明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今週の気付き(24)コロナの話題から「ちょっと」気分転換!

2020-03-01 17:57:07 | 今日の話題
1、味の素の味噌汁CM
小栗旬と杉咲花の「あっ、母さんの味・・・」というコマーシャル、よく見るよね。引き篭もり予備軍の私は言葉の訓練も兼ねて、何でもテレビにツッコミを入れることにしているが今回は、このコマーシャルが餌食である。つまり、リハビリ
だ。で、この杉咲花の「母さんの味を思い出した」姿を見て、早速ツッコんでみた、・・・独りで。

私:お嬢さん、お母さんも「味の素使ってた」んだね、・・・?

2、リハビリは辛いよ
発症から5年、右手は麻痺から徐々に回復しているが、まだ手先の動きが自由にならなくて辛い。例えば、歯磨きしようと思っても「右手で」歯ブラシを動かそうとすると右前腕が強張って上手く動かなかったり、調整豆乳の注ぎ口のキャップを右手の親指と人差し指で「つまんで」回そうとしても力が無くて、まるで開けられなかったりして、中々上手く行かない。こないだも、ポテトチップスの袋を開けようとして「ちょっと右手でやってみよう」と思いつき、両手の親指と人差指で袋の真ん中の合わせ目をつまんで、左右にグイッと引っ張った。すると、右手の方だけ「指の圧力が足りない」ためにズルっと滑ってしまい、全然開けられない。あまりの情けなさに頭に来て「コノヤロー!」と渾身の力を込め思いっきり引っ張ったら、突然袋が全開し、「中のポテトチップが四方八方に勢いよく飛び散って」、結果部屋中がポテトチップスだらけになってしまった。ああ、何てことだ。自分の頭にも2、3枚落ちてきて、ガス爆発事故現場に「呆然と立ち尽くす住人」さながらの悲惨な場面である。泣く泣く散乱したポテトチップスを掻き集めて部屋を片付けたが、この時ほど自分の麻痺した指を恨めしく思ったことは無かった。ポテトチップの袋一つも満足に開けられない。無念だ。・・・弱者というものは、こんな日常的なことも出来ないのである。こんなこと、いつまで我慢すれば良いのだろう?

追記:今は、事故らないように「机の上を片付けて飛び散っても良いように」してから、エイヤッとやることにした。それで正直に告白するが、私は自分を「不屈のライオン」と呼んでいる。これは傍目には、ただの誇大妄想のバカに思えるだろうが、馬鹿と言われようと何だって良いのだ。リハビリというのは、それ位「遥か先の目標に向かって、亀のように一歩ずつ歩いて行くこと」なのである。回復効率なんかは無視して、とにかく最後には「完治する」と願って努力することだ。信じる者は「最後には勝つ!」、である。

3、西郷隆盛像
この前、テレビで西郷隆盛の話をやっていた。西郷像の除幕式に出席した糸子夫人は、「こんなだらしない格好で人前に出るような人ではない」と憮然としたそうです。確かに西郷は新政府の創設メンバーであり、明治政府を勝利に導いた「最も偉大な指導者」として、その数々の輝かしい事績に相応しい「威厳ある正装」で顕彰されてしかるべきだと思う。では何故雪駄に着流し、おまけに犬まで連れて、まるで「その辺の無頼者」のような扱いで銅像が建てられたのであろう。多分、西郷を見る世間の目の底辺には、征韓論で野に下り、西南戦争という「反乱軍を指揮した逆賊」である、という評価があったのではないかと疑ってしまう。人々は西郷個人には「優しさや親しみ」を感じてはいても、罪人は罪人である。だから社会的な功績は抹殺して、「人間的な温かい包容力を強調した結果」、あのような「風来坊の銅像を建てた」という事じゃなかろうか。ま、真相は分からないが、何れにしても「キチンとした正装」の西郷像を、しっかり歴史検証して解明した上で、建ててあげるべきでは、と思う。それは上野公園の入口なんかの「縁もゆかりも無い場所」に建てたりせずに、生まれ故郷の「鹿児島市加治屋町の墓地」に堂々と建てるということが「今は亡き糸子夫人の想いにも添う事であり」、西郷自身の再評価の視点から言っても、必要なことではないだろうか。西郷ファンの方々には、是非一考を促したい。

4、フェイクニュースのアップデート
世の中にはフェイクニュースをそんまま信じてしまって、今になってから「なんだ、そうなんだ」という事が良くあります。そんな私のすっかり騙された例から、芸能人の死亡に関するガセ話を紹介してみましょう。

a、テレサ・テン
彼女が亡くなった時、何故だか忘れてしまったが、薬物の過剰乱用で死亡したという話をうっかり確かめもせず「そうなんだ」と思い込んでしまった。スパイ説や暗殺説など、色々な噂が大量に出回っていたようだが、どうやら真相は「ホテルの部屋」で気管支系の疾患により亡くなったらしい。彼女が有名人なだけに「無理やりセンセーショナルな噂に仕立てたい」という輩がワンサカ出て来て、こんな噂になったようだ。本当のところは分からないが、「普通に病死した」と考えて不都合があるわけではない。我々も好んで陰謀や薬物に関連づけて、不用意に大騒ぎするのはどうかと思う次第。

b、尾崎豊
これも死亡ニュースが流れた時には「パンツ一枚で樹木にしがみついて絶命していた」、との噂がまことしやかに駆け巡っていて、かく言う私も不覚にも信じ込んでしまった。これなどはネットがまだ発達して無くて、自分で調べるほどの関心がない一般の人は、簡単に騙されてしまう。元々薬物の検挙歴があり、ミュージシャンで若者にはカリスマ的な影響力があったという事で、逆に彼を犯罪者と貶めることにより「若者を矯正する」といった戦前的教育論もあって、噂が噂を呼ぶ事態となった。真相は警察が調べないために有耶無耶なままになってしまったが、遺族も「そっとしておいて欲しかった」のだろう。今の時点では樹木云々というのは間違いで、深夜に酒(あるいは少量の薬物もあったかもしれないが)に酔って町の不良と喧嘩したあげく、公園または路上に倒れたまま「衰弱して死亡」した、という所だろうと思う。まあ、良くあることだ。昭和の頃はロックスターと言っても普通に町中で飲み歩いていたから、時代なんだろうなと理解している。考えてみれば、良い時代だったね。

c、カレン・カーペンター
私は洋楽専門だったから、カレンの死にはそれなりに衝撃を受けた。当時の噂の中には、兄のリチャードと「近親結婚」するために無宗教のソビエト連邦へ逃げた、とかの「とんでもない根も葉もない妄想」の類もあって、情報源は多分、学校のクラスメイトや遊び仲間の悪気ない聞きかじりだったのだろうが、そういう噂を簡単に信じてしまうのが若者である(言い訳だ)。真実は、前々からの重度の拒食症の治療中に「残念ながら力及ばず」死亡した、という事のようである。カーペンターズは日本でも絶大な人気があったから、それはそれで色んなところに歪が出てきたのであろう。拒食症というのは良く分からないが、罹った当人にしてみれば深刻である。まあ、一種の「強迫観念による認識異常」なのだろうが、精神内科とかの特殊な病理を扱う医師でも治療が難しいようで、彼女も色々な治療を試したようだが死んでしまった。カレンのように若くして世を去ったスーパースターは案外と多いから、70才になってもまだ元気でいられる私なんか、「どんだけ才能が無いんだよ!」って話である。冥福を祈る。

d、坂井泉水
彼女が入院していたというのも当時は知らなかったが、病院のスロープから「転落死した」というのも「びっくり」であった。スロープというのは3mぐらいの高さで、住宅で言えば2階相当の高さだから、まあまあの高所であり、落ちた場所が駐車場でコンクリート敷きだったから「なおさら」である。こんな簡単なことで人って死ぬんだな、と安易に受け止めていた私も浅はかだったが、一般人の受け取り方は「表面的」で偏った情報に左右されやすいのだ。真相は、彼女は子宮頸がんで入院し、手術で切除した後に肺に転移したらしく、日々病魔と戦っている最中だったようである。今でも抗がん剤の副作用は深刻だと言われているが、当時の医療技術ではそれは「大変な苦痛」だったと推察できる。その苦痛に苛まれる毎日に加えて、ガンが「治らない死の病」だという認識からも精神的に彼女を苦しめ、異常な不安定な状態の中で事故が起きたと考えられる。警察も同じような結論に達したようで、特に事件性は無いようだ。私はこの判断には、素直に「そうだろう」と信じる。何で彼女が、と神を恨む気持ちはファンならずとも心に湧いてこよう。死は誰の上にも「平等にやって来る」とは、確か「誰かの名言」である(誰なんだよ!)。ZARDの大ヒット曲が「負けないで」って言うのも悲しい皮肉になってしまったが、天国から残された我々に向かって彼女が、「私は残念ながら負けちゃったけど、あなたは頑張って負けないでね!」って歌っていると思えば、何かいっそう「曲のメッセージが心に響く」と感じられるってものだろう。今夜はじっくり Spotify で ZARD を流し、天国にいる彼女に「ありがとう!」って逆メッセージを送るってのも良いかもね。若くして亡くなった人の歌声っていうのは、何故か「天使のように美しく聞こえる」のが不思議である。

以上、今週にちょっと思った事を書き流してみました。ではまた来週、御目に掛かりましょう!

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