みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

願い

2011-04-29 22:09:30 | 日記
午前中は相田みつをミュージアムの館長さんと学芸部長のMさんと お話しして来た。

相田みつをさんの 書と詩を 被災地で踏ん張っている方々に是非見てもらいたい一心で お話しした。館長さんもMさんも気持ちは拙僧と同じであった。すぐに被災地で展覧会をしたい。
とは言え、相田みつをさんの書は年を追う毎に いや、日を重ねる毎に その意味と価値が高まる作品たちである。つまり美術品でもあり、日本国民的な宝であるのだ。

その保管・管理・移動となると凄まじく大変であるし、かかるものも半端ではない。

機会とタイミングを逃すことなく開催するのが好ましいが、この度の大震災は広範囲過ぎる。

阪神大震災の時は適宜な時期に個展を開催なさったそうだ。阪神大震災の時はある程度 地域が限定されていたが、東日本大震災は北は岩手の北端から南は茨城県までに至る。

それらの何処のどの会場で開催するのが良いのか?
それとも 思いを伝える新たな手段があるのか?

などなど前向きに話し合って下さった。

改めて内容を練り上げ 企画にして お話ししようと思う。

お忙しい中 ありがとうございました。

ミーティング後、学芸部長のMさんの案内で 東京国際フォーラムの相田みつをミュージアムを見て回った。

Mさんは拙僧の里の辺りを良くご存知であった

元々はNHKのプロデューサーをやっておられた

拙僧が大好きだった名番組「明るい農村」などをプロデュース。それ以外も知的好奇心をそそる番組を手がけ、その時に大宇陀の葛の取材をして 同時に室生寺や長谷寺などを回られたらしい。

また、NHKのラジオ番組の中でも 拙僧が特に大好きな「ラジオ深夜便」もMさんの企画から始まったのだそうだ。

始まったのは昭和天皇が崩御なさった年だったらしい。

拙僧が少し大人になり、ちょっと背伸びして聞き始めた大人の為の大人の深夜ラジオ番組である。

東京から関西へ帰る車中で聴く ラジオ深夜便は特に楽しかった。

東京を出る頃番組が始まり、番組が終わる頃 関西に到着する。

演奏で疲れきったミュージシャンを乗せ、若かった拙僧が独りで560㎞を走りきった。

そんなドライバーの心の栄養ドリンク、眠気覚ましは ラジオ深夜便だったのだ。今まで何十万㎞を深夜に走ったが無事故である。ひょっとしたら、ラジオ深夜便は「聴く御守り」だったのかも。 相田みつをさんの書と詩が取り持つ縁でMプロデューサーと会えた。ありがたい。ありがとうございます。

相田みつをさん。

また、熱っぽくなって来た。ロイヤルウェディングでも見ながら休むとしよう。

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