毎日モーツァルト!

モーツァルト初心者なので、モーツァルトの曲をたくさん覚えたい♪BS2の番組『毎日モーツァルト』の曲名を毎日?記録します。

【第32回】 バイオリン協奏曲 第3番 ニ長調 K.216 第3楽章

2006年03月14日 | アウクスブルク
1775年9月 モーツァルトが19歳の時にザルツブルクで作曲した曲。
第3楽章は当時親しまれていた民謡から旋律を取っている。
モーツァルトはこの曲を旅先に携え、しばしば演奏した。

 (バイオリン)ダヴィッド・オイストラフ
 (演奏)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 (指揮)ダヴィッド・オイストラフ
 【出演】 (バイオリニスト)高嶋ちさ子


 - ベーズレとの恋 -

1777年10月、アウクスブルクを訪れたモーツァルトは父レオポルトの意向に従い父の弟の家の近くに滞在していた。叔父の家でモーツァルトはいとこのベーズレ(マリア・アンナ・テークラ)と出会う。ベーズレはモーツァルトより2歳年下で20歳になろうとしていた。

叔父の家の近くにある聖十字教会にモーツァルトとベーズレはしばしば訪れた。いとこ同士の気の置けない関係からいつしか恋が芽生える。

“誓って言えるのは僕らのベーズレは美しく、かしこく、愛らしくて陽気であるということです。本当に僕ら2人はすっかり気が合っています”〔モーツァルトの父への手紙 1777年10月16日〕

父は恋にばかりうつつを抜かさぬようにと息子に忠告しているが、モーツァルトは忠告に耳を傾けない。15日間の滞在のうちにベーズレとの仲は急速に進展していった。
モーツァルトはベーズレへの思いを残しながら就職のため次の街に旅立たねばならなかった。その後も2人はしばしば手紙を交わした。のちにモーツァルトがベーズレにあてた手紙には、モーツァルトが親しみを込めて彼女を描いたスケッチが見られる。

モーツァルトはベーズレに一編の詩をフランス語で書き送っている。
“僕の愛するものをあなたが愛するなら あなたはあなた自身を愛するのです”

10月末、モーツァルトはベーズレを残し、次なる目的地マンハイムへと旅立つ。

【第31回】 ピアノ協奏曲 第7番 ヘ長調 K.242 第3楽章

2006年03月13日 | アウクスブルク
1776年2月 モーツァルト20歳の時にザルツブルクで書かれた作品。
モーツァルトと親交のあったロドロン伯爵夫人と2人の令嬢が共演できるよう3台のピアノのために書かれた協奏曲。
ピアノを始めたばかりの令嬢のため、易しく書かれている。

 (ピアノ)ヘフツィバー・メニューイン
      ヤルタ・メニューイン
      ジェレミィ・メニューイン
 (演奏)ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
 (指揮)ユーディ・メニューイン
 【出演】 (ドイツ文学者)池内 紀


 - 名匠シュタインを訪ねて -

モーツァルトの父レオポルトの故郷アウクスブルク。
1777年10月、この街を訪れたモーツァルトは父親の意向に従い、楽器職人のヨハン・アンドレアス・シュタインのもとを訪れる。シュタインとモーツァルトは11年ぶりに再会した。成人したモーツァルトをシュタインは大喜びで迎える。
訪問するなりモーツァルトはクラヴィーアに駆け寄り弾き始める。
ハンマーが弦を打った瞬間、素早く元の位置に戻る画期的な技術。シュタインの楽器はモーツァルトを魅了した。

数日後、モーツァルトはシュタインと聖ウルリヒ・アーフラ教会を訪れる。
モーツァルトはここでオルガンを演奏した。演奏を聴いたシュタインはその腕前に驚き、改めてモーツァルトの成長ぶりを実感した。モーツァルトはシュタインと意気投合し、数日後一緒に演奏会を開く。演奏会でモーツァルトとシュタインはこの『ピアノ協奏曲第7番』を共演する。

高度な技術に支えられたシュタインの楽器に触れて、モーツァルトはその魅力にますます引き込まれていく。ピアノ職人シュタインとの出会いはモーツァルトの音楽に新たな可能性を与えた。

【第30回】 ピアノ協奏曲 第6番 変ロ長調 K.238 第1楽章 (ピアノ五重奏版)

2006年03月10日 | アウクスブルク
1776年 モーツァルト20歳の作品。

 (ピアノ)ジャン=フィリップ・コラール
 (演奏)ニュイール弦楽四重奏団
 【出演】 (「モーツァルト劇場」主宰)高橋 英郎


 - 父ゆかりの街へ -

1777年秋、モーツァルト21歳。ミュンヘンでの就職に失敗し、次にアウクスブルクを訪れた。
父レオポルトの故郷アウクスブルクは、南ドイツバイエルン州、ミュンヘンの西60キロにあるローマ帝国以来続くドイツ最古の都市の一つ。中世以来金融の街として繁栄し、「黄金のアウクスブルク」といわれた。

モーツァルトの父レオポルトは1719年アウクスブルクに生まれた。モーツァルト一家は職人および芸術家の家系であり、レオポルトの父は製本業を営んでいた。書物に美しい装丁を施すこともまさに芸術家の仕事。レオポルトは音楽に必要な繊細な感覚を代々受け継いでいた。また、レオポルトは幼少時代、聖ウルリヒ・アーフラ教会の聖歌隊で歌い、音楽の素養を身につけた。

1777年10月、父の故郷にやって来たモーツァルトはまず市長を訪ねる。市長をはじめ皆が父レオポルトのことを覚えており、モーツァルトは大歓迎を受ける。
モーツァルトはフッガー家(15世紀以来続くアウクスブルクの名家)で『ピアノ協奏曲第6番』を演奏し、街の人々からも大好評を博する。
父の故郷でゆかりの人々に囲まれ、モーツァルトは幸せな時を過ごす。

☆本編では レオポルト・モーツァルト作 『トランペット協奏曲 ニ短調』 も流れました。