フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

SVA小学校建設カンボジア20050812

2006-01-24 16:51:29 | カンボジア通信
 10時からSVAの小味さんと面談。直前にティーさんと小味さんが知り合いであることがわかる。日本語の先生だったそうだ。

 小味さんには昨年の調査をもとに建築学会の中国支部や大会で発表したものをお渡しするとともに、現在ポイペトで検討中の版築工法による学校建設について説明した。建築担当のサミーさんも同席してもらった。サミーさんとは昨年も会ったが、SVAの若手建築スタッフでロシアの大学の建築学科卒業のエリートである。構造的な問題や仕上げの問題などの指摘があった。版築工法の学校は、発案当初は、現行の画一的な小学校のデザイン・計画に対する批判的なスタンスもあって、カンボジア全土に展開する小学校への適用を目指すという考え方であったが、いろいろなところで議論を重なる中で、農村部あるいは別な言い方をすれば遠隔地の小学校に限定した提案とすべきではないかと考えるようになった。まだまだ学校の数が足らず、学校を建設するにもNGO等からの十分な支援の得られないようなエリアにおいて、限られた金額の中でコストをできるだけ下げて数多くの学校をつくるための方法として版築工法がありえるのではないかという考えである。

 小味さんからはスバイリエンの土壁の家の存在について教えてもらった。高床式の木造住居がカンボジアの一般的な住居形式である。壁は竹で編んだものか板を用いたものが多い。スバイリエンでは木造高床でありながら土壁を持つという。土というとインドあるいはヒンドゥーとの結びつきを感じさせる。具体的な構法や土壁を採用するにいたった要因などが興味深い。
 
 また身障者対応のしつらえについて、カンボジアの学校建築についても研究が進みつつあることを教えてもらった。フランス語の報告書も見せていただいた。昨年もJHPの小学校を見せてもらったときにもスロープはあった。連続性が問題だという指摘をしたと思う。廊下をあがる部分、トイレに入る部分にスロープがあったとしても、校門からそこにいたるまでバリアフルであれば、何の意味もない。小味さんとの議論では、バリアフリーやユニバーサルデザインといった考え方がないこの国で、そうした配慮を行った建築を一つでも実現することは、それが実質的に問題を抱えていたとしても、今後へ向けたアピールとしては有用ではないかとのことだった。バリアフリーやユニバーサルデザインといった考え方が根付くには、まだまだ時間がかかると考えられるが、その第一歩として評価しようという見方である。
実際には、教員が自分のバイクを校内に保管するためにスロープを活用しているという。それこそユニバーサルデザインだ。スロープは車椅子を利用する身障者のためだけではない。乳母車や自転車やバイクのためにもやさしいしつらえだ。

 サミーさんは、JICAの原口さんが企画した現場見学会に参加したという。
午後は2時半から1時間半程度、カンボジア日本協力プロジェクトセンターの中村所長にお会いした。研究に関連するような話にはつながらなかったが、11月?にオープンするセンターの話は興味深かった。日本とカンボジアの交流拠点を作ろうという目的で、様々なセミナーやインターネットを使った遠隔講義等を開催しようとしているという。我々の活動内容も発表する機会をもって様々なディスカッションができるといい。ちなみにこの施設は、コンサルタントとしてパシフィックコンサルタンツ、建設会社としては、鴻池組が入っている。

 夜は倉田さんとの会食。倉田さんはカンボジア胡椒を世界一にすべく胡椒会社をされている方である。今回の調査の裏テーマとしてカンボジアの日本人とのネットワークをつくるというのを設定した。直前にブログやホームページでカンボジア関連のサイトをされている方々に連絡し、可能であれば会っていただくことにした。とはいえ動き出したのが直前だったため会うことになったのは3名の方である。その最初が倉田さんである。

 日本料理を食べに連れて行ってもらった。なかなか素敵な日本料理屋で味もまあまあであった。少なくともちゃんとした日本料理であった。初対面でもあり、自己紹介もかねて我々の活動を説明した。最初にポイペトで進行中の学校建築の話をしたが、かなり関心を引いたようである。版築工法をつかって、実験的に実際に建設しながら、改良を加えながら学校建設に耐えうる工法として開発していこうとするプロジェクトである。学生時代にしかできないことをやっている感じが受けたんだと思う。体験主義的なところが共感を呼んだのだろうか。倉田さんはもともとJHPの一期生?としてカンボジアにやってきた。我々がガイドとして調査のサポートをしてもらっているティーさんももともとJHPの所属である。倉田さんの熱い思いを聞きながらあっという間のひと時であった。会場となった「暇人」を設計施工した会社のソム・サンカーさんとあわしてもらう約束ならびにティーさんとの再会の橋渡しをする約束とともにカンボジア鍋の店に行く約束をして別れた。

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