毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

◇ フルート四重奏曲 イ長調 K.298 第1楽章

2006年08月31日 | 夏の特別編
1786年 モーツァルト30歳の作品。
医師ドジャンの依頼により、ウィーンで書かれた。
流行のメロディを巧みに織り込み、依頼主ドジャンの好みに合わせて仕立てられた。
自筆譜の余白には他人の筆跡で、ホフマイスター作 歌曲「自然に寄す」のピアノ譜が書き込まれている。この歌曲のメロディを使ってモーツァルトは即興的に作曲し、その場で合奏を楽しんだという。

フルート: エマニュエル・パユ
ヴァイオリン: クリストフ・ポッペン
ヴィオラ: ハリオルフ・シュリヒティヒ
チェロ: ジャン・ギアン・ケラース
出演: 高木綾子 (フルーティスト)


 ~ モーツァルトと楽器④ フルート ~

1777年、21歳のモーツァルトは職を求めて音楽の都マンハイムを訪れた。
当時、貴族や裕福な市民の間ではフルートが好まれ、モーツァルトにもフルート奏者の友人から作曲の仕事が舞い込んだ。依頼主は自らもフルートを演奏するオランダ人医師ドジャン。モーツァルトは初めてフルートの曲を書き、3つの四重奏曲が生まれた。

この時、作曲の過程でモーツァルトは「我慢ができない」とフルートの扱いづらさに不満をもらす。当時のフルートは木製で音程が合わせにくく不安定だった。
しかし不満を抱いての曲作りながら、完成した曲はフルートの特徴を生かした名曲となった。それらは今でも人々に親しまれ愛されている。

モーツァルトは音楽好きのジャカン家と深い交流があった。
ジャカン邸ではしばしば音楽愛好家が集い、演奏会が開かれた。「フルート四重奏曲」の依頼主ドジャン医師も顔を見せていた。「フルート四重奏曲」はこうした席で好んで演奏された。

モーツァルトとその仲間たち、その楽しげな会話が聞こえてくるような「フルート四重奏曲」の響き。モーツァルトは流行を敏感にとらえ、当時のフルートの制約を乗り越えて今も愛される曲を生んだ。

◇ピアノ三重奏曲 変ホ長調 K.498 「ケーゲルシュタット・トリオ」 第3楽章より

2006年08月30日 | 夏の特別編
1786年8月、モーツァルト30歳の作品。ウィーンで作曲された。
モーツァルト自身が弾いたというヴィオラと、クラリネット、ピアノという珍しい編成。この曲でヴィオラは他の楽器と対等にかけあい、時には主旋律を奏で、その音の特製が存分に発揮されている。
ある日モーツァルトが仲間とケーゲルシュタットというゲームに興じ、その合間にこの曲を書いたという逸話から「ケーゲルシュタット・トリオ」という愛称がついた。
ケーゲルシュタット(九柱戯)はヨーロッパに古くから伝わる遊技。9本のピンを倒して競い合う現在のボーリングの前身。ウィーンには今も当時を彷彿させるケーゲルシュタットの遊び場が残っている。

ヴィオラ: タベア・ツィンマーマン
クラリネット: ザビーネ・マイヤー
ピアノ: ハルトムート・ヘル
出演: 川崎雅夫 (ヴィオラ奏者)


 ~ モーツァルトと楽器③ ヴィオラ ~

幼い頃からヴァイオリンの名手だったモーツァルトは、ヴィオラも相当な腕前だった。
ヴァイオリンより一回り大きく低い音域をカバーするヴィオラは独奏楽器としてよりも合奏用に使われる事が多く、曲に厚みを持たせる「縁の下の力持ち」と呼ばれる。

ヴィオラは16世紀にイタリアでヴァイオリンとともに発達。モーツァルトが生きた18世紀後半は弦楽四重奏をはじめ室内楽曲が人気を集め、ヴィオラの重要性は高まっていく。
それに伴って響きのよさが求められ、楽器の改良が進んだ。

25歳で移り住んだウィーンではピアノの演奏会が主流となり、モーツァルトがヴァイオリンの腕前を披露する機会は少なくなった。仲間うちでの演奏会やパーティーでは、もっぱらヴィオラを弾いたという。

他の楽器と調和をとりながら豊かなハーモニーを生み出すヴィオラ。弦楽四重奏では高音のヴァイオリンと低音のチェロの間を取り持つ。オーケストラでは時にヴァイオリンやバスと同じメロディを奏で、それぞれの音を支える役割をする。ヴィオラは自由にその役割を変え、曲に厚みを加えるユニークな楽器。

派手な技巧の華やかさはないが、渋く深い音色のヴィオラを愛したモーツァルト。
その魅力を引き出す数々の名曲が世に送り出された。

◇ディヴェルティメント 変ロ長調 K.287 「第2ロドロン・セレナード」 第4楽章より

2006年08月29日 | 夏の特別編
1777年 モーツァルト21歳の作品。
ザルツブルクの貴族、ロドロン伯爵に頼まれて書いた作品のひとつ。

指揮: ジェフリー・テイト
演奏: イギリス室内管弦楽団
出演: 徳永二男 (ヴァイオリニスト)


 ~ モーツァルトと楽器② ヴァイオリン ~

ザルツブルクの東、ヴォルフガング湖のほとりにたたずむ風光明媚な街ザンクト・ギルゲン。モーツァルトの母マリア・アンナの故郷であるこの街の広場には、モーツァルトの銅像がある。ヴァイオリンを奏でるその銅像は、ヴァイオリンをひときわ愛したザルツブルクの少年時代をしのばせる。
幼いモーツァルトは父親たちの合奏に自分も加わりたいと言いだし、それまで習ったことのないヴァイオリンを見事に弾きこなし、皆を驚かせたという。

モーツァルトの父レオポルトはザルツブルクの宮廷ヴァイオリニスト。指導者としても才能を発揮し、ヴァイオリンの教則本を出版している。
ウィーン美術史美術館の古楽器コレクションには、レオポルトが使っていたヴァイオリンが展示されている。18世紀のオーストリア製で、レオポルトの死後も大切に使われていたという。

ヴァイオリンの制作は、16世紀にイタリアを中心に発展した。
18世紀、ウィーンで宮廷音楽が栄えると、ヴァイオリン職人が各地から集まった。当時は技巧を凝らした華やかな演奏に人気があり、弦や駒を補強して音量を増す工夫が重ねられた。

モーツァルトはこの曲をロドロン家で披露した後も、自ら好んで各地で演奏し絶賛された。
“みんな目をみはって驚嘆していました。僕はヨーロッパ最高のヴァイオリン奏者のように弾きましたよ。” (モーツァルトの手紙 1777年10月6日)

演奏家としてヴァイオリンの魅力を知り尽くしていたモーツァルトは、ひたすら伸びやかで美しい響きを追求する。こうして後世に残るヴァイオリンの名曲の数々が生まれた。

◇ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」 第3楽章より

2006年08月28日 | 夏の特別編
1777年 モーツァルト21歳の作品。
ザルツブルクを訪れたというピアニスト、ジュノム嬢のために作られた。
若々しく独創的で、高度な技巧が要求される曲。
自ら名ピアニストだったモーツァルトも好んで演奏した。

フォルテピアノ: メルヴィン・タン
管弦楽: ニュー・モーツァルト・アンサンブル
出演: 小曽根真 (ピアニスト)


 ~ モーツァルトと楽器① クラヴィーア ~

幼少期のモーツァルトが親しんでいたのは、当時ヨーロッパで主流のチェンバロ。
弦をツメではじいて音を出す仕組みで、音は不安定だった。

1777年、21歳のモーツァルトは父の故郷アウクスブルクを訪れ、当時最も新しいスタイルのクラヴィーアに出会う。
クラヴィーア職人ヨハン・アンドレアス・シュタインが改良を進めた楽器“フォルテピアノ”は、弦をたたいて音が出る仕組みで音の安定感が飛躍的に増した。モーツァルトはフォルテピアノにすっかり魅了された。

“思いのままに鍵(キー)に触れても音は常に一様で、強くなったり弱くなったりしません。シュタインのクラヴィーアが優れているのを認めなければなりません。” (モーツァルトの手紙 1777年10月17日)

モーツァルトが喜々として弾く姿に名匠シュタインも感激したという。
やがて音楽の都ウィーンで自立の道を選んだモーツァルトは、念願だった「ウィーン式」のフォルテピアノを手に入れた。モーツァルトが使ったのはワルター製のフォルテピアノ。アントン・ワルターは当時ウィーンで活躍していたクラヴィーア職人。「ウィーン式」のフォルテピアノは軽いタッチが特徴。モーツァルトはしばしば演奏会にも持ち込んだ。

クラヴィーア生産の中心地ウィーンの技と伝統は今も大切に受け継がれ、数百年前の音色を甦らせている。クラヴィーアの変革期に生きたモーツァルトは、特にピアノ協奏曲では高い技巧で深い感情を表現した。
モーツァルトが生涯愛着を持ち続けその響きを追求した楽器、それがクラヴィーアだった。

◇三重唱「いとしいマンデル リボンはどこなの」 K.441、三重唱「何も言わずに嘆こう」 K.437

2006年08月25日 | 夏の特別編
ソプラノ: モニカ・フリンマー
キャロル・リチャードソン
バス: マルティン・ブラジウス
演奏: トリオ・ディ・クラローネ
出演: 中鉢聡 (テノール歌手)


 ~ モーツァルトと声楽曲⑤ アンサンブル ~

◇三重唱「いとしいマンデル リボンはどこなの」 K.441 詞:W・A・モーツァルト

この曲は、ウィーン時代の親友ゴットフリート・フォン・ジャカンが、モーツァルトと妻コンスタンツェを訪ねた時の出来事を歌にしたという。

コンスタンツェ: いとしいマンデルリボンはどこなの?
モーツァルト: 部屋の中できらきら輝いているよ
コンスタンツェ: 明かりで照らしてみせてよ!
モーツァルト: はいはい ここと思えばまたあちら
ジャカン: おや何を探しているんだい アクセサリーかそれともお菓子かな?
モーツァルト: もう見つかったかい?
コンスタンツェ: いいえ くやしいけど!
モーツァルト: おやおやおやおや
ジャカン: 無視するなんてひどいや! 
モーツァルト:おやおやおやおや
ジャカン: 無視するなんてひどいや! お二人とももう一度聞くけど何を探しているんだい?
2人: あっちへ行って!  
ジャカン: ちぇっ!僕はとっても親切なんだ ちょっとお手伝いしてあげよう!
2人: いいから出ていって!”
ジャカン: そうはいかない! いいですか きっとお役に立てますよ 僕は生粋のウィーンっ子なんでね
2人: 私たちの同郷人だって? それじゃ何も隠すことはない
ジャカン: その通り!
2人: みんなはっきりしゃべってしまおう
ジャカン: さぁ聞かせて! じれったいな
2人: ちょっと待っててよ!
ジャカン: さぁじらさないで聞かせておくれ!
2人: うるさい人! 私たちは綺麗なリボンを探しているの
ジャカン: リボンだって? ふん! 僕はそいつを手に持っているよ
2人: 君 本当にありがとう
ジャカン: お口にふたを! 時間がないんです
2人: 生涯君を愛することにしよう! 
ジャカン: もう遅い 僕は行くことにしよう
全員: なんという喜び気高い太陽よ 本当の友情に生きるとは! それに綺麗なリボンを持ってるなんて そう リボンを見つけたんだ ついにリボンを見つけた!

この曲を気に入ったモーツァルトは、プラハ旅行の折にも演奏した。
モーツァルトとジャカンの微笑ましい交遊の情景を偲ばせる。


◇三重唱「何も言わずに嘆こう」 K.437

1783年、ジャカンの家でしばしば開かれた演奏会のために書いた三重唱。
詞は宮廷詩人メタスタージョのオペラから取られた。
ペルシャ王子への愛を、恋人ラオディーヂェ嬢が歌い上げる。

“何も言わずに嘆こう 私の辛い運命を
  だけど信じないでおくれ 愛しい人よ 私があなたを愛していないなどと
 つれない人よ どうしてあなたに逆らえよう
  もしも私の胸の中に あなたのためにため息をつく みじめな喜びが残っているとしたら
 だけど信じないでおくれ 愛しい人よ 私があなたを愛していないなどと”

モーツァルトのアンサンブル、それは家族や友人と過ごすかけがえのない時間に彩りを添えた。

◇「すみれ」 K.476、 「老婆」 K.517、 「小さな糸紡ぎ娘」 K.531

2006年08月24日 | 夏の特別編
ソプラノ: エリー・アメリング
ピアノ: イェルク・デムス
出演: 小塩節 (ドイツ文学者)


 ~ モーツァルトと声楽曲④ ドイツリート(ドイツ語歌曲) ~


◇「すみれ」 K.476  詞:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

“すみれが一本草原に咲いていた ひっそりと誰にも気づかれずに
それは愛らしいすみれだった
そこに若い羊飼いの娘がやってきた 足取りも軽く気持ちも朗らかに
こちらのほうへ こちらのほうへと 牧場の中を歌いながら”

軽快な間奏に続く翳りのある旋律は、すみれのふさいだ心を表す。

“ああ とすみれは思う もしも自分が自然の中で一番綺麗な花だったら
ああ!ほんのしばしの間でも 愛らしいひとが私を摘み取って
胸にそっと押し当ててくれるだろうに”

少女に憧れてやまないすみれにやがて悲劇が訪れる。

“ああ でも ああ!
乙女はやって来てすみれに気付きもしないで かわいそうなすみれを踏みつけてしまった
すみれは倒れ伏し死んだが それでもまだ喜んでいた
私が死んでもそれは あのひとのせいで あのひとのせいで
あのひとの足もとで死ぬんだから!”

“かわいそうなすみれよ! それは愛らしいすみれだった!”
(モーツァルトが書き加えた詞)


◇「老婆」 K.517

“あたしの時代にゃ 正義や公正が行われていたよ 
子ども達は立派に大人になったし 品行方正な娘たちは花嫁になったよ
万事つつましやかだったよ ああ いい時代だった! ああ いい時代だったね!”

モーツァルトが作曲した1787年当時、この詩はウィーンでよく知られていた。
昔を懐かしみ今を嘆く老人の語り口をモーツァルトは巧みに表現し、曲の冒頭では「ちょっと鼻にかけて歌うように」と指示した。

“信心深い女はおだやかに切り盛りしていたから あたしたちは心豊かで夫たちは子だくさん
みんなそうしていたものだ ああ いい時代だった! ああ いい時代だったね!
あたしの時代にゃ あたしの時代にゃ 夫婦の仲はまだむつまじかった
今じゃ男はあたしたちにゃ命令するような調子だし あたしたちに反対し あたしたちを見張っている 自分たちは友達と楽しんでいるのに
ああ いやな時代だね! ああいやな時代だね!
国中こんなに変わってしまったし 夫婦生活にゃ呪いがかかっていて
彗星があたしたちを 長いこと脅かしているんだ
ああ いやな時代だね! ああ いやな時代だね!”


◇「小さな糸紡ぎ娘」 K.531

“「なにを紡いでいるんだい?」って こないだお隣のフリッツが聞いたわ
「君の糸車は稲妻みたいに回るね! それより一緒に遊ぼうよ」”

一緒に遊ぼうという男の子を、おませな女の子があしらう。
31歳の時の作品で、軽快なリズムと明るい旋律が無邪気さを表現する。

“「そうやって娘の気をひこうとするのね そういう遊びは勝手にやったらいいわ」”

このころモーツァルトは多くのドイツリートの名曲を生みだした。
ドイツ歌曲の先駆けとして今も輝き続けている。

“「お行きなさい!用はないわ」「私が絹を紡ぐときはフリッツさん麻くずなんて欲しくないのよ」”

◇カノン「プラーター公園に行こう」 K.558 他 

2006年08月23日 | 夏の特別編
指揮: エーリヒ・ケラー
合唱: ウィーン・アカデミー室内合唱団
出演: 桂小米朝 (落語家)


 ~ モーツァルトと声楽曲③ カノン ~

◇カノン「プラーター公園に行こう」 K.558

ウィーン郊外にあるプラーター公園をモーツァルトはしばしば訪れた。
当時ウィーン市民が乗馬やソリすべりを楽しんだ憩いの場。モーツァルトは仕事の後に仲間を誘い、広々とした解放感を満喫した。

“プラーター公園に行こう 狩り場に行こう カスパールのところへ行こう
カスパールは病気だ 熊はくたばっちゃった あっちの狩場で僕たちは何をするんだい?
プラーター公園は蚊がブンブン それにウンチもウンとこさ”

気心の知れた友人と心から笑い歌い楽しんだカノンの数々。
芸術性の高い宗教的作品も含め、モーツァルトのカノンは30を越える。


◇カノン「わたしゃマルスとイオニア人になるのは難しい」 K.559

“わたしゃマルスとイオニア人になるのは難しい”
1788年、モーツァルトが自作のラテン語の歌詞に曲をつけたカノン。この歌詞を発音になまりのある友人に歌わせるとユーモラスな意味に聞こえ、仲間同士で笑いはやしたてた。


◇カノン「おお お前 ばかのマルティンよ」 K.560

“おお お前 ばかのマルティンよ! おお お前 マルティンのおばかさん!
お前はほんとにろくでなし まるでやせ馬そっくりさ どうしようもないやせ馬さ
お前にかかっちゃお手上げさ いずれはギュゥとつるされるさ
お前とんまなやせ馬で ほんとにろくでなし さっさと目を覚ませ
おお愛する友よお願いだ おおいそいで僕のお尻にキスをして!早く早くキスをして!
ああ愛する友よ僕を許せ お前のお尻を封印するぞ マルティンどうか僕を許せ!”

これは1788年ウィーンで作った友人をからかうカノン。当時のウィーンなまりの奔放な言葉遣い。気取らない言葉の背景には、親愛の情が込められていた。
“マルティン”はモーツァルトの演奏会を主催した友人と言われる。
モーツァルトはしばしば名前を別の仲間の名にも置き換えて歌った。

◇「聖母マリアのためのリタニア」 K.195 第5曲  アニュス・デイ

2006年08月22日 | 夏の特別編
“ 神の子羊 世の罪を除きたもう主よ 我らを赦したまえ
   主よ我らの祈りを聞き入れたまえ 我らを憐れみたまえ ”

ソプラノ: バーバラ・ヘンドリックス
指揮: ネヴィル・マリナー
合唱: アカデミー室内管弦楽団合唱団
演奏: アカデミー室内管弦楽団
出演: バーバラ・ヘンドリックス (声楽家)


 ~ モーツァルトと声楽曲② 祈りの歌 ~

「リタニア」とは、司祭が主イエスや聖母マリアを賛美しそれに信者が応唱する祈りの儀式の音楽。19世紀初めまでウィーンやザルツブルクでも盛んに作曲された。
この曲ではソプラノ独唱が深い内面性をたたえ、オペラのアリアを思わせる。

モーツァルトが18歳のとき手がけたこの曲は、その規模の大きさからザルツブルク大聖堂で演奏されたとみられる。
宮廷楽団の楽師長として大司教に仕える日々の中から完成度の高いリタニアが生まれた。

◇「寂しく暗い森で」 K.308、 「静けさはほほえみながら」 K.152

2006年08月21日 | 夏の特別編
ソプラノ: バーバラ・ヘンドリックス
ピアノ: マリア・ジョアン・ピリス
出演: バーバラ・ヘンドリックス (声楽家)
 

 ~ モーツァルトと声楽曲① 愛の歌 ~


◇「寂しく暗い森で」 K.308(フランス語歌曲)

“寂しく暗い森で ある日私は散歩していた
    子供がひとり木陰で眠っていたが それは怖ろしい愛の神だった”

友人のフルート奏者の娘からもらったフランス語の詩に曲をつけた作品。
愛の神に出会い、忘れようとしていた恋人への想いが呼び覚まされる。

“愛の神は朱色の唇をしていたし 彼女と同じくらい綺麗な顔色をしていた。 彼女がため息を漏らすと愛の神は目覚める。 愛の神はささいなことで目を覚ましてしまうのだ。すぐにその翼を広げ 復讐の弓をつかんで 無慈悲な一本の矢で 飛び立ちながら 愛の神は私の胸を傷つける”

この曲を書いたころ、モーツァルト自身もマンハイムで歌姫アロイジアに恋をした。
しかし1年に及んだアロイジアへの思いが実を結ぶことはなかった。

“愛の神は言う「お前は一生涯彼女を愛するのだよ 僕を目覚めさせてしまったのだから”


◇「静けさはほほえみながら」 K.152(イタリア語歌曲)

モーツァルトはイタリア旅行で歌曲の魅力に触れた。
この曲は愛を知った心の充足を歌い上げる。

“静けさはほほえみながら心の中に沸き上がってくる。 腹立たしさや不安よ 消えてゆくがいい”

流麗なイタリア語の響きを生かした軽やかな旋律で、愛する心が舞い上がる様子を表現している。

“どうぞ私のもとへいらっしゃって そしてしっかり結んで愛しい人よ
    やさしい愛の絆を 私の胸にとても嬉しい愛の絆を ”

モーツァルトは13歳から17歳にかけて3度イタリアを旅した。
カンツォーネがあふれる国イタリア。街や劇場で歌声に触れたモーツァルトは、人の声の魅力に心を動かされ、それが珠玉の愛の歌に結晶していく。