その頃、砦の屋上階では、アレッチェの手で荒々しく肩を掴み上げられ、体の半分以上を手すりから宙に乗り出させられた格好のマルセラが、精一杯に考えを巡らせていた。
(作戦では、今頃、アンドレス様の軍が、この砦の海側の壁を登っているはずだわ。
ああしてロレンソ殿がアンドレス様を装っているのも、ここにいるアレッチェたちの注意を引きつけて、アンドレス様たちが砦に乗り込んでくる時間を稼ぐため。
ならば、私も、一刻でも時間を稼がなきゃ…!)
唇を噛み締め、気合いを入れ直すかのようにして、後手に縛られた腕にぐっと力を込めた。
(トゥパク・アマル様も、叔父様も、きっと見てるわね…こんな情けない姿……!
だけど、私だって、こんなところで、こんな奴に、本当に突き落とされるわけにはいかない!)
とはいえ、己の全身は今もアレッチェの強靭な指で易々と持ち上げられ、手すりの向うに大きく押し出されている。
アレッチェが己の肩を掴み上げている手をひとたび離せば、衆目の面前で、30メートル以上も下方の地上に、真っ逆さまに転落することだろう。
アレッチェにしてみれば、捕虜を、一人、処刑するにすぎず、この男ならそれくらいのこと、何の抵抗も無くやってのけるに違いない。
それが分かるだけに、マルセラの本心は、身の凍る思いであった。
それでも、彼女は意を決すると、背後に立つアレッチェの方へ、キッ、と首を回した。
【登場人物のご紹介】
≪マルセラ≫(インカ軍)
トゥパク・アマルの最も傍近い護衛官である重臣ビルカパサの姪。
アンドレスやロレンソと同年代の年若い女性だが、青年のように闊達で勇敢な武人。
女性ながらもインカ軍をまとめる連隊長の一人。
此度の作戦では、昨日の英国艦隊とスペイン艦隊の戦況を陸上のインカ軍陣営に報告するため、少人数の部下と共に沖合の小島に渡っていたのだが…。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊(スペイン王党軍)総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
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