視力は効かないながらも、砦外に配されたビルカパサ軍が、敵の大軍によって、この砦の方角へ追い立てられて来るところであろうことは、迫り来る激しい喚声、喧噪、馬の嘶(いなな)き、銃声や砲声などによって察することができた。
やはりビルカパサは、己が命じた作戦通り、砦の射程内に向かって今も偽装退却を続けているのだ。
そう悟ると、トゥパク・アマルの心は再び凍りついた。
ビルカパサたちは、砦に侵入を果たしたトゥパク・アマル軍やアンドレス軍が、首尾よく要塞砲を占拠している真最中だと、現在も思い込んでいるに違いない。
確かに、当初の作戦では、ビルカパサ軍が偽装退却によって砦外の敵軍を要塞砲の射程内に誘(おび)き寄せ、トゥパク・アマルたちが占拠した要塞砲によって、射程内に引き入れた敵軍を迎撃する予定であった。
そうでもせねば太刀打ちできぬほど、砦外に配された敵軍の武装が強壮であったからだ。
しかしながら、今や、状況は全く変わってしまっているのだ。
このままインカ軍本隊がビルカパサに率いられて砦の方へ偽装退却を続けても、トゥパク・アマルたちによる要塞砲の援護など無いばかりか、砦外の敵軍によって砦の真下まで追い込まれ、逆に逃げ場を奪われたまま、全軍壊滅させられることになりかねない。
トゥパク・アマルの横顔を冷たい汗が伝い流れた。
(ビルカパサ、ならぬ…!
そのまま、砦に向かってきてはならぬ。
手遅れにならぬ前に、本隊を退却させてくれ。
我々もろとも一網打尽にされてしまう前に、せめて、そなたたちだけでも逃げてくれ)
そう胸の内で叫んだ己の言葉が、ビルカパサに届きようもないまま己の中で虚しく消えていくのを、トゥパク・アマルは絶望的な思いで感じていた。
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪ビルカパサ≫(インカ軍)
インカ族の貴族であり、トゥパク・アマル腹心の家臣。
トゥパク・アマルの最も傍近い護衛官として常にトゥパク・アマルと共にあり、幾度と無く命を張って主を守ってきた。
現在は、砦内に進軍したトゥパク・アマルに代わり、砦外に配されたインカ軍本隊を率いている。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊(スペイン王党軍)総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
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