5月から始まった三田論もようやく今日、終えることができた。
ことみさんやじょーしんさんから、
チュンゼミのことや三田論のことはいろいろ聞いていたけれど、
初めは全然実感なかった。
でも今終わって「ああ、なるほどね」って思える。
よく後で振り返ると短く感じると言うけれど、
この三田論はとても長く感じた。
もちろん5月から始まって、気づいたらもう11月で、
確かに早かったってのもあるけど、
これまでの出来事を思い起こすと、
本当にいろいろあって、長かったなーって思う。
最初はテーマ全然決まらなくて、
何とか奥山と考えて「子ども」を提案して、
消されそうになったけど、
いろんな人に助けてもらいながら存続させることができた。
俺は当時風邪で何もできなかったけれど、
そのときのみんなのがんばりが
今の俺を俺たらしめていると思う。
メンバー決めでもめて、
コーディの定義でもめて、
俺はそーゆーの苦手だから我関せずみたいなところもあったけど、
当時のゼミは毎日が戦争だったと思う。
ホント胃がキリキリしたし。
少子化をかなと始めて、生殖医療、親権、少年法、経営論と
いろんな畑を歩いた。
でも自分の手から離れるとけっこう議論わからなくなったりするんだよね。
興味なくなったりするとすぐ放り投げるクセがある俺は、
途中で論文の意味を見出せなくなり、
また、まわりの優秀さについていけなくなり、
しばらく放浪していたときもあった。
ゼミのパート員がどれほどの仲なのか、
最初はまったく興味なかったけれど、
夏休み、夜中にうちまで来てくれたことには驚いた。
俺が思っている以上に、みんな俺のことを考えてくれていて、
うれしかった。
「子どもパート」はみんなホントに子どもみたいで、
いっしょにいて楽しかった。
集まっても議論進まないわ、合宿してもすぐ話それるわで、
「慣習パート」のチームワークと比べたら
お粗末な部分もあったかもしれないけれど、
逆に俺はそんなところが好きだった。
みんながそれぞれの生活を持つ中で、
論文を無理矢理強制することはなく、
けっこう自由な雰囲気で書けたと思う。
特に俺なんかホント自由人で、
自分のペースで常に進んでいた。
いっぱい迷惑かけたと思うし、
マジないわって思われていたかもしれないけれど、
そんな俺を受け入れてくれたパート員には心から感謝している。
俺は頭悪いし、何もできないし、
この論文で何を残せたのか、
またこれを通じて何がどう成長したのかわからない部分もある。
もしかしたら何も変わってないのかもしれない。
まだ論文で謎な部分もあるしね(笑)
でも人生で無駄なことなんて何もないように、
この半年間、このメンバーで論文を書けたことは誇りに思うし、
何よりもとてもいい思い出になった。
こんな長期間のプロジェクトに参加したのなんて初めてだし、
俺の人生の財産となるだろう。
本当に、本当にいろいろあったけど、
俺はこのパートだったから半年間やってこれたと思う。
いっしょに論文を書いてきた子どもパートのみんな、
石塚、すばる、美沙子、かな、いろいろごめんなさい。
そして本当にどうもありがとう。
石塚の頭のキレが、すばるの面白さが、
美沙子の雰囲気が、かなのメリハリが、
論文を書く上での励みになりました。
先輩たちや先生にもいろいろ助けて頂いて、
とても感謝しています。
ことみさんやじょーしんさんから、
チュンゼミのことや三田論のことはいろいろ聞いていたけれど、
初めは全然実感なかった。
でも今終わって「ああ、なるほどね」って思える。
よく後で振り返ると短く感じると言うけれど、
この三田論はとても長く感じた。
もちろん5月から始まって、気づいたらもう11月で、
確かに早かったってのもあるけど、
これまでの出来事を思い起こすと、
本当にいろいろあって、長かったなーって思う。
最初はテーマ全然決まらなくて、
何とか奥山と考えて「子ども」を提案して、
消されそうになったけど、
いろんな人に助けてもらいながら存続させることができた。
俺は当時風邪で何もできなかったけれど、
そのときのみんなのがんばりが
今の俺を俺たらしめていると思う。
メンバー決めでもめて、
コーディの定義でもめて、
俺はそーゆーの苦手だから我関せずみたいなところもあったけど、
当時のゼミは毎日が戦争だったと思う。
ホント胃がキリキリしたし。
少子化をかなと始めて、生殖医療、親権、少年法、経営論と
いろんな畑を歩いた。
でも自分の手から離れるとけっこう議論わからなくなったりするんだよね。
興味なくなったりするとすぐ放り投げるクセがある俺は、
途中で論文の意味を見出せなくなり、
また、まわりの優秀さについていけなくなり、
しばらく放浪していたときもあった。
ゼミのパート員がどれほどの仲なのか、
最初はまったく興味なかったけれど、
夏休み、夜中にうちまで来てくれたことには驚いた。
俺が思っている以上に、みんな俺のことを考えてくれていて、
うれしかった。
「子どもパート」はみんなホントに子どもみたいで、
いっしょにいて楽しかった。
集まっても議論進まないわ、合宿してもすぐ話それるわで、
「慣習パート」のチームワークと比べたら
お粗末な部分もあったかもしれないけれど、
逆に俺はそんなところが好きだった。
みんながそれぞれの生活を持つ中で、
論文を無理矢理強制することはなく、
けっこう自由な雰囲気で書けたと思う。
特に俺なんかホント自由人で、
自分のペースで常に進んでいた。
いっぱい迷惑かけたと思うし、
マジないわって思われていたかもしれないけれど、
そんな俺を受け入れてくれたパート員には心から感謝している。
俺は頭悪いし、何もできないし、
この論文で何を残せたのか、
またこれを通じて何がどう成長したのかわからない部分もある。
もしかしたら何も変わってないのかもしれない。
まだ論文で謎な部分もあるしね(笑)
でも人生で無駄なことなんて何もないように、
この半年間、このメンバーで論文を書けたことは誇りに思うし、
何よりもとてもいい思い出になった。
こんな長期間のプロジェクトに参加したのなんて初めてだし、
俺の人生の財産となるだろう。
本当に、本当にいろいろあったけど、
俺はこのパートだったから半年間やってこれたと思う。
いっしょに論文を書いてきた子どもパートのみんな、
石塚、すばる、美沙子、かな、いろいろごめんなさい。
そして本当にどうもありがとう。
石塚の頭のキレが、すばるの面白さが、
美沙子の雰囲気が、かなのメリハリが、
論文を書く上での励みになりました。
先輩たちや先生にもいろいろ助けて頂いて、
とても感謝しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます