1773年 モーツァルト17歳。
モーツァルトはわずか1ヶ月で6曲の弦楽四重奏曲を書き上げる。
「ウィーン四重奏曲 第6番」は、6曲の中で唯一短調で書かれている。
第1、4楽章より
(演奏)ホイットリンク弦楽四重奏団
【出演】 (ドイツ文学者)池内 紀
- ハイドンへの憧れ -
1773年 モーツァルト父子は、新たな職を探すため再びウィーンを訪れる。
モーツァルトは幼年時代に御前演奏し大喝采を受けた女帝マリア・テレジアに再び謁見した。しかし女帝の態度は冷たく、宮仕えの夢は叶わなかった。
モーツァルトは失意の中でハイドンなどをはじめとするウィーン作曲家の新たな音楽と出会う。
ウィーンの南50キロにある街アイゼンシュタットに、ハンガリー出身の貴族エステルハージ家がある。ハイドンはエステルハージ家に29年勤め、数々の楽曲を生み出した。
今でも「ハイドンザール」の名で親しまれているそのホールでは、多くのハイドンの曲が初演された。ハイドンはモーツァルトがウィーンを訪れた1770年代初頭、数々の弦楽四重奏曲を作曲し、脚光を浴びていた。
後にモーツァルトはハイドンに対し、父親同様の尊敬を抱くようになる。
モーツァルトはわずか1ヶ月で6曲の弦楽四重奏曲を書き上げる。
「ウィーン四重奏曲 第6番」は、6曲の中で唯一短調で書かれている。
第1、4楽章より
(演奏)ホイットリンク弦楽四重奏団
【出演】 (ドイツ文学者)池内 紀
- ハイドンへの憧れ -
1773年 モーツァルト父子は、新たな職を探すため再びウィーンを訪れる。
モーツァルトは幼年時代に御前演奏し大喝采を受けた女帝マリア・テレジアに再び謁見した。しかし女帝の態度は冷たく、宮仕えの夢は叶わなかった。
モーツァルトは失意の中でハイドンなどをはじめとするウィーン作曲家の新たな音楽と出会う。
ウィーンの南50キロにある街アイゼンシュタットに、ハンガリー出身の貴族エステルハージ家がある。ハイドンはエステルハージ家に29年勤め、数々の楽曲を生み出した。
今でも「ハイドンザール」の名で親しまれているそのホールでは、多くのハイドンの曲が初演された。ハイドンはモーツァルトがウィーンを訪れた1770年代初頭、数々の弦楽四重奏曲を作曲し、脚光を浴びていた。
後にモーツァルトはハイドンに対し、父親同様の尊敬を抱くようになる。