明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気付き3、ちょっと軽め

2019-04-09 22:05:39 | 今日の話題
1、山里亮太の毒
今日のTBSラジオ「赤江珠緒たまむすび」を聞いていたら、山里亮太の毒づき方が半端ないくらいに凄かった。以前深夜枠かなんかで山崎亮太が一人で吠えまくる番組があって、何処まで本音か分からない凄まじさで「ふざけんじゃねーぞ!」と連呼していたのを思い出した。山崎亮太の心の奥に潜んだ闇、こりゃ相当に深いなと画面に惹きつけられたものである。毒づき方にも色々あるが、有吉弘行の「他人のあら探し」やら坂上忍の「上から目線」やらヒロミの「ヤンキー丸出し」など見ている我々がどんどん暗く陰湿に染まっていくのと違って、山崎亮太の毒は「下品だが愛嬌」があって健康な笑いと明るさがマッチした罪のないものであるところが私は大好きだ。千鳥のノブが、関西芸人の単なる「どつき漫才」から「発想の知的なジャンプ」で笑わせる見事なツッコミで人気急上昇なのに似て、彼の毒づきは「緻密なシチュエーション作り」の上に成り立ったもので、「闇雲に不満をぶちまける低レベルの悪口雑言」とは一線を画した、言うならば「立派な芸」である。実はこないだのヤマハレディースをネット放送のAbemaTVで見ていた時に、「AbemaTVの番組が出してる質問テロップ」がパッティングのカップにかかっていることに腹が立ち、たまたま出てきたアンケート枠のコメント欄に私は「思いっきり悪口」を書いて送ったのである。しばらく見ていて「質問に答えるとテロップは消える」ことが分かり、先程送った悪口が勘違いだったと反省したのだが、何よりも送ったコメントが「汚い言葉」だったことが恥ずかしく、後悔しても取り返せない誤りに「しばらく気持ちが沈んで」しまった。悪いのは勿論AbemaTVである。だが悪口にもキャラクターがあって、私の送ったのは「読んだ方も気分が悪い」し、送った私も結局は気持ちの良いものではなかったのだからレベルが最悪だ。そういう品のない誹謗中傷と違い、山里亮太の毒はさすがに一流芸人だけあって「腹を抱えてゲラゲラ笑える」毒で、実に楽しいものである。有吉やその他の芸人は、所詮は人の弱点を面白おかしく貶める笑いであり、これは「いじめ」に通じる嫌な陰湿な笑いである。コメディの王道は、突っ込まれる本人も「一緒になって思わずゲラゲラ笑ってしまう」状態が最高なのだ。その意味では山里亮太の毒は「笑いの王道」を外してはいない。私は今、千鳥とタモリをテレビで「自動録画登録」して、出演している番組を逃さず見ることにしているが、山崎亮太も入れようか迷っている。とりあえず「クイズ東大王」は欠かさず見ているが、他にも面白い番組があるかも知れないので「私のお気に入り芸人」の一人として加えとくのもいいかも。

2、会社を辞める羽目になったら突然職務態度が変わるって
先日私の職場で65歳になったばかりの営業次長が社長に呼ばれてしばらくして戻ってきて、私も社長室へ行ってくれという。なんだろな、と思っていたら6月で契約を終了したいと言ってきた。もともと契約は70歳になったら辞めようと思っていて、私を倒産会社から拾ってくれた会長への恩返しのつもりで働いていたから「分かりました」と素直に返事して戻ってきたが、よくよく聞いてみると「65歳以上の社員は全員」6月で契約終了通告を受けたらしい。会社も宝石業界全体が縮小する中で頑張ってはきたのだが、とうとう背に腹は代えられずに人件費カットせざるを得なかったということだろう。というか、65歳を超えて働いている人は本人はどういう気持ちで働いているにしても、20代30代の若者から見れば働き方に「必死さ」が感じられないのは事実である。彼らが辞めても会社が困ることは無いだろうし、何とかやりくりするだろう。彼らの心の内に「もう歳だから」という甘えがあったとしたら、能力とは別に「やる気」の面で悪影響が無いとは言えない。私のいる商品管理部には私を含めて3人の打ち切り社員がいて、70歳と69歳と先ほどの営業次長の65歳の三人である。私以外はそれぞれ仕事を持っていて、それなりに会社に貢献しているはずであるが、仕事がないときには「延々とネットを見ながら時間つぶし」をしていた。やるべき仕事を与えない会社も悪いし、自分で仕事を見つけないのも良くない、お互い様である。60歳を過ぎたら賃金の6割で再雇用、という不文律が高齢社員のやる気を無くさせている原因であり、やる気が失せているから手が余っていても「何か仕事を見つけよう」という気にならない、というのも一理ある。しかし会社の方では正直辞めてもらいたいのではないだろうか。国の方針で65歳まで再雇用しているが、本当のことを言えば「若い社員に切り替え」てガンガン働いてもらいたいのである。だから給料は下げないでそれに見合った働き方を要求すれば、この問題は「もっと実のある解決」が出来るはずであった。給料に見合わない能力しか持っていない人は「給料を下げるか」それか辞めるか選択を迫られる事になる。そういう選択を60歳というような「切羽詰まった年齢」になってから始めるのではなく、もっと早い時期から常に考えておくことが、本人にも会社にも現実をはっきり見据える良い機会になったのに。で、クビを宣告された私以外の2人はどうなったかというと、すっかりやる気を失って机の中の整理を始めたり、「有給を消化する」ために6月は殆ど会社に来ない計画にしたりしている。何だか寂しいような気もするが、これも全ては会社が社員を愛していないことの結果だと思えば納得するほかはない。やはり65歳で会社を辞めるときには、これからは「自分のための第二の人生」を生きようと思います、とか何とかカッコいい言葉を言ったりしたいものである。

3、大橋未歩の未来
「5時に夢中!」に4月から出ている大橋アナだが、こんな個性的番組に出てくるなんてどうしちゃったんだろう?って話。こないだ終了した「有田哲平の夢なら醒めないで」では爽やかな味を出していたのに、5時に夢中!では一転してエロゲストのぶっちゃけトークの真只中に放り出された「か弱い羊」の役まわりである。大橋アナはフリーだから仕事は事務所が選んでいるはずなので、この路線変更は選択の結果になるわけだ。まあ自分のやりたい方向と同じかどうかは分からないが、少なくともプロデューサーが「視聴者のニーズ」を忖度した結果だから、あながち「とんでもないミスキャスト」とは言えない。「5時夢」で求められているキャラは私の思うに、ゲストのぶっちゃけトークの下品なネタに惑わされず、持ち前の「神戸山手のお嬢様」を醸し出しながら、明るくカラカラと笑い転げる上品な「パリの下町のお転婆娘」である。彼女の机に突っ伏して両肩を震わせながらクックッと笑う仕草には、「うーん、可愛い!」と思わず一歩テレビに近づいてじっくり見てしまった。彼女はTBSで「金曜ブラボー」とかいう番組もやっていて、毎週ゴルフの練習に行くときは必ず愛聴しているが、まず「声が耳に美しく響く艶声」がお気に入りだ。彼女の「地の声」はもう少し低くて普通の女性と変らないのだが、アナウンサーだけに番組では一段か二段高くて柔らかい声に仕上げて「全く別人」に成りきっている。やはり女性に限らず、声は魅力の一つなのだ。おまけに滑舌は完璧で聞き取りも抜群だし、言葉もアナウンサーとして訓練されているから「けなし」ようがない。この先の彼女のキャラを考えると、中国5大奇書の一つの「紅楼夢」なんか朗読してくれたら、絶対リスナーになって毎回聞き漏らさないのになぁ、と密かにリクエストしようかと思っている。これからの彼女を見ていると「5時夢のお色気下品路線」でオファーが殺到するのじゃないかと心配しているのだが、むしろこういった路線にも「染まらず」にお嬢様キャラを堅持して、飾らない性格の良さと圧倒的な上品な魅力を発揮することで、さらに上のメジャーな「ニュース番組やファッション番組」に進出して貰いたいと願っている。彼女にただ一つ注文をつけるとするならば、着ている衣装が「ダボッとしている」のが唯一気に入らない。想像するに、だいぶ「ふくよか」なのではないかと思うが、ここはやはりピッタリした服を着て貰えないだろうか。もちろんダイエットしての話である。巷で噂のライザップと言う奥の手もあるではないか。アナウンス界屈指の美貌としっとりとした美声に流麗な語り口が備わっていれば、普通の体型でも充分完璧な女性として人気になること請け合いであろう。それとも普通の体型「ではない」のだろうか?、いやいや、それは無いだろう。多分、彼女が自分に与えているレベルが、相当にハードルが高いのではないか。顔の整った美しい女性によくある「顔は綺麗なのにスタイルは云々」という評判を気にしすぎなのかも知れない。顔がスタジオのライトのせいなのかわからないが、「頬のあたりがテカっている」のも気になる。ここは諸々の噂を一掃するつもりで「本格ダイエット」を成功させ、これでどうだ!と言わんばかりの「腰のクビレを際立たせた衣装」で登場してくれないかな。そうすれば大ブレイク間違いないと私は確信しているのだが、皆さんはどう思われます?

4、花粉がスギからヒノキに変わっている
いままでネットで花粉の飛散情報を見る時に「気付かずに」多いの少ないのと一喜一憂していたのだが、ヤフーの48時間飛散状況表示図は「スギ」と「ヒノキ」が別画面になっているという事に今日気がついたのだ!。知らないというのは恐ろしいもので、実は今日は「非常に多い」という危ない日だったのだがゴルフパートナーR16店に預けていたクラブを取りに行ってみたら、往復1時間くらい強風の中を歩いたにもかかわらず全然「鼻水が出なかった」のである!。これはどうしたことだろうとネットを確認したら、ヒノキは飛んでいるのに「スギはそれほどでもない」と表示されているではないか、おーまいゴッド。もしかしたらスギ花粉の飛散時期は「スギ」たのかも知れないゾ、と小躍りした。いやいや、まだ喜ぶわけにはいかない、と頭では分かっていても、この2ヶ月半の私の苦しみが「終わるかも」と考えるだけで、飛び跳ねるほどに嬉しくなるのだ。桜が散る頃にはだいたい花粉も終わるのが例年らしいが、平安の日記文学をこよなく愛する私が「よりによって」桜の時期に外に出られないとは、なんという運命のいたずらであろうか。桜が見たい、という「ないものねだり」は人間をロマンチックにするという。ならば私の花粉症が治らないかなという願望も、西行の吉野の桜を想う心も、恋願っている気持ちは根は同じということか。杉を気にせず吉野の山桜を存分に楽しめたら、と思ったら「身も心も騒ぐなりけり」だ。

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