午前中は、広島ハウス。歩いていくことにした。プノンペンのまちは面白い。我々の宿泊しているダイヤモンドホテルは、フランス植民地期に建てられた市場セントラル・マーケットのすぐそばにある。プノンペンのまさに中心にあたるわけだが、周辺には、5階建てあるいは6階建ての集合住宅が建ち並んでいる。ホテルを出て東に向かいながら街区内の路地に入った。メイン道路沿いには中層の集合住宅がはりついており、街区の内部がどうなっているのか好奇心がうずいた。時々見える細い路地の先を見てみたかった。路地をどんどん奥にはいると、直行する路地にであった。左側の路地は集合住宅の中庭に繋がっていた。そこでは子どもたちが遊んでいた。その中庭からは階段がいくつも上層に向かって伸びており、渡り廊下も見られ、上からの視線と下からの視線が相互に交錯する場があった。中庭に向けて、積層する住戸は入口を向け、その光の井戸は、コミュニティの場所として機能していた。最上階まで上り一つの住戸に入れていただいた。韓国人の方が住む住戸であった。言葉が通じなかったため正確にはわからないが、韓国人の夫、カンボジア人の妻、双子の子ども、その他女性が2人そこにはいた。ベランダからはプノンペンの町並みが見渡せた。隣のベランダにはおじいさんが出ていた。視線をさえぎるものはなかった。住戸は廊下に面して台所やトイレがあり廊下をへてリビングへと繋がる。リビングでは夫が椅子に座って飲み物を飲んでいた。冷たいものでも飲んで行けと言われたが、時間がないからと断ってその家を後にした。地上へ降りると、中井さんから注意を受けた。我々12名の行動に住民からクレームがついたという。私有地ではないといえ、集合住宅の中庭へ日本人がずかずかと入り込み、何も断りもせず写真を撮り始め、あるものは上へ上へと登り始めたのだから、クレームがついてもおかしくない。しばしばそういうことをしてしまう。滞在期間が少ない国では、その場面のコンテクストが読めないことが多く、ちょっと考えればわかりそうなこともわからなくなることがある。
広島ハウスでは、元住職である渋井さんにお会いした。広島ハウスは、カンボジアの仏教のある宗派の総本山であるワットの敷地内に建つ。96年から建設が開始したが、資金不足のためここ数年工事が止まっている。また、ハウス自体に係わる主体も複数存在し、それぞれの想いが交錯し、動きがとりにくい状況にある。渋井さん、広島市民の会、平岡さん、石山さんの4つの主体がそれぞれ思い思いに動いているという。そのため統一がとれず動きが頓挫したというが、この12日には広島県の視察団がここを訪れ、一本化した動きが再始動する。そもそもカンボジア訪問は、この広島ハウスの動きに係わろうとすることから始まった。これまで具体的に動いてきたわけではないが、すでに反木、平川が平岡さんや市民の会の渡辺さんに会っている。2つできることがあるように思う。一つは、広島ハウスの建設に向けてのソフトづくりに関した動き。様々な主体が係わるとき、ばらばらに議論していても全体はできてこない。それぞれの思いを結集させるための仕掛けが必要になる。日本ではこれまで、公共施設の計画プロセスへの市民参加の試みをいくつか行ってきたが、その経験が活かせるのではないかと思う。具体的にいまイメージしているのは、実際に広島ハウスの活用にかかわる人々の顔を見ながら具体的にプランニングしていくことであるが、ワークショップを行いながら機運を盛り上げていけるのではないかと思う。関連してもう一つは、設計をされた早稲田の石山さんと様々な運営主体との橋渡しができるのはないかと思う。とりあえず県の動きに関して情報収集しながらできることを考えていきたいと思う。現在の広島ハウスは、構造躯体ができあがった状態である。そのまま数年間放置されているという。1階部分は渋井さんが作業場として使用しており、現在車椅子の作成を行っている。それより上の階では、1年に一度やってくる早稲田の学生によるレンガ壁の作業がすこしずつ進行しているにすぎない。会議室やホール、原爆関連の資料展示、日本語教室などの部屋が入る案があるというが、まだ構想の段階をでないという。斜めに枝分かれした柱や屋根をかたちづくる足?を模したコンクリートの塊、建築の真ん中にもうけられているヴォイドやそのヴォイドを斜めに横切る直線階段などが、完成の姿を期待させる。渋井さんにはいくつかの質問をし、こちらの想いを伝え、ハウスを後にした。
午後は、まずデパートの屋上に上がった。最近建てられたというデパートは、若者や家族連れでにぎわっていた。こうした消費文化も取り入れられている実態がわかる。
デパートの屋上からは、プノンペンのまちが見渡せた。周囲に広がる集合住宅の屋上部分や道での様々な活動が見下ろせる。屋上を宅地として利用している実態が意外に多いことがわかる。場所を貸しているそうだ。みなセルフビルドで屋上に住居を建てている。またベランダが必ず設けられることも集合住宅の特徴の一つである。
広島ハウスでは、元住職である渋井さんにお会いした。広島ハウスは、カンボジアの仏教のある宗派の総本山であるワットの敷地内に建つ。96年から建設が開始したが、資金不足のためここ数年工事が止まっている。また、ハウス自体に係わる主体も複数存在し、それぞれの想いが交錯し、動きがとりにくい状況にある。渋井さん、広島市民の会、平岡さん、石山さんの4つの主体がそれぞれ思い思いに動いているという。そのため統一がとれず動きが頓挫したというが、この12日には広島県の視察団がここを訪れ、一本化した動きが再始動する。そもそもカンボジア訪問は、この広島ハウスの動きに係わろうとすることから始まった。これまで具体的に動いてきたわけではないが、すでに反木、平川が平岡さんや市民の会の渡辺さんに会っている。2つできることがあるように思う。一つは、広島ハウスの建設に向けてのソフトづくりに関した動き。様々な主体が係わるとき、ばらばらに議論していても全体はできてこない。それぞれの思いを結集させるための仕掛けが必要になる。日本ではこれまで、公共施設の計画プロセスへの市民参加の試みをいくつか行ってきたが、その経験が活かせるのではないかと思う。具体的にいまイメージしているのは、実際に広島ハウスの活用にかかわる人々の顔を見ながら具体的にプランニングしていくことであるが、ワークショップを行いながら機運を盛り上げていけるのではないかと思う。関連してもう一つは、設計をされた早稲田の石山さんと様々な運営主体との橋渡しができるのはないかと思う。とりあえず県の動きに関して情報収集しながらできることを考えていきたいと思う。現在の広島ハウスは、構造躯体ができあがった状態である。そのまま数年間放置されているという。1階部分は渋井さんが作業場として使用しており、現在車椅子の作成を行っている。それより上の階では、1年に一度やってくる早稲田の学生によるレンガ壁の作業がすこしずつ進行しているにすぎない。会議室やホール、原爆関連の資料展示、日本語教室などの部屋が入る案があるというが、まだ構想の段階をでないという。斜めに枝分かれした柱や屋根をかたちづくる足?を模したコンクリートの塊、建築の真ん中にもうけられているヴォイドやそのヴォイドを斜めに横切る直線階段などが、完成の姿を期待させる。渋井さんにはいくつかの質問をし、こちらの想いを伝え、ハウスを後にした。
午後は、まずデパートの屋上に上がった。最近建てられたというデパートは、若者や家族連れでにぎわっていた。こうした消費文化も取り入れられている実態がわかる。
デパートの屋上からは、プノンペンのまちが見渡せた。周囲に広がる集合住宅の屋上部分や道での様々な活動が見下ろせる。屋上を宅地として利用している実態が意外に多いことがわかる。場所を貸しているそうだ。みなセルフビルドで屋上に住居を建てている。またベランダが必ず設けられることも集合住宅の特徴の一つである。