明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

金曜日は会話の日:ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その16)コロナは結果がすべて

2021-01-22 13:48:16 | 今日の話題

ワクチン接種がいよいよ現実のものとなってきて、河野行革大臣がワクチン担当となり、力量を問われることになった。大臣は医療関係者を一番に打つとしていると発表した。だが問題は、国民がワクチンに疑問を感じていることである。元々ワクチンに懐疑的な欧米では接種対象なのに打たないという人が多く出て、予定接種率が上がっていないという。マスコミで接種によるアナフィラキシー・ショックの報道が出ているのも不安を加速しているようだ。

1、ワクチンは重症化を防ぐ

で、先ず私の提案は、最初に官邸及び自民党国会議員、厚労省役人とその他ワクチン推進の担当役人全員が打つ。先ず実験台として「やれやれ言っている張本人」が率先して打つべきだ、というのが理由である。これで何ともなければ、それから希望する医療従事者と介護施設従事者に打つ。この人達はコロナと戦う現場に勤務する「最重要パーソン」だからだ。彼らを第一にコロナから守らなければ、感染者を救うことは出来ない。ここまで打って1〜2ヶ月程度はかかると思う。そうしている内には、ワクチンの副作用問題は解決しているだろう。安心できることが分かれば、それから健康な高齢者に打つ。基礎疾患のある人を真っ先に打たなければと思うだろうが、副作用と基礎疾患の関係がハッキリしないうちは、一先ず「健康な人」から打ったほうが安全だと思う。何よりもワクチンの安全性は、十分に検証されなければならないのだ。それで安全性が国民に認知されたら、残りの高齢者と基礎疾患のある40歳以上の人まで範囲を広げ、順次健康な一般人へと打っていく。とまあ、こういうスケジュール感で良いんじゃないかな。一部には「実験台にされてるみたいで、打ちたくない」という医療関係者もいると聞く。やっぱ「大丈夫なの?」という疑問がある間は、勧める側が打って「安全を証明する」必要があるだろう。ワクチンを推進するキモは「ロジ」ではなくて「安全」なのである。

まあ、中にはワクチンは心配という若者がいるようだが、「おまえらに打つのは最後の最後だぜ!」と言ってあげたい(チョー差別的発言だが)。だいたい希望者全員に今年中に打てるかどうかという状況だから、「心配だ」という人は黙って見てればいいのではないか。このワクチンの目的は「重症化を防ぐ」ためであり、「感染しない」というものではないと聞く。だから「若者は打つ意味が無い」とも言えるのだ(アチャー!)。ワクチンは老人用ってことか・・・。

2、コロナ患者への聞き取りは「AI」で行う

医療崩壊は患者の受け入れ態勢から始まっている。保健所からのヒアリングが遅れたために自宅待機していた人が亡くなってしまったと言う事例もでていると聞く。保健所も、人手が足りなかったと弁明していた。こういう問題を解決するには、今後すべてのヒアリングは「人工知能=AI」が行うことにする、である。AIが質問し、患者の回答を判断して「問題の有る人を抽出し」報告する。素人考えだが医者の持っている知識を100%搭載したAIなら、経験の浅いヘボ医師より「よっぽど的確に」患者を診断するのではないかと思う。こういうデジタル改革を導入すれば、いろいろな分野で人手不足解消に役立つんじゃないかな。今後はネットを通じて「AIが先ず診察し」、それから症状に応じて「人間が診療する」という手順になるわけだ。病院側も無駄なヒアリング作業を減らせるし、患者側もAIで判断してくれるなら「より安心出来る」とも言える。何しろ「世界一の名医と同じ知識」のAIが診てくれるのだから、町中の開業医なんかより「ずっと安心」なのである。何れは医療用AIも導入されて、「患者を移動するだけ」の単純労働は「ロボット」にさせるかもしれない。あるいは人工呼吸器を装着するなんて「繊細な作業」も、ロボット化する日が来年あたりには来るかも知れない。だがもしそれが可能だとして、コストパフォーマンスはどうなのかと言うと、短期的には「人間の方が安くて便利」だと言えるだろう。人間って、ロボットより安い「道具」だったのね(あれーっ、ショック!)

3、感染症に見る人々の意識

この緊急事態宣言下で飲食業界が窮地に立たされている原因の一つに、コロナを自分たちも含めて「皆んなの災害」と受け取る意識に欠けている点が挙げられると思う。飲食業が市民生活に必要不可欠なものであれば、一致団結して「感染を防ぐ安全な方法」を工夫しながら営業を続けていた筈なのだ。そもそも論を持ち出すなら、人々が外出して友人と会食し、イベントやスポーツ観戦をして楽しむのが「人間社会」である。それを禁止して「仕事だけ」しろというのは、市民を何かの「生産道具・家畜」としてしか見ていないのと同じだとも言える。中国でのコロナ対策をテレビなどで見ていると、まるで「羊や鶏を飼育している牧場のやり方」に見えた。鳥インフルエンザで殺処分している飼育場の映像と、余り見た目は変わらない。

人間は楽しむために仕事をしている。卵を生む道具では無い。そもそも「楽しみ」というモチベーションなしでは「仕事する意味がない」ではないか。このまま毎年やってくるコロナ禍に対して同じように「緊急事態宣言」を連発し、あくまでステイホームで我慢する方策を取っていくとすると、日本人は全員ストレスで「精神を病んで」しまい、おかしくなった人が続出しそうだ。言わば、コロナによる国家崩壊である。

この一年を振り返ってみると、去年の春先は「得体のしれない恐怖」から巣ごもりしていた。しかしその後に何度かの波をくぐり抜けてきた人々は、コロナへの情報の蓄積も相当進んで来て、ある程度「自衛しながら楽しむ方法を身に付けてきた」と言えるのだ。報道によれば、若者は老人に比べて比較的安全だというエビデンスが出ている訳だから、当然「行動が活発になる」のは当たり前である。若者は普段から活発に動いて成長していく。コロナに対して「緩んでいる」のではなく、動き続けることが「成長過程」と言う、自然な行動なのだ。それを「老人並み」に自粛せよと要求するのは、「人間という生き物」を知らなさ過ぎるとしか思えない。要は「どうやってコロナを克服するか」というアイディアや知恵が、今は求められているのである。人間はいろいろ道具を作り出して自然環境を克服してきた。飲食業の時短営業も「感染防止策をキチンと取っている店」と対策してない店を峻別して、客が店を選ぶことで「コロナを避ける」ように誘導するのが、政府の責任だと思う。一律時短・一律協力金というのは「余りにも政府に都合の良い」やり方ではないだろうか。つまり政府は「手抜き」している。政府は、自身を「鶏飼育業者」と思ってはいけない。むしろ、鳥インフルエンザが発生した「鶏の方」だと思うこと。そう思えば、解決策も違ったものになる筈である。

○ 人間は「人と交流し、遊ばなきゃ生きていけない」動物なんだ!


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