毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

【第55回】 セレナード ニ長調 K.320 “ポストホルンセレナーデ” 第6、7楽章より

2006年04月14日 | ザルツブルク
1779年 モーツァルト23歳の作品。
「ポストホルン・セレナード」というこの曲の愛称の由来となったのが、第6章で高らかに鳴り響くポストホルンの独奏。
ポストホルンは当時馬車の御者が吹いたラッパ。帰郷する学生達を乗せる郵便馬車の合図だった。

 (演奏)ローザンヌ室内管弦楽団
 (指揮)イェフディ・メニューヒン
 【出演】 (N響主席トランペット奏者)津堅 直弘


 - 旅への郷愁 -

モーツァルトは宮廷音楽家として教会音楽の作曲と演奏をするほか、地元の大学のための音楽作りも重要な仕事としていた。
ザルツブルク大学は1622年に設立された。かつて学業を修了する毎年8月に、学生たちは管弦楽セレナードを演奏した。それは“フィナール・ムジーク”「修了の音楽」と呼ばれた。『ポストホルン・セレナード』はフィナール・ムジークのために書かれた。

1年の学業を終えた学生たちは、ミラベル宮殿で大司教を前に演奏する。こうしてフィナール・ムジークが幕を開ける。
宮殿での演奏を終えた学生たちは楽器を奏でながら夜の街に繰り出す。松明をともしながら行進を続ける。大学に到着した学生たちは教授たちの前で演奏する。感謝の気持ちを伝える演奏は、友人や恩師との別れの音楽でもあった。

旅立ちの時を告げて町中に鳴り響くポストホルン。人々が郵便馬車を使ってヨーロッパ中を旅した18世紀当時、いつも旅の傍らにはポストホルンの響きがあった。
愛してやまない旅の魅力をモーツァルトはこう語った。
“僕は断言しますが、旅をしない人はまったく哀れな人間です!凡庸な才能の人間は旅をしようとしまいと常に凡庸なままです。でも優れた才能の人はいつも同じ場所にいればだめになります”(父への手紙より)
モーツァルトの心は新たな旅を求めていた。

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