毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

【第177回】ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K.526 第1楽章

2006年11月21日 | ミュンヘン

ヴァイオリン: フランク・ペーター・ツィンマーマン
ピアノ: アレクサンダー・ロンクヴィヒ
出演: 徳永二男 (ヴァイオリニスト)


 ~ 涙の手紙 ~ 

ライン川とマイン川が合流する街マインツ。
モーツァルトはフランクフルト演奏旅行の帰途、1790年10月16日マインツに立ち寄る。

モーツァルトは1週間滞在し、この「ヴァイオリン・ソナタイ長調」を演奏したといわれる。10月20日の晩にはこの選帝侯の館で演奏会を開く。
しかしその収入はモーツァルトが満足できるものではなかった。

“選帝侯のところで演奏したんだけど、たったの15カロリーンもらっただけだ” (コンスタンツェへの手紙 1790年10月23日)
モーツァルトはマインツを発ってミュンヘンに向かう。

バイエルン州の州都ミュンヘン。ミュンヘンはモーツァルトが幼い頃から何度も訪れた街だった。このときも中心街にある定番の「黒鷲館」に宿泊した。

モーツァルトの滞在を聞きつけたミュンヘン選帝侯からは演奏依頼が来る。
ちょうどナポリ王がミュンヘン訪問中で、モーツァルトは歓迎音楽会に出演した。

“ナポリの王様が異国で僕の演奏を聴くはめになろうとは、ウィーンの宮廷にとって素晴らしい名誉だ” (コンスタンツェへの手紙 1790年11月4日頃)
だがモーツァルトの心はすでにウィーンで待つ妻のもとへ飛んでいた。

“君に再会出来るのが嬉しい。話したいことが山ほどあるからだ。来年の終わりには君と一緒に旅するつもりだ。そうすれば君の気晴らしにも僕の健康にも効き目があるだろう。ごきげんよう 可愛い人 数百万回のキスをするよ”

ミュンヘンを発ったモーツァルト。
旅の成果は乏しかったが、愛する妻に会える喜びをかみしめていた。

【第65回】レチタティーヴォとアリア “憐れな私よここはどこなの?”K.369

2006年04月28日 | ミュンヘン
1781年 モーツァルト25歳の作品。
ミュンヘンの伯爵夫人ヨーゼファ・パウムガルテンに捧げた曲。
このアリアでは、恋人を殺された娘が悲しみの中で命を絶とうとする。

“ああ 何という悲惨な光景 忌まわしい記憶 耐え難い苦しみ
  この不幸の中でも 私は語り生きるのでしょうか
   いいえ そうではない 今語っているのは私ではないの
    それは私の苦悩です この心を引き裂く苦悩です
  無情の天は 地獄の光景を忘れさせてくれない
   雷に打たれて死にたいと思っても この身に落ちてはくれない”

伯爵夫人の音域を配慮してか、高音を押さえながらも技巧を駆使して深い感情を表現している。

(ソプラノ)キャスリーン・バトル
(演奏)ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)アンドレ・プレヴィン                          
【出演】 (作家)島田 雅彦


 ~ 喝采の余韻 ~ 

1781年3月、オペラ「イドメネオ」の再演を果たしたモーツァルト。
喝采の余韻の中で、ひとりの女性のためにこの曲を書いた。
その女性とは、パウムガルテン伯爵夫人。18歳のアマチュアのソプラノ歌手で、類いまれな美貌をもつ。宮廷音楽家と友にモーツァルトの「イドメネオ」実現を助けた。
選帝侯カール・テオドールは伯爵夫人の求めに応え、モーツァルトに「イドメネオ」の作曲を依頼した。大きなチャンスを与えてくれた伯爵夫人に、モーツァルトはその若さと美貌にふさわしい旋律を捧げた。

ミュンヘンで自由の空気を満喫したモーツァルト。音楽活動に多くの制約を課すザルツブルク宮廷には戻りたくないとミュンヘン滞在を引き延ばし、ついに4ヶ月が過ぎていた。ついに大司教コロレドから命令が下った。コロレドが訪れていたウィーンに至急来るようにとのことだった。
モーツァルトはミュンヘンを後にした。
主人コロレドとの4ヶ月ぶりの対面は、モーツァルトの運命を大きく変えることになる。

【第64回】 オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370 第2、3楽章より

2006年04月27日 | ミュンヘン
1781年 モーツァルト25歳の作品。
オーボエ奏者フリードリヒ・ラムのために書いた。

(オーボエ)レイ・スティル
(バイオリン)イツァーク・パールマン
(ビオラ)ピンカス・ズッカーマン
(チェロ)リン・ハレル
【出演】 (オーボエ奏者)宮本 文昭


 ~ オーボエ奏者 ラム  ~

1781年1月に無事に初演を終えたオペラ「イドメネオ」。
モーツァルトはミュンヘンである演奏家との再会を果たす。
それはマンハイムで知り合ったオーボエ奏者ラムだった。モーツァルトはラムのためにこの「オーボエ四重奏曲」を書いた。
1777年にマンハイムで出会い、生涯にわたり親交をもったラム。当代随一のオーボエ奏者と呼ばれていた。モーツァルトはラムの明るい人柄とオーボエの音色に魅了された。

“彼はとてもうまく吹き、きれいで繊細な音を持っています”(父への手紙)

モーツァルトはラムの高い技巧と表現力を存分に生かせるよう、華やかさと洗練美をあわせもつ曲を仕上げた。
ラムはオペラ「イドメネオ」の演奏にも参加した。稽古を終えた夜、ラムはモーツァルトの宿にかけつけた。

“ラムは思った通りを率直に言う本当のドイツ人ですが、とても喜んで僕に言いました。「正直に告白するけど、こんなに感動した音楽はこれまでになかったよ」” (父への手紙1780,12,1)

成功を支えてくれた友にモーツァルトはこの曲を贈った。
オペラの成功、親友との再会。モーツァルトはミュンヘンにとどまり続けた。
ザルツブルクの宮廷から許された休暇期間の6週間はとうに過ぎていた。
モーツァルトの心はザルツブルクから離れていった。

【第63回】オペラ“クレタの王イドメネオ”K.366 第3幕行進曲/四重唱“ひとりさすらいに赴こう”

2006年04月26日 | ミュンヘン
イダマンテは愛し合う王女イーリアを残し、父の意向に従い旅立つ決意をする。

イダマンテ “ひとりさすらいに赴こう 異国の地に死を求めつつ 死に至るまで”
イーリア  “私を悲しみの伴侶として下さい あなたがどこにいようと どこでお亡くなりになろうと 私もそこで死ぬことでしょう”
イドメネオ “無慈悲なネプチューンよ 誰が哀れんで私を殺してくれるのか”

この曲では登場人物の感情の絡み合いが精緻に表現され、オペラの中で最高の盛り上がりを見せる。3人の苦悩の歌声にイーリアの恋敵エレットラの嫉妬の叫びが加わる。

エレットラ “いつ仇を討つことができるの お怒りの眉をお解き下さい ああ、私の心は千々に乱れる”
四重奏 “こんな大きな苦しみはない 死にまさるほどのこの大きな苦しみ
       これ以上にひどい運命を 大きな罰を 誰も苦しんだものはない”

(ソプラノ)セーナ・ユリナッチ
      ルシーユ・ウドヴィック
(テノール)リチャード・ルイス
      レオポール・シモノー                        
(演奏)グラインドボーン音楽祭管弦楽団
(指揮)ジョン・プリッチャード                        
【出演】 (声楽家)錦織  健


 ~ 渾(こん)身のオペラ ~              

モーツァルトの久々のオペラ「イドメネオ」は、1781年1月29日、父レオポルトと姉ナンネルが見守る中、キュヴィリエ歌劇場で初演され、宮廷音楽家から絶賛された。
初演は若き音楽家モーツァルトの輝かしい船出となった。

【第62回】 オペラ “クレタの王イドメネオ” k.366 第2幕アリア

2006年04月25日 | ミュンヘン
嵐に巻き込まれたクレタ王イドメネオは自らの命を救ってもらうため、上陸して最初に出会う人間をいけにえにする誓約を海神に立てた。
イドメネオが故郷で最初に出会ったのは、皮肉にも息子のイダマンテだった。イドメネオは息子を犠牲にせずにすまそうと、海神との誓約に背き息子を異国に旅立たせようと決意する。
父の命令でクレタを旅立つことになったイダマンテ。囚われの身のトロイアの王女イーリアは、彼を深く愛していた。第2幕、イーリアは「愛する人の父親は自分にとっても父親」と歌う。

第2幕アリア “たとえ父を 祖国を 安らぎを失ったとしても”

“たとえ父を 祖国を 安らぎを失ったとしても
  イドメネオ様 あなたが私にとっての父なのです
   クレタこそ私には いとしい土地なのです
    今となってはもはや苦しみや悩みを思い起こすことはありません 
     失ったものの償いとして 天は喜びと満足を私に与えてくれました”

(ソプラノ)セーナ・ユリナッチ
(演奏)グラインドボーン音楽祭管弦楽団
(指揮)ジョン・プリッチャード                  
【出演】 (作家)永井 路子


 ~ 初演を前に ~

1780年冬、オペラ「イドメネオ」の稽古が進んでいた。
トロイアの王女イーリア役は、マンハイムでお世話になったフルート奏者ヴェンドリンクの妻ドローテアが務めることになっていた。モーツァルトは感謝を込め、彼女のため精魂を傾けて作曲した。
12月末、選帝侯カール・テオドールはオペラの稽古に立ち会う。
そして多くの宮廷音楽家たちの前でモーツァルトの才能を絶賛する。
モーツァルト24歳の冬、大作オペラの初演は目前に迫っていた。
           

【第61回】オペラ“クレタの王イドメネオ”k.366 序曲より / 第1幕アリア

2006年04月24日 | ミュンヘン
1781年 モーツァルト25歳の作品。
ミュンヘンの選帝侯カール・テオドールの依頼により作られた。

「イドメネオ」は古代ギリシャ時代のクレタ王国を舞台にした物語。
嵐に巻き込まれたクレタの王イドメネオは、陸に着いて最初に出会う人間をいけにえに捧げる代わりに自分を助けて欲しいと、海神ネプチューンに命乞いをした。
第1幕、イドメネオは最初のアリアで、他人を犠牲にする心のおののきを歌う。

第1幕アリア “私は自分のまわりに悲しげな亡霊を見るだろう”

“私は自分のまわりに見るだろう 悲しげな亡霊を
  その亡霊は昼も夜も 自分には罪はないと私を指すだろう
   突き刺された胸をさらし 血の気の失せた肉体を示し
    私が犯した罪を 飛び散った血潮が私に指し示すことだろう
  なんと怖ろしいことだ なんと苦しいことだ 
   私の心は苦しみに耐えかね 幾度となく死ぬことだろう”

イドメネオが最初に出会ったのは、こともあろうに息子イダマンテだった。
ここから父と子の葛藤のドラマが始まる。

(テノール)リチャード・ルイス
(演奏)グラインドボーン音楽祭管弦楽団
(指揮)ジョン・プリッチャード                        
【出演】 (作家)島田 雅彦


 ~ 念願のオペラ ~
                   
1780年11月、モーツァルトはミュンヘンにやってきた。
久々に宮仕えから解き放たれ、心は沸き立っていた。
当時ミュンヘンの宮廷には、かつてマンハイム選帝侯だったカール・テオドールが君臨していた。モーツァルトの才能を高く買っていた選帝侯は新作オペラを依頼した。
新作「イドメネオ」の主役を務めることになっていたのは、かつてマンハイムで親交を深めた歌手アントン・ラーフであった。選帝侯に伴い、ラーフたち宮廷音楽家もマンハイムから移ってきていた。
1780年冬、大作オペラの初演に向けて稽古が進んでいた。

【第49回】 バイオリン・ソナタ ト長調 K.301 第1楽章より 

2006年04月06日 | ミュンヘン
1778年 モーツァルト22歳の作品。
選帝侯妃エリーザベトに献呈した作品集の中の1曲。
ヴァイオリンの個性を存分に生かした伸びやかな旋律を持つ。

 (バイオリン)フランク・ペーター・ツィンマーマン
 (ピアノ)アレクサンダー・ロンクヴィヒ
 【出演】 (バイオリニスト)高嶋ちさ子


 - 旅の終わり -

1778年12月、モーツァルトはひとりミュンヘンにいた。バイエルン選帝侯の居城だったレジデンツで、マンハイムから来たカール・テオドールが新たな選帝侯として統治を始めていた。モーツァルトは選帝侯妃エリーザベトにひとつの作品集を献呈する。
就職活動が目的のこの旅で全く成果を上げられずにいたモーツァルト。選帝侯妃エリーザベトへの曲の献呈にわずかな望みを託していた。モーツァルトはエリーザベトから手厚い待遇を受け、就職の期待を抱いた。
“たっぷり半時間はお邪魔しましたが、とても寛大にもてなしてくれました” 父への手紙より

しかしエリーザベトへの曲の献呈も虚しく、結局就職の口を得ることは出来なかった。
就職の失敗、母の死、失恋。失意に沈むモーツァルトはこのころ夢について語っている。

“安らかな夢 元気づける快い夢! もしそれが本当に実現したら、悲しい僕の人生をもっと耐えられるものにしてくれる そんな夢です” 父への手紙 1778年12月31日

そんなモーツァルトの心に差し込んだ一筋の光。それはミュンヘンを訪れた従妹のベーズレだった。気心の知れたベーズレと過ごすひととき、モーツァルトの傷ついた心は癒された。
モーツァルトは1年4ヶ月の旅を終える決意をし、ザルツブルクで待ちわびる父に手紙を書き送る。
“あなたのもとに帰るのを今や心から喜んでいます!ただひたすら、あなたと最愛のお姉さんと一緒になれる何より嬉しい幸せな日々をもう今から心待ちにしています。”
モーツァルトのマンハイム・パリの傷心の旅はこうして幕を下ろした。

【第48回】 バイオリン・ソナタ ニ長調 K.306 第2楽章

2006年04月05日 | ミュンヘン
モーツァルト22歳の作品。
1778年11月、アロイジアに会うためパリからマンハイムに向かう旅の途上で書かれた。
ヴァイオリンとピアノが静けさの中に哀調を帯びた旋律を奏でる。

 (バイオリン)フランク・ペーター・ツィンマーマン
 (ピアノ)アレクサンダー・ロンクヴィヒ
 【出演】 (作曲家)大島ミチル


 -失 恋 -

パリを離れたモーツァルトは1778年11月、音楽の都マンハイムを再び訪れる。
想いを寄せるアロイジアとの再会を心待ちにしていたモーツァルト。しかしアロイジアの姿はそこにはなかった。
プファルツ選帝侯カール・テオドールがバイエルン選帝侯を兼任することになり、マンハイムの宮廷音楽家の大半もバイエルンの都ミュンヘンに移った。歌手アロイジアも家族とともにマンハイムを去った後だった。モーツァルトはひとり落胆の日々を送る。

ザルツブルクの父からは、帰郷を命じる手紙が届いていた。
恋に夢中になりあてのない旅を続ける息子を父は厳しくたしなめる。
“おまえの分別を妨げている原因はウェーバー嬢に対する恋心です”
しかし父の言葉はモーツァルトの心には届かなかった。

モーツァルトはマンハイムを旅立つ。アロイジアが暮らすミュンヘンの街へ。
クリスマスの夜、モーツァルトはミュンヘンに到着する。ウェーバー家を訪れたモーツァルトはアロイジアとの再会を果たす。
しかしミュンヘンで成功したアロイジアにはかつての面影はなく、モーツァルトへの応対は冷たかった。名声も収入もモーツァルトをはるかに凌ぐようになったアロイジア。その心はすでにモーツァルトから離れてしまっていた。
冷たくあしらわれたモーツァルトは父に宛てて手紙を書いた。

“今日はただ泣きたいだけです。僕の心はあまりに感じやすいのです。”
                      父への手紙1778年12月29日

故郷へアロイジアを連れて帰ることさえ夢見ていたモーツァルト。
思いもよらぬ失恋にモーツァルトの心は打ちのめされた。

【第29回】 ディヴェルティメント ヘ長調 K.247 第1楽章

2006年03月09日 | ミュンヘン
1776年 モーツァルト20歳の作品。
ディベルティール=気を晴らす という意味。

 (演奏)ポーランド室内管弦楽団
 (指揮)イエジ・マクシミウク
 【出演】 (「モーツァルト劇場」主宰)高橋 英郎


 - ミュンヘンでの出来事 -

1777年9月 モーツァルト21歳。鬱々としたザルツブルクでの生活を離れ、母と2人旅に出る。最初の目的地はミュンヘン。宮廷に新たな職を求めるためだった。
モーツァルトは6歳の時最初の演奏旅行でニュンフェンブルク宮(バイエルン選帝侯の離宮)を訪れ、選帝侯マクシミリアン3世の前で演奏を披露し大好評を博した。18歳の時にはオペラの作曲を依頼するなど、マクシミリアン3世はモーツァルトの才能を買っていた。
選帝侯マクシミリアンに謁見する機会を持ったモーツァルトは、宮廷音楽家に採用されるという期待に胸をふくらませていた。

「私はすでに3度イタリアに赴き、3つのオペラを書き、ボローニャのアカデミーの会員となりました。私の唯一の望みは選帝侯殿下にお仕えすることです。」

しかしマクシミリアン3世は言い放つ。 「空席がない。」

大司教との確執の末にザルツブルクを離れたモーツァルトが採用されるはずはなかった。
一方地元の貴族はモーツァルトの才能を高く評価した。モーツァルトはある伯爵のためにこのディヴェルティメントを演奏し、大喝采を受ける。ディヴェルティメントの演奏は貴族を楽しませたとともに、モーツァルト自身の慰めとなった。
1777年10月、モーツァルトはミュンヘン滞在を切り上げ、次なる街へと旅立った。

【第26回】 オペラ“偽りの女庭師” K.196 序曲、第1幕よりアリア“何と美しく、愛らしく…”

2006年03月06日 | ミュンヘン
1774年 モーツァルト18歳の作品。バイエルン選帝侯マクシミリアン3世によって依頼された、3幕の新作オペラ。1775年1月13日に初演された。
行方がわからなくなった婚約者の伯爵を探すため、主人公の侯爵令嬢は庭師に姿を変える。いくつかの騒動の末、侯爵令嬢は婚約者と結ばれる。

“何と美しく 何と淑やかで 何と輝かしいことか 永遠の神々よ!
    太陽を見て 彼女を見ると その光に心打たれ 
       私はもう おお神よ! よろめく思いです”

【序曲】
 (演奏)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 (指揮)ブルーノ・ワルター

【第1幕より アリア“何と美しく、愛らしく…”】
 (テノール)プラシド・ドミンゴ
 (演奏)ミュンヘン放送交響楽団
 (指揮)ユージン・コーン

【出演】 (東京大学大学院教授)小林 康夫


- オペラの大成功 -

1774年12月、モーツァルトは父レオポルトと共にミュンヘンにやって来た。
ミュンヘンの宮廷から新作のオペラを依頼されていたのだ。
モーツァルトにとって久しぶりのオペラの作曲である。

18世紀、ミュンヘンの宮廷では毎年クリスマスになると新作のオペラが2本上演された。
1本は神話や伝説から題材をとった「オペラ・セリア」
もう1本は日常の生活を題材にした「オペラ・ブッファ」
モーツァルトが作曲したのは3幕のオペラ・ブッファ『偽りの女庭師』である。
このオペラの大成功によって、モーツァルトは久しぶりに満ち足りた時を迎えた。