明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

読書の勧め(9)生きてるうちに読んでおきたい本10冊・・・2022年版(前編)

2022-02-28 23:00:39 | 今日の話題

1、新古今和歌集(藤原定家)

詩歌の最も華やかで雅な時代の頂点を極めようと、若き後鳥羽天皇と新進気鋭の藤原定家がタッグを組んで作り上げた渾身のアンソロジーである。残念ながら後鳥羽院は承久の乱で隠岐島に配流になってしまったが、この新古今については最後まで「切り継ぎ」をやめようとはしなかったという。それだけ院の愛着が深かったということなのだろうが、定家にして見れば「エラい迷惑」に感じていた、とも伝えられる。何れにしても後鳥羽院、ひたすら自分に執着する気質は全然変わってはいないらしい。出来上がるまでには色々悶着があった歌集だが、しかしこの和歌集が古今東西の詩歌集の中の最高傑作であることは論を待たないであろう。明治の一時期、正岡子規や斎藤茂吉などの「ヘタレ歌人」のヘンテコな主張に乗っかって、何でもかんでも「万葉万葉」と騒ぎ立てるバカが続出したことがあった。今はそれも落ち着いて、やっと「まとも」な和歌鑑賞の時代が来た、と陰ながら嬉しく思っている。勿論、決して万葉が悪いと言っているのでは無い。ただ、和歌が一時期廃れて漢詩の時代がしばらく続き、伊勢物語などで細々と息をつないでいる状態だったのが「古今和歌集」の編纂で一気に宮廷の表舞台に登場し、源氏物語などの女流文学の発展も相俟って、ついにこの新古今和歌集の編纂・上梓を機として「とうとう和歌全盛の世の到来」となった訳である。新古今の作風は本歌取りなどの技術をふんだんに駆使して、かつ、歌の背後にある「余情・幽玄」を描くことにあるなどと指摘されるが、細かいところはおいおい勉強するとして、まず「百人一首止まりの素人」から本格的に和歌の真髄を極めてみようという、大それた考えを実行するために一度は読んでおきたい古典であろう。まあ多分、これ一冊だけでも読んでおけば、大概の事は分かってしまうんじゃないかな?、と期待している。読了予定は3年後だ。

2、法然上人絵伝

日本仏教の教えをそれまでの「特別に修行した」僧=専門家集団のみのものから、あまねく「一般大衆の救済」へと、間口を広げたのが法然である。誰でも、例え女人であっても、「念仏」を唱えさえすれば必ず救われて浄土に生まれ変わることが出来ると説いた。これは宗教における「コペルニクス的転回」だと私は考えている。つまりなんと言うか、何しろ「すごい」ことなのだ(すいません、よく分かってないので・・・)。私はその法然の「分け隔てない救済」という考えに、両手をあげて心の底から賛同するものである。学問は勿論、法然ほどになれば「ピカイチ」というのは当然だろうけど、無学な民衆をも受け入れて救済しようという「無尽蔵の優しさ」を思う時、宗教というのは「かくあるべき」と教え諭されるのである。法然上人の教えは、現在「浄土宗」として滔々と受け継がれてはいるが、そういう「細かい教義の話」は私の興味の外であるので割愛する。以前、会社の先輩に「創価学会」の会員がいたが、法然の教えを「ボロクソ」に貶していた。彼等の崇拝する宗祖「親鸞」は終生法然を師と仰いで愛慕し続けたと言うのに、なんで末端の学会員ごときが宗派の勢力争いで他派の悪口を言わなければならないのかと思う。親鸞が聞いたら「激怒したんじゃないか?」などと、ちょっと想像してみるのも楽しいことではある。なお、この法然上人絵伝は挿絵も入っていて、子供にも楽しめる本だから誰と言わず「座右の書」にして、適時読み返すようにすると良いと思う。短い本なので、一応の読了目標は来年中である。

3、今鏡

文庫本で割と厚みのある「上・中・下の三巻セット」だから、相当な大作である。同じ鏡シリーズの「大鏡」は一冊に収まっているから、色々「大意」だとか「現代語訳」とかその他諸々がついているとはいえ、内容がたっぷりあるのは想像がつく。中身は短く章立てして読みやすいが、それほど感動するような内容とまでは行かない「ゆるーいエピソードトーク」のオンパレードだから、ちょっと暇な時にサラッと読む程度が相応しいと思う。それでもこの「鏡シリーズ」は平家物語とか太平記などに見られる「美文調で語る大上段の歴史書」と違い、庶民にも分かるような平易な文章で面白く書いているので読み飽きない。取り合えず平安時代から鎌倉まで、歴史を語る上での「基礎知識」を知っておく目的で、押さえておきたい書物である。読了予定は3年としておこう。これは、他の「読むべき本」の進捗状況によっては、しばらく放っておかれる可能性があるからだ。まあ、それほど真剣にならず、気長にのんびり読んで行きたい。

4、明の太祖 朱元璋(檀上寛)

何と言ってもあの「広大無辺の中国」を股に掛けたスケールの大きさという点では、チンギス・ハーンに勝るとも劣らない興味ある間だと思っている。朱元璋は元末の混乱に乗じて貧困の中から頭角を表し、頂点まで上り詰めた一代の風雲児である。中国では統一王朝が倒れる時に、大体民衆の蜂起が起こる。漢が倒れる時は「黄巾の乱」が起こって大混乱に陥り、三国入り乱れての争いの末「曹操の魏」が勝利して晋朝が引き継ぎ、五胡十六國・南北朝時代が続いて隋唐統一王朝への道筋をつけた。唐が倒れた時、また五代十國の乱世になり、その中から「宋」が建って300年程続いたあと、中央アジアの遊牧民からチンギス・ハーンが出て「元」が統一王朝を打ち立てたというのは、誰でも知っている話である。だがその強大な元がもろくも倒れたあと、どうなったかということについては実は、あんまり日本人の興味を惹かない「地味な」物語になっているみたいなのである。私はここに興味を持った。日本ではようやく戦乱の世が収まり、足利義満が天下を支配した時代である。この時「紅巾の乱」で全土が大混乱状態をなった。果たして「天下の帰趨」は如何に?、というのが読みたくなった理由である。Amazon で探したのだがやはり適当なものが見つからなくて、ちくま書房で文庫化されているのが一点あっただけだった(檀上寛のもの)。私は朱元璋個人というよりは、「元」の崩壊から「明」の建国までの「大きな歴史の流れ」を読みたかったので、もう少し「歴史中心の乱世を描いたもの」という視点で探してみたい。一応 Amazonでは「買いたいリスト」に入れておく。

5、紅楼夢(曹雪芹)

中国には四大奇書というのがあって、水滸伝・三国志演義・西遊記・金瓶梅を言うのだそうだ。勿論、これらの奇想天外な長編小説はどれも「世界レベル」の作品に間違いはない。だが、私は英雄妖怪の跋扈するファンタジーより、市井の人々の日常を細やかに描く「紅楼夢」の方が心の琴線に触れるのである。昔、私が若い時に会社で取引している腕時計メーカーの招待で「台湾」に行ったことがあった(その少し後に今度はメガネメーカーの招待で「シンガポール」にも行ったりしたので、これは昭和バブル世代の役得かも)。その台湾では、お決まりの故宮博物院に行って古い陶磁器などを鑑賞したりして日程を消化したが、やはり一番の思い出は「グルメ探訪」である。短い滞在期間だがあちこち食べ歩いては休み、また食べては休みの繰り返しで、旅行から帰ってきてしばらくは「ズボンがキツくて」相当難儀した。ただ、旅行は楽しい思い出でいっぱいであり、出来たら「中国に取り込まれる前」に、若い頃の夢をもう一度満喫してみたいと思っている( 「GOTO トラベルとか、何とか使えないかなぁ)。丁度宿泊しているホテルが台湾最高級の「グランドホテル」だったので、九階のベランダから下を見下ろすと「朝靄にボーッとかすんだ飲食店街の屋台の列」が見えて、何故か「暖かい懐かしさ」めいた感情が心に浮かんできたのを思い出す。そんな甘酸っぱい感傷に浸らせてくれるのが、この「紅楼夢」じゃないかな?と思っている。もし期待通りでなかったら、即中止して他のにするつもり。幸い、文庫版が柏の市立図書館本館にあるようだから、今度「散歩して足の筋肉を鍛える」ために図書館まで歩いて行って、一回一回閲覧室で読んでみようと考えている。だから筋力増強も兼ねて、一応読了は2年後ぐらいを予定している。

とまあ、こんな具合です。後編は6位から10位を予定しているので、乞うご期待!


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