みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

お経は感動だっ!

2012-02-12 18:51:03 | 日記
不可思議な事にも、不可思議に至る理由があり、不可思議を構成する物理現象の結果である。。
だから、結果的には当然なのだが「不思議」な事は起こる。

ド級ハードな2日間の後、午前中に不思議が起こった。不思議があった。

先一昨日にオヤジ形見クラウン(184000㎞走行)のブレーキが壊れたのをきっかけにスケジュールが変更・圧縮されてド級ハードになった。
翌朝から修理→銀座で打ち合わせ→溜池山王で話し合い→新人アーティストとの面談→チャラン・ポ・ランタンのレコーディング訪問→修理クラウン引き取り→元電通 超天才松田らと会食→itune・producerと音源試聴→新人アーティストと契約→クラウンに荷物積み込み→さいたま市午前三時出発→東名高速→京都11時到着→第一旭→誠の湯→京都市内で話し合い→里寺に移動→仏教壮年会会合→王将で天津販→帰寺→ド・バタン・キュー→気づいたら朝→犬の坊守りさんゲロする→拙僧慌てる→祥月命日檀家参り→お勤め→「不思議」起こる

以上が不可思議に至る時系列である

さすがに昨夜は強行軍の果てエネルギーはスッカラカンのカンになったが 電気敷き毛布を熱くして 疑似岩盤浴状態にして グッスリと汗をかいたら なんとなくエネルギーは復活していた。

赤目口にあるOさん宅で朝から祥月命日のお勤め。いつもは奥さんとおばあさん、時々旦那さん、たま~に息子さんが一緒にお勤めをする。

しかし、レギュラーのおばあさんが昨年の手術後 体調を崩されて ここ何回かは途中参加だったり寝たままだったりした。

訪ねて、お経を始める時は奥さん一人であった。
「う~ん、おばあさん体調わるいんですね?」「はい、寝たままです…」

そうか、だったら寝床までお経の声が届くようにと 声の大きさ、声の質・周波数を調整しながら読経を始めた。

お勤めする お経は約30分。ハ長調の「レ」から始まる。約15分ぐらいがメロディーの変化があまりない漢文のお経。半分ぐらいまでは喉と横隔膜や複式呼吸に気を使いながら、テンポが出てくるように意識する。

その昔はヘッドバンキングよろしく、上体を前後しながらウォームアップしたのだ。

あまり前半から飛ばしたり、大声でいくと 後半は必ず ざらついた声になってしまう。すると仏壇や家具や部屋の共振をコントロール出来なくなるのだ。

漢文で書かれた経の半分を過ぎると 喉と腹筋や背筋、横隔膜、肺や気管支がウォームアップされて 読経の声に当たりがついてくる。

こうなると 読経の声や周波数を自在にコントロール出来る。

漢文のセクションから和文で書かれた和讃(阿弥陀さまの得や浄土の教えを讃える讃歌)の部分に入ると、各セクション、コーラスの基本ビッチが変化する。「レ」→「ミ」→「レ」→「ミ」→「ラ」→「レ」→「ラ」→「ソ」→「ミ」となる。

う~ん!凄く良く出来ている。後半に向かってどんどん、グングンアップしていく高揚感と展開は素晴らしい。

デビッド・フォスターも感服のアレンジ・構成である。そこへバリトン・アルト・テノールの発声と共鳴を使いこなせば、一般家庭の部屋でも お仏壇があれば 一人でもsymphonyさながらの音楽空間を創出できるのだ。

調子が良いときにはパイプオルガンともなる。ご近所には多少ウルサいだろうが。

拙僧は、みんなの僧は ここに意識とエネルギーを集中する。

読経後の説法は 布教や伝導の要諦だが、「お経」自体がパッションがあり熱を帯びてないと 実は何も始まらない。

形式ばった儀式の為のお経ではなく、宇宙の真理と出逢う喜びを魂込めて歌い上げるのが 本来の「お経」である。

「お経」が感動的でなければ、「お経」はハッキリ言って必要 無い、

全ては「感動」から始まる「波動」であって、その波動全てが「伝導」なんである。
だから、拙僧は先ずは「読経」に 全てを集中する、

「いい声」ですねとか「うまいお経」ですねとか言われると、とてもとても嬉しいか、何処まで「波動」が伝わったのかと言うと あまり確かな反応を聞いたことはない、

波動が伝わっただろうか?確かにバイブレーションしただろうか?

しかし、今朝 不可思議が起きた。

それは、拙僧の読経がどんどんヒートアップしてグングン バイブレーションしてきた時だった。

寝たままのおばあさんが起きてきたのだ

おばあさんが起き上がった



最終セクション「同発菩提心~♪」からは一緒に発声し、そして 心を合わせて「南無阿弥陀佛」と 幾度となく念仏した。

不可思議があり、不思議があった。

おばあさんは確かに 起きてきたのだ。そして「念仏」なさった。

「読経」により「波動」が起こり「波動」から仏法の「感動」が起こった。

不思議で不可思議で「有り難い」

しばしの間ジワーッとした悦びを噛み締めながら、おばあさんと昔話を少ししてOさん宅を出た。

感動と悦びを胸に 次のお宅でも「波動」による仏法の「感動」をとハリキッタた。
しかし、思いとは別に「波動」や「感動」どころか、空回りして 肝心の念仏のメロディーを完全に間違ってしまった



あーーーーーーーーー

やっちまったーーーー

恐るべし慢心・増長慢


ヤッパリ

まだまだ まだまだ です
みんなの僧

精進あるのみ だな やはり

トホホのホ





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