Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

大野一郎。

2005年09月23日 01時09分21秒 | Weblog
生年月日はわからない。
趣味も知らない。
でもただ一つだけ言えることがある。
それは彼が俺の祖父だということだ。

今日の夜8時24分、母親からメールが来た。
俺はバイトだったので実際に見たのは9時過ぎだったが。
「おじいちゃんが危篤だから、早く帰ってきてね」
という内容だった。
そして8時40分頃、祖父は他界した。

はっきり言って俺は祖父が嫌いだった。
理由はわからない。
小さい頃はよく遊んだし、
けっこうなついていたと思う。
でも歳をとるごとにだんだん毛嫌いするようになった。
考えられる原因は一つしかない。
俺の両親だ。
別に両親のせいにするわけじゃないけど、
俺の両親は祖父のことを嫌っていた。
俺が小さいときから。
俺の名前は「哲朗」。
祖父の名前は「一郎」。
名前がかぶらないように、
あえて「朗」にしたのだという。
それなら最初から別の名前にすればいいのに。

祖父はわがままだった。
そして自己中だった。
両親はそんな祖父の性格をひどく嫌っていた。
彼は昔、税理士としてバリバリ稼いでいたそうだ。
自分の事務所も持っていて、
かなり贅沢をしていたらしい。
ただ、そのときに稼いだお金はすべて肉とゴルフに消えたようだ。
その代償かどうかは知らないが、
祖父は重度の糖尿病に悩まされていた。
結局、足腰が弱り、5年前から同居するようになった。
時間が経つにつれ、どんどん祖父は弱り、
最終的には歩けないほどにまで足は使い物にならなくなった。
それでも彼の傲慢で自己中な性格は変わっていなかったようだ。
両親は日々、祖父の世話をしながら、イラついていた。
そんな両親を小さい頃から見てきた俺は、
無意識のうちに彼を嫌いになったのかもしれない。

でも俺も個人的な感覚で彼を嫌いになったこともある。
俺は以前、自分の容姿をとても嫌っていた。
別に誰かに何を言われたわけでもない。
ただ自分の醜い顔が大嫌いだった。
どうせなら誰もがうらやむような美しい容姿で生まれたかった。
そしてその醜い顔は祖父に似ていたのだ。
俺は彼をひどく恨んだ。
彼の血が体を流れているだけで吐き気がし、
その血を追い出そうと
必死にカッターで腕を切り刻んだこともあった。
まあ2年ぐらい前だけど。
一種の精神病だったかもしれない。
うちは隔世遺伝らしく、
顔と性格に関しては俺はまったく両親に似ていない。
祖父母に似ているのである。
それも父方。
大野家の血は強いらしく、
母方の面影はまったくない。
母方に似れば、もう少しマシな顔だったと思う。
もちろん性格も。

そんなわけで、俺の祖父に対する思いを考えると、
俺は彼が死んでもきっと何も思わないだろうと、
常に思っていた。
でも今日、母からメールが来て、
俺はすぐにバイト先を飛び出した。
そして家に着いたのは9時30分。
俺が祖父の死を知ったのはその時だった。
涙が出た。

果たして祖父は幸せな人生を送れたのだろうか?
戦争を体験し、老後は肩身狭い思いをし、
本当に幸せだったのだろうか?
俺が涙を流した理由は、
祖父が死んだことが悲しかったということもあるが、
祖父がみじめで同情したというのもある。

祖父は茨城出身だ。
だから親戚や古くからの友人の多くはそっちに住んでいる。
東京で頼れるのは俺らかわずかな親戚だけである。
父には姉がいるが、仙台に住んでいるため、
基本的にはノータッチ。
ほとんど俺の家族が面倒を見ていた。
といっても会話らしい会話はなかったと思う。
うちは両親共働きなので、
昼間は家に誰もいない。
朝食は朝母親が作るから出来立てを食べれるが、
実は昼食もそのとき作っておいて、
母が出勤する前に祖父の部屋へ持っていき、
お昼になったら食べてねといった感じだ。
しかも母は帰宅する時間も遅かったため、
夕食をとる時間は不規則だった。
会話も父や母が布団をしきに行ったり、
薬を飲ませてあげるときに少しするだけで、
後は何もなかったような気がする。
まあ両親は仕事で疲れているし、
彼らは祖父を嫌っていたから、
話したくないのはわかっていたが。
たまたま俺が家にいるとき、
祖父の様子を見たことはあるが、
ほとんどテレビを見ているか、寝ているかのどちらかだった。
まあ足はその機能をほとんど失っていたし、
移動するときは手を使ってお尻をすらしていたぐらいだから、
それ以外、できることはなかったのだろう。
それでも週に何回かはホームヘルパーの人や、
老人ホームの人が来て、祖父としゃべっていたようだ。
それが唯一の彼の楽しみだったのかもしれない。
時に笑い、時に泣いてたそうだ。

祖父は孤独だったと思う。
両親も本気で嫌っていたかどうかはわからないが、
少なくとも俺にはそう見えた。
1日中、家にいて、トイレに行くこともできず、
ただひらすら時間が経つのを待つだけの生活。
彼が生きているときは何も思わなかったけど、
今考えると、本当にかわいそうだと思う。
でも俺は何もしなかった。
バイトや学校の課題、サークルなどがあって、
時間もそんなにあるわけじゃなかったけど、
それは言い訳でしかない。
もっと話してやればよかったと今少し後悔している。
祖父はトイレに行けなかったので、
部屋は臭かった。
だから俺はあまり近づかなかったし、
呼ばれてもシカトしたりしていた。
でも祖父の立場になって考えてみると、
それはとても寂しいことだ。
自分は動くことはできない。
それでも何かを求めることはある。
そんなとき、家にいることがわかっているのに、
誰も来てくれない。
どれだけ寂しかったことだろう。
そんなことを以前考えたことがあった。
まだ祖父が生きているときに。
でも結局行動に移さなかった。
めんどくさかったし、
やっぱり俺は祖父が嫌いだった。
でも、今さら何を思おうが、すべては遅すぎるのだ。
彼はもう、いないのだから。

19日、祖父は俺を呼んだ。
「てっちゃん」と。
俺はそのとき洗濯物を干していた。
祖父はボケていたから、
俺は適当に「何?」と返事をした。
「何かあったの?」と祖父は聞き返した。
「別に」俺はそっけなく応えた。
結局、それが最後のやりとりとなった。
20日、俺がディズニーランドに行っている間、
祖父は背中の痛みを訴え、病院に運ばれた。
そして今日、逝ってしまった。

俺が最後、祖父とちゃんと言葉のキャッチボールをしたのは、
やはり10年以上前になってしまう。
今日死ぬことがわかっていれば、
もっと接したのに。
って思ったけど、そんなギリギリのやりとり、
思いやりでもなんでもないよね。

つい4日前までいつものように部屋にいたのだ。
俺の名前を呼んだのだ。
それがあっという間にいなくなってしまった。
本当にあっけない。
人の死は。
なんだかんだで祖父は祖父なりの人生を歩んだはずだ。
80年以上もこの世界で存在していたはずだ。
それなのに死ぬときはほんの一瞬。
なんて、なんて切ないのだろう…。
なんてやりきれないのだろう…。
俺がからんでやれば、
もっと長生きできたかもしれないなぁ。

結局祖父が死ぬその瞬間を看取った人はいない。
両親は仕事で、俺はバイトだった。

俺は両親が死ぬその瞬間には立ち会いたいと思う。
俺が定年で退職した後なら、
きっと大丈夫だと思う。
でも、俺がまだバリバリ働いている頃だったら、
両親の死に立ち会えないかもしれない。
仕事だったり、下手したら海外出張かもしれない。
今のような生活をしていたら絶対後悔する。
今はまだたくさん迷惑かけてるけど、
3年後、就職して、ある程度貯金もたまったら、
なるべく早いうちに何かしてあげたい。
死んでしまったら、もう何もできないのだから。
迷惑かけっぱなしで、それに対して何もしてあげないで、
他界されたら、俺はただのバカ野郎だ。

父方の祖母は10年以上前に病気で亡くなっている。
これで父の両親はいなくなってしまったわけだ。
今は何とも無いようなそぶりをしているけど、
きっとすごく寂しいんだろう。
親父とは小さい頃は遊びまくっていたけど、
今ではまったく何もしていない。
今度からんでみようと思う。



そういえば、祖父はよく両親に悪態をついていたし、
ボケていてわけのわからない発言もしていた。
知り合いでも誰だかわからないと言っていた。
でも、祖父がどんな状態であれ、
彼は俺のことだけはしっかり認識していた。
笑顔で「てっちゃん」と呼んでくれた。
でも俺は………。
ごめんね、おじいちゃん。






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