毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

【第9回】 孤児院ミサ ハ短調 K.139

2006年02月09日 | 初めての交響曲・オペラ・ミサ曲
1768年 モーツァルト12歳の作品で、モーツァルト最初の大規模なミサ曲。
ウィーンの孤児院の付属教会として建てられた孤児院教会。1768年12月7日、この教会の完成を祝い、『孤児院ミサ』は初演された。
12歳のモーツァルトが自らオーケストラと合唱団を指揮した。
今でもこの教会では毎年12月にこの曲が演奏される。

(演奏)コレギウム・カルトゥジアヌム
(指揮)ペーター・ノイマン
【出演】(ドイツ文学者)小塩 節


 - ミサ曲での成功 -

18世紀の人々にとって、教会は音楽を聴ける数少ない場所であった。
音楽家たちは大規模なミサ曲を作って聴衆を楽しませた。
モーツァルトも生涯でおよそ80曲の宗教作品を作っている。
ウィーンでのオペラ上演が実現しなかったモーツァルトに訪れたチャンス、それが孤児院教会の完成式典でのミサ曲の演奏であった。
教会の完成を祝う式典には、女帝マリア・テレジアほか大勢が列席した。
12歳のモーツァルトが指揮する『孤児院ミサ』。その演奏は人々の喝采を博し、ウィーンの人々に深い感銘を与えた。

【第8回】 交響曲 第7番 ニ長調 K.45(オペラ“ラ・フィンタ・センプリチェ”序曲オリジナル)

2006年02月08日 | 初めての交響曲・オペラ・ミサ曲
1768年 モーツァルト12歳の時の作品。
ウィーンのブルク劇場での上演のために作曲されたオペラ 『ラ・フィンタ・センプリチェ』。
交響曲第7番は、このオペラの序曲のオリジナルとして知られている。
3幕からなるモーツァルト最初のイタリア語のこのオペラは、モーツァルト自身の指揮によって演奏されるはずだった。
しかし、若き才能への嫉妬が渦巻き、子供に指揮されるのは御免だとオーケストラが演奏を拒否。 『ラ・フィンタ・センプリチェ』は上演が果たされないまま終わった。

第1・2・4楽章
(管弦楽)イギリス室内管弦楽団
(指揮)ジェフリー・テイト
【出演】(東京大学大学院教授)小林 康夫


 - オペラへの挑戦 -

モーツァルトにオペラ作曲を依頼したのは、ハプスブルク家の皇帝ヨーゼフ2世。
『ラ・フィンタ・センプリチェ』 は 「見てくれの馬鹿娘」 と訳されている3組の男女の恋愛を描いた喜劇である。原作は当時人気だったイタリアの作家カルロ・ゴルドーニ。
12歳のモーツァルトによるオペラ作曲は人々を驚かせ、多くの嫉妬を生んだ。
オーケストラが演奏を拒否したとき、父レオポルトは皇帝ヨーゼフ2世に救いを求めたが、願いは叶わなかった。
モーツァルトが初めてブルク劇場に登場するのはそれから14年後になる。

【第7回】 交響曲 へ長調 K.19a 第1・2楽章より

2006年02月07日 | 初めての交響曲・オペラ・ミサ曲
1765年 モーツァルト9歳。
ヨーロッパ演奏旅行でも訪れたミュンヘンで、200年以上行方不明だったモーツァルトの作品が、1981年に発見された。それが『交響曲へ長調』である。
楽譜には父の手によるとみられる書き込みがある。
“ヴォルフガング・モーツァルト9歳で作曲”

(管弦楽)イギリス室内管弦楽団
(指揮)ジェフリー・テイト
【出演】(ドイツ文学者)池内 紀


 - 旅は人生 -

モーツァルトが生きた18世紀のヨーロッパは旅行革命の時代だった。
ヨーロッパ各地を結ぶ郵便馬車で誰でも旅ができるようになった。
この時代、モーツァルトほど旅をした音楽家はいない。
モーツァルトの人生で最大の旅が、7歳からのヨーロッパ演奏旅行。
しかし栄光の旅の陰で病気にも苦しめられた。
ロンドンでは父レオポルトが旅の疲れで倒れる。
オランダでは姉ナンネルがチフスにかかり、生死の境をさまよった。
モーツァルトもオランダで、病気のため4週間も寝込んだ。
しかし、モーツァルトは生涯旅を愛し、旅を通して多くの人と音楽に出会い、成長していった。

【第6回】 交響曲 第1番 変ホ長調 K.16 第1楽章

2006年02月06日 | 初めての交響曲・オペラ・ミサ曲
1764年 モーツァルト8歳。
長い演奏旅行の無理がたたった父レオポルトがロンドンで倒れた際、その療養中に一人で作曲したモーツァルト最初の交響曲。
自筆譜にはモーツァルトの音楽の特徴となっていく印象的なシンコペーションが見られる。
曲にはJ・C・バッハの影響も見られる。
この最初の交響曲はロンドンのセントジェームスパークの近くの劇場で初演され、大成功を収めたと言われる。

(管弦楽)イギリス室内管弦楽団
(指揮)ジェフリー・テイト
【出演】(作曲家)池辺晋一郎


 - 初めての交響曲 -

当時のロンドンはウィーンやパリと並ぶヨーロッパ屈指の音楽の都。
有料の演奏会が頻繁に開かれ、モーツァルトも足を運んだ。
そこで聴いた一人の音楽家の交響曲がモーツァルトに大きな影響を与える。
当時のロンドンを代表する音楽家、J・C・バッハ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)。
「音楽の父」と呼ばれるヨハン・セバスティアン・バッハの息子である。
モーツァルトはJ・C・バッハと親交を深め、国王の前で一緒に演奏もした。
モーツァルトは演奏旅行でさまざまな音楽を吸収していった。