中経験

2008-12-24 05:13:41 | なんやかんや
◆向山洋一氏はいう。
 産経新聞の連載より。
========ここから==================
熱中経験が子供を救う
 親がゆっくりやってみせて、励まし、褒めながら育てると子供は大切なことを学び取っていく。心が安定し、新しいことを学ぶことに強い関心を持つようになる。
 言葉だけで教えたり、できないことをしかったりすると逆の現象が生じる。心は不安定になり、新しいことを嫌い、なげやりな態度を身につけてしまう。
 朝食で座る位置、使う食器、食事の順番、片づけ、デザートの分配、すべて大切な学習である。幼児は「ものごとの秩序、順番、きまり」をまず学び、視野を広げていくのだ。
 この教育は両親がすることになる。一生を貫く教育がここにある。家庭教育の要だ。
 3歳までにこうした家庭教育をしていれば良い子に育つ。しかし、入学前までにもう1度チャンスはある、とモンテッソーリの研究者、相良敦子先生(エリザベト音楽大教授)はいう。
 その時期に「大人の動作」「兄弟の動作」に強い関心を持つことがある。洗濯ものをたたむ、食卓の上を片づける、ひもを結ぶなどだ。子供によって違う。
 強い関心を持った事象を3時間も4時間も熱心にやることがある。1回でも体験すると、3歳までに学びそこなったことを克服するのだ。そのためには親の温かい配慮が必要となる。
 1年生プロブレムと呼ばれる走りまわる子は、家庭教育の欠落の中から生まれたのである
===========ここまで===============

◆我が家の3才児もなかなか手強くなってきた。
 様々なことを教えるにつけ、向山氏の文章を思い浮かべる。
 熱中することの喜びを味わわせたい。
 一時期、数字に熱中し、漢字に熱中していた。
 今は、何だろう???


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知識とは何か。

2008-12-24 02:22:05 | なんやかんや
◆「知識」とは、なにか。
 ガラリと「それまでの自分が変わる」と表現して良い。
 論語に、
 「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
とある。
 自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬ。
 そういう意味を含む。

◆「癌の告知」はそれに近いのかもしれない。
 自分が癌であることを知るとは、それまでの自分が変わってしまうということを意味する。
 私達は、それほど「死」を身近には感じていない。
 しかし、
 「残り半年です。」
と、告知されたならば、どのように残りの人生を生きるか必死になって考えるだろう。
 ムダなことはできないからだ。

◆勉強することはマニュアルを頭に入れることだ、と勘違いしたらいけない。
 「知る」ということは恐ろしいことだ。

◆以上、養老孟司先生の話をもとに書きました。


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りんご 山村暮鳥2

2008-12-23 15:15:44 | 授業実践
学級通信より。

◆12月4日に行った詩の学習です。
「山村暮鳥」の文章は、暗唱や音読などで結構読んでいます。
 この「りんご」は、教科書にない詩ですが授業してみました。

◆私が黒板に書くスピードに負けないよう、ノートに写していきます。写すのもだいぶ速くなりました。
 学級で、新しい文章を目にしたときには、まず何回も読みます。(これは、どの教科においても一緒です。読まなければ何もわかりません。)変化を付けて6回ほど読ませました。

◆さて、読み取りです。(先・・・オクノ先生、子・・・子どもたち)
先:この詩を2つに分けるとしたらどこでわかれますか?
  線を引いて分けなさい。
 ※ これは簡単です。黒板で確認すると全員が正解でした。
  「かかえきれないこの気持」が前半のおわりです。
先:前半部分を読みます。はい。
子:(読む)
先:前半の4行は何について書かれているのですか?
子:気持ち
先:「気持ち」ですね。このとき、作者は「幸せ」そうですか。
  それとも「不幸せ」そうですか?
  ①として、ノートに書きなさい。書けたら、持ってきます。
 ※ これは意見が分かれます。どちらかというと「幸せ」が多かったです。  
  「?」の子も数人いました。
先:先生も考えてみました。辞書で言葉を調べたら分かります。
  例えば、「抱えきれない」とあります。②として、これを調べてみましょう。  何とひけばよいですか?
子:抱える   (作業)

 ※「抱える」・・・ア 手や胸で支えるようにもつ
          イ やっかいな世話・仕事をもつ
          ウ 人をやとう

先:このア~ウのうち、この詩でいう「抱える」に一番近いのはどれでしょうか。
子:(イがほとんど)
先:③もう一度、この時の作者は「幸せ」そうでしょうか。
  「不幸せ」そうでしょうか。
 ※ 今度は、「不幸せ」が圧倒的に多くなりました。
先:先生も「抱えきれない」の意味を考えると、不幸せではないか、と考えます。
  何か負担になるもの・仕事で、何かせっぱつまっているのかもしれないね。
先:では、次。後半部分はどうでしょうか。
  後半だけ読みます。さんはい。   子:(読む)
先:後半は、何について書かれているかな。
子:林檎
先:林檎だね。
  最後の行、「日当たり」って言葉が気になるね。
  どんな意味か調べてみよう。

 ※「日当たり」・・・日光が当たること、またその場所。ひなた


・・・つづく。

なお、この授業では、千明浩己氏、川上勇人氏実践を参考にさせていただいた。
修正追試である。

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調理実習!

2008-12-23 11:34:20 | 授業実践
◆家庭科で調理実習を行った。
 市川先生の授業の翌日である。

◆1食分を作る。ということで、様々な授業が考えられる。
 今回は、教科書のものも作ってよい。乗っていないものも作ってよい。とした。
 しかし、しばりはある。
 ①「和食」「洋食」をはっきりさせること。
 ②赤・黄・緑のバランスをみること。
 ③こと細かく調べ、レシピを作ること。
である。
 さすがに、長時間かかる料理は出てこなかった。
 
◆レシピを書かせた。
 食材をそろえるさい、学校にある「奥野ガーデン」に育っている野菜を使って安くあげた。
 レタス・大根・ブロッコリー・水菜などである。
 実家からは、ジャガイモ・小松菜・ほうれん草・キャベツも持ってきた。
 
◆家庭科室の前の机に、ずらりと食材を並べた。
 部屋に入ってきた子どもたちから歓声があがった。
 「ゴチになります」みたいに、
 「今日はこれらの食材で作っていきまーす!!」
と声高らかに言った。
 自然に拍手が起こる。

◆ハプニングあり、足りない食材あり、焦げ付きあり、、、
 しかし、楽しい時間だった。



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筆力をつけたい。

2008-12-23 11:31:06 | なんやかんや
◆すごくきれいな文章で美しい。

 田口ランディさんのブログより。
==================================
私が死ぬときは冬がいい。
できれば冬に死にたい。冬は自分の季節だと思う。
白い冬の陽のさす朝に、湯気がもうもうとたつ朝風呂に入りたい。
そしてさっぱりして死にたい。
冬の朝風呂というのは、ほんとうにいいものだ。
そのためだけに湯河原に住んでいると言ってもいい。
大きな湯船に燦々と朝の光がさし込んでいる朝風呂は、もう現世におけるあの世である。
白い蒸気がたつ湯船は命の寝床だ。
ぬくぬくしたお湯につかって、水面が朝陽を照り返し天上で綾になって揺れているのを見るのが大好きだ。お湯に濡れた石の感触が大好きだ。風呂場にさし込む朝陽を見ただけで、泣けてくる。湯気と光の産着に包まれて生まれ変わった気分になる。
冬の朝風呂、……ああ、たまらん。
おまけにゆず湯である。
===========================================

◆このように描写できる筆力をみにつけたい。
 大学のときに、妻に紹介された田口ランディさん。
 みなさんは、彼女のブログをご存知か?
 私は、毎日見る。




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学級通信

2008-12-22 21:06:01 | 授業実践
◆学級通信を書く力がまた出てきた。
 来週の授業日は4日間だが、7枚出る予定。
 今日は2枚出た。

◆読む側にしてみると、きっと、嬉しくないだろう。
 それでもよいのである。
 今は、「書きたい」のだ。
 
◆「書くことは考えること。」
 そう言う人がいる。
 少し違うと考えている。
 書くことは、「今、自分が何を言おうとしているか分かろうとしている」「確かめている」のだ。
 少なくとも私はそうだ。
 文章を書くことで自分が何を言おうとしているのかが分かる。
 書いてみて、「ああ、ちょっと違うよな。」とか「これって言い過ぎだよね。削ろう。」とか自分の許容範囲をはかる。
 「これならば、まあ、いいだろう。」とその場をおさめる。
 「考えること」といえばそうだ。が、「自分の言いたいことを確かめている」と言った方がニュアンスが近い。

◆今、自分が言いたいことを、通信という形で書いている。
 受け止め方は自由。
 私は、自己満足。
 そう、学級通信は、教室の出来事を媒体にして私のメッセージを伝える手段なのである。

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有限

2008-12-22 20:52:21 | なんやかんや
◆内田先生は言う。

・・・自分の存在がこの世界から消えてゆくそのときを「消失点」に擬して、それに基づいて自分がこのあと残された限られた時間の中で、何をするのか、何に優先的に有限のリソースを投じるのかを具体的に考えるというのは、とてもたいせつなことである。
「有限の」というところがキモなのである。・・・

・・・あと三日で死ぬという人間に向かって「おまえ、生き方変えろよ」と説教する人間はいない。
 あと三年で死ぬという人間に向かっても似たようなものである。
「残る時間は思い残すことなく、好きに生きてくれ」と私なら言うであろう。
 では、あと三十年で死ぬという人間に向かってはどうか。
 この場合には、私なら「生き方変えろよ。いまからでも遅くないからさ」と言いそうな気がする。
 では、「あと三年で死ぬ人間」と「あと三十年で死ぬ人間」のあいだのどこにボーダーラインはあるのか。
 どこで「うるさく説教をしてよい残り時間」と「もう好きにしてくれとあきらめる残り時間」が区切られるのか。
 区切りなんかない、と理論的な人は言うであろう。
 しかし、実際には「区切りがある」。
 だって、現に私は「うるさく説教する相手」と「もうしない相手」をちゃんと区別して対応しているからである。
 どうやって識別しているのか訊かれても私には答えようがない。
 でも、ちゃんと識別しているのである。
「有限の時間の中で生きる」というのは「そういうこと」である。・・・

◆「生きる」ことをこのように考えたい。
 「時間」は限りなくあるように思えるが、そうではない。


◆「有限」を今、かみしめている。


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くしま学6

2008-12-22 20:30:59 | 授業実践
◆取材があった。
 24日、朝日新聞が来られる。
 嬉しい限りだ。
 子ども達の力作パンフレットをみていただこう。
 そして、くしま学について、串間の観光について、熱く語ってみたい。

◆くしま学の理想とするところは大変すばらしい。
 この学習を発信していくことも一つ、大きな学習である。

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2008-12-21 08:45:16

2008-12-21 08:45:16 | 読書日記
百ページほど読んだ。
納得する話がたくさんある。
難しい言葉を使っていらっしゃる。まだわたしのような者には深く読み取れない部分があるが言わんとすることは伝わる。
文章のリズムもわたしにあっている。

根本を追求し、原理を明らかにしたい。
そいいう命題をもっている私には響くページがある。
例えば家族。
家族とはそもそも何か。他の人間となにがちがうのか。昔と今の家族にちがいがあるのか。であればどのような違いがあるのか。問題が発生しているのか。

答えがある。
一人の考えで書かれていないことは、引用文からわかる。なるほど!と相づちがうてるのは理解が深化したからである。
先日の市川先生の話につながっていく。
流れが自分にイメージできた時、人は相づちをうつ。