みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

南三陸・志津川町 初めての野外法要

2011-04-10 16:00:07 | 日記
南三陸 志津川町 下見も含めて三回行った。

凄惨で、荒涼無惨な被災現場である。

しかし、何故かしらん拙僧は志津川町に愛着を覚えるようになった。人々もいないし、建物も無いのだけれど……

勿論ここに住んでいた人々の顔も生活ぶりも知らない。
しかし、何故かしらん
この地に愛着がわいている。
戸外・野外でする供養・弔い、初めての法要は この地でする事にした。

奈良から持参した阿弥陀さまと仏壇。香炉や三具足を丁寧にセットする。

セットする場所は南三陸とチリの友好記念モニュメント跡にする。

通夜でもないし、葬儀でもない。ましてや記念法要でもない。

供養であり、弔いであり、鎮魂であり、見送りである。

そう言う意味合いと、この場所の持つ意味と、気配漂う亡くなった方々の思いに添う儀式を組み立てた。
約一時間 ご法要を懇ろにお勤め申し上げだ。

昨日までは、悔悟や無念や慟哭や色んな思いの「念」が悲しみや辛さを拙僧に訴えかけて来ていた。

実際、志津川病院の上空に鉛色のろうと雲が垂れ下がって、俄か一転 雪が舞い始めた時には、そう言う亡くなられた方々の思いを感ぜずにはいられなかった。
うって変わって、野外法要をする日には、雲一つない青空が 南三陸 志津川町の上空に広がっていた。

読経を始めると、爽やかな風が辺りを吹き抜けた。
読経と法要を待ち望んでおられたかのように 柔らかに爽やかに 何度も何度も風が舞い、吹き抜けて言った。

カモメや信天翁が、読経に合わせて 歌うように鳴いた。

南無阿弥陀佛という 念仏に合わせて 何度も何度も鳴いていた。

御霊が柔らかな表情になられた気がした。

亡くなられた方々のお気持ちとともに 志津川に居た。

「また来ます。復興出来るまでまた来ます。復興のため頑張る残された人たちをお浄土から見守り、応援してあげて下さい。もし心配なら、優しい日差しになり、芳しい風となり、命を育む慈雨となって、菩薩となられて、この地にお戻り下さい。南無阿弥陀佛。」と
南三陸・志津川町に広がる爽やかな爽やかな青空に告げて この地をあとにした。

みなさん!お浄土へ 行ってらっしゃい!