毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

【第202回】ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 第2楽章より

2006年12月26日 | フィナーレ特集
ピアノ: メルヴィン・タン
指揮: ロジャー・ノリントン
管弦楽: ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
出演:  ラン・ラン (ピアニスト)


 ~ 音楽の街 ~

モーツァルトの生まれ故郷ザルツブルク。
モーツァルトの生きていた時代は大司教の治める宗教都市だったが、1803年ナポレオンによって大司教の宮廷が廃止された。モーツァルト対立した大司教コロレドはウィーンへ逃亡する。その後ザルツブルクは大国の支配に翻弄され、さびれていく。

作曲家シューベルトが訪れた1825年頃にはすっかり活気を失っていた。
“ザルツブルクに住みついている人はわずかで、石畳の間からは草が生えています” (シューベルトの手紙 1825年9月12日)

そんな街が1835年新聞に載った一通の投書をきっかけによみがえる。

“今こそ地上のあらゆる民族を音楽という世界語で熱狂させた人物に記念碑をささげよう” (ザルツブルク新聞 1835年)

自信を失っていたザルツブルクの市民はこの呼びかけに応じて募金や演奏会などで資金を集めた。

1842年9月4日 モーツァルトの死から半世紀あまりザルツブルクのモーツァルト広場でモーツァルト像の除幕式が行われた。コンスタンツェは半年前にザルツブルクで亡くなっていたが、除幕式にはふたりの息子(次男カール・トーマス、四男フランツ・クサーヴァー)が参加した。夜には祝祭音楽会が開かれ、四男フランツ・クサーヴァーが亡き父のピアノ協奏曲第20番を演奏。

この音楽祭が現在のザルツブルク音楽祭の原型となった。
1856年にはモーツァルト生誕100年祭が催され、72歳になった次男カール・トーマスが父のピアノ曲を演奏した。

1841年ザルツブルクに初の音楽教育機関が設立された。
それが発展し、1880年にモーツァルト研究の総本山モーツァルテウムとなった。
現在も世界中から研究者や音楽家を志す学生が集まっている。

モーツァルト生誕250年の2006年、ザルツブルク音楽祭ではモーツァルトのオペラ22作品すべてが上演された。
世界中から集まるモーツァルトファンで埋め尽くされたザルツブルク。
「この街には劇場もオペラもない」と生前のモーツァルトは嘆いていた。
しかしその死後ザルツブルクはモーツァルトを称える人々の手で世界有数の音楽の街に発展した。

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