みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

ご遺体安置所での法要。 S小学校体育館

2011-04-08 13:04:16 | 日記
ご遺体の供養・弔いをさせて頂いた。

何れも気仙沼の遺体安置所。

安置所は気仙沼市の各小学校にあり、拙僧はS小学校・O小学校・K小学校の三カ所に参らせて頂いた。

折角だから もっともっと供養・弔いせよと頭は指示するが、心がいっぱいいっぱいだった。

S小学校の職員室辺りの前に車を止めて法衣に着替える。

本山で決められている正式な法衣では、ご遺体が数十並べられているところでもあるし、葬儀場でもない。正装では物々し過ぎて違和感は否めない。

略式と正装を少しアレンジして供養・弔いの法要に望む。

ご遺体が安置されてる体育館は静まり返っている。いや、小学校自体が静まり返っている。

体育館特有の鉄の扉を開けるとエントランスがあり、そこに警察官の方が三人ほどおられた。

「奈良から参りました、~寺の住職でございます。是非、この度の大震災で亡くなられたみなさまの菩提の弔い、ご供養させてください。宜しくお願いします」とご挨拶すると丁重に体育館の中へ案内された。

警察官以外にも三人位、市の職員がおられて ご遺体を守りつつ、遺体の確認に来られる家族や親族、知人の受け入れをしている。

体育館内は更に静まり返っている。外の寒さとは違うひんやりとした冷気が体育館内に満ちている。

御葬儀は何回となくしていて、ご遺体に直面することに立ち竦むと言うことはないが、いざ何十と言うご遺体に正対すると まったく違う心持ちとなった。

拙僧は何時も これで人生終わっても悔いなしと言う心構えで 御葬儀に臨んでいる。亡くなられておられるとは言え、荼毘にふされるまでは心の耳や心の目で、あるいは身体全体で、自らの御葬儀を見守り、拙僧のお経を聴いておられると思っている。身体全体で聴かれる最後の説法であり、読経なのだ。「この世に未練を残さず、お浄土にお還りください。必ずお浄土でお会いしましょう。また、菩薩となられこの世に戻られましたら、我々衆生をお導き下さい」と強く強く念じて御葬儀を勤める。


だから御葬儀が終わるとくたくたとなる。背中の筋肉と背骨はギシギシとなる。

ご遺体の数の問題ではない。亡くなられた方々の恐怖や慟哭、この世に残した気持ち、悔悟の念 全てと正対面させて頂くのだ。

御葬儀とは違う、異次元の集中力と哀悼・弔い・供養の念で臨ませて頂いた。

直立不動の職員の方々の前で法要を始める。

体育館中に響き渡る、これ以上ない声量で、阿弥陀如来・釈迦如来・数多の如来の勧請の儀を行う。

職員や警察の方々は暖房のない、緊張感ある場所で不眠不休にてご遺体を守っておられる。疲労がピークのままでの任務だ。法要・儀式には30分ほどかかりますとお話しして着座してもらった。

勧請儀式の後、拙僧が何の為にこちらに来て、何の儀式をするのか。そして儀式を通じてお釈迦様が伝えたい事、阿弥陀さまの願いについてご遺体になられた故人に語りかけ、法要の後は、心安らかに浄土に還られるように願い、話しかける。

その後、「倶会一処」を念頭に仏説阿弥陀経をお勤めさせて頂いた。

南無阿弥陀佛と念仏を六回唱え、最後は回向を手向け、手向けて頂く。

その後宗派の習いの 珠玉の名文を拝読する。

それぞれのご遺体に「ご苦労様でした。ありがとうございました。心安らかにお浄土にお還りください。また、菩薩となられて現世に戻られたら、悩める我ら衆生をお導きください」と話しかけさせて頂いた。

宗派に関係なく お釈迦様も拙僧も願いは一つ。それぞれの故人が余すことなく、仏さまになって頂くことだ。

気づいたら 一時間近くになっていた。

職員、警察のみなさんは疲労の極限で 拙僧の読経が子守歌になって ぐっすりと休まれていた。

法要終式のご挨拶をして、他の遺体安置所の状況やら遺体発見の現実を聞いた。
職員の一人は兵庫県の赤穂市からサポートの為に来られてるらしい。

全国が一丸となって、国難に立ち向かっている。

素晴らしい国だと思う。
次は、今もご遺体が次々と担ぎ込まれて来るらしいO小学校の遺体安置所だ。
ご遺体数は200を超えるのだそうだ。

更に更に 精神と気力を高め、強めて数多のご遺体と正対する。