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6月のニュースレタ―

2015-06-16 06:38:29 | 時代を視る

 

時 代 を 視 る

  WIN WIN代表 赤松良子

   ニュースレター No.183

                   2015.6.11

 

 

6月はじめ、関西へ旅をした。堺と京都へ。私は大阪に生まれ、育ったからなじみ深く、良い旅だった。

堺といえば、与謝野晶子。ティーンエージャーのはじめ頃からインプットした歌はいくつもあるが、

最近になってこんな歌を知った。「男をば罵(ののし)る 彼ら子を生まず 生命を賭けず 暇(いとま)

あるかな」すごい、こわい。13人も子供を生んだ人だから、ずっと安産だったのだろうと思っていた。

大きな間違いで、「体中の骨が折れるかと思うほど苦しく、猪が吠えるような泣き声をあげて産んだ」

のだという。

やれやれ明治時代~大正時代だもの、産児制限の知識も無ければ、中絶なんてとんでもない、

子供を生むのは命がけ。それなのに男は? ののしりたくもなるでしょう。

堺市の女性が、晶子の像に捧げたもう一つの詩、「山の動く日、来る」はフェミニストとしての晶子への

オマージュ。「女が目ざめて動く」の思想の源泉は、女性差別への怒りでしょう。パリへ行ったのは

とても良かった。ヨーロッパの女性達の姿をその目で見た。第一次世界大戦の前ではあっても、

日本の女性と比べたらずっと自立し、生き生きと学び働いていたのだ。婦人参政権運動の勇ましさ

も見て感じるところがあったのではないか。それを見た目で帰国後日本の女性達を眺めて、これは

いけないと思ったのではないか、それがなかったら、いくら平塚らいてうから「青鞜」への寄稿を依頼

されても、「山の動く日来る」が書けるわけはなかった。日本の女性よ、動き出せ、とフェミニズムの

洗礼を受けた彼女は思ったのだ!

そして最後に(作った時代は早いが)「君死に給うこと勿れ」の思いの源流は?これは生命の大切さ、

戦争への嫌悪といえるであろう。国民の多くが、旅順の城の攻撃のために生命を落としていくのが

耐え難いのである。

「ああ弟よ、君を哭く」は何も一人の弟の身だけを云っているのではない。

だから明治の人達は怒った。平成の我々は、大いにこの詩を讃えようではないか。

それでも彼女は、失業してイトマをもてあまし、うつ病っぽくなった夫 寛を元気づけようと、当時誰もが

あこがれた(今もかな)パリへ送り出す。そうしたら、今度は淋しくてたまらず、七人の子供を置いて、

独りフランスへ向かう。家も育児も「かせぎ」も肩にかかっていたのに、よく放り出せたと思う。

だが、これは始めてのことではない。二十歳(はたち)の頃の堺を捨てた時の旅。恋人を追って東京へ、

知らない土地へ。新幹線なんか勿論ない、何十時間かかったのだろう。

生まれて初めての汽車の旅! この女性のこのエネルギーの源泉は何だったのだろう、と私は幾度も

考えこんだものだ。「美」に対するあこがれかなと思っていた時があった。

「清水へ 祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人 みな美しき」が一番始めに覚えた歌だから無理もない。

でもこの人はもっと激しいと知り、その激しさの源泉は?と考えた。

それは「恋」でしょう。或いは「寂しさ」か? 

「情欲」とよんだ方が正確な表現になるか?

                                                   

                                                          


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