松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

オズの魔法使いとニセ科学の伝道師はいかに聴衆を震え上がらせた か?~Dr. Oz Showウォッチ3

2011-01-20 15:38:40 | Weblog

U.C.DavisのProfessor of Plant Pathology、Pamela Ronald Ph.D.のブログより転載(宗谷敏さん訳、日本語に翻訳してウェブに掲載することについて、Ronald氏の了解を得ている)

 


遺伝子組み換え農作物の話に関しては誰を信頼すべきかとDr. Ozが尋ねます

SOURCE: Tomorrow's Table

DATE: 2010127

私は、聴衆に科学ベースの視点を提供しようとしました。しかし、それは難航しました、なぜなら他のパネリストの1人(Jeffrey Smith、科学的もしくは農業の職業的訓練を欠く、以前の上院議員選挙へのNatural Law Partyからのアイオワ州立候補者)が遺伝子組み換え農産物を食べることが不妊、臓器障害と内分泌撹乱を引き起こすと確信するからです。もちろん、これらの発言の科学的証拠は、ニンジンを見た人には脳腫瘍が出来ますということと同じぐらい薄弱です。

聴衆はショーで提示された情報からそれを探り出せますか? 残念ながらそうは思えません。

私たちが知っているのは、14年間消費されてきてヒトの健康あるいは環境にたった一つの実害の例すらなかった(そして多くの議論の余地がない利益)ということです。

最悪の「擬似科学の伝道師」に反論するために私は最善を尽くしましたが、それは困難でした。私はプロデューサー(蛇足ながらなかなかイケメンでした)に、ゾッとする画像と箇条書きを取り除くように頼みましたが、成功しませんでした。それらを示すことはOz博士の評判を損ねて、彼の視聴者(今やおそらくは震え上がっている-私の義母がすべての「箇条書き部分」をメモするのを想像することができます)に悪影響を与えるであろうと私は論じました。

私はいくつかの科学ベースの、学研的な、非営利の素晴らしいサイト(bioforitifed,org, ucbiotech.org and academicsreview.org)を紹介するチャンスを持っていました。しかし私のすべての具体例(遺伝子組み換えワタ畑での減少した殺虫剤使用、生物多様性の向上、耐病性パパイヤ、ゴールデンライス)は、テレビの放映ではカットされました。プロデューサーがあまりに多くの科学的証拠を、空想的な要素に混ぜることを望まなかったと私は推測します。ショーは、科学者としてまたもや私たちが遺伝子工学についての全般的な不安と、科学と科学者への一般的な不信を退けることができなかったことを実証します。

それでは、私たちはどのようにして一般人が科学的なプロセスを理解して、時間をかけて証明され大いに頼りになる質の高い科学的研究を、単純な断定あるいは確証がないうわさから区別することを学ぶことを手伝うことができますか? これはRaoul(訳者注:Pamelaのご主人)と私が本(訳者注:Ronald, Pamela and Raoul Adamchak, 2008. Tomorrow's table; Organic farming, genetics and the future of food. Oxford University Press. )を書いた理由の1つです。

私たちは非科学者がどのようにして事実と作り話を区別することができるかという記述に1章(訳者注:第6章 Who Can We Trust?)を割きました。利害関係と誤解だらけの疑似科学の実例として、Smithをひと目見てください。遺伝子工学が危険であることを「立証する」ために、Smithは遺伝子組み換えジャガイモをマウスに食べさせた17歳の学生の実験を引用します。参照されたウェブサイトによれば、「・・・最初から平均より少し体重が重かったから、給餌された遺伝子組み換えジャガイモを多く食べた[マウスたち]が、より少ない体重増加を示しました。」

加えるに、「・・・個体間の行動に著しい相違」が観察されましたが、「これらは『主観的』であり、そして定量的ではありませんでした」と少年が認めました。Smithは、この実験は遺伝子組み換え食品が「ヒトの精神」に悪影響を与えるかもしれないことを立証すると論じて、少年は「科学者を恥じ入らせるほど凌駕した」と結論します。

どうやら一般人は、ピアレビューされた研究ではなく、科学的な研修に束縛されない学生によって実施されたこの実験を信用することができるということのようです。Smithは、ティーンエージャーによって行なわれたこの実験が、科学的なプロセスに付き物の厳密な方法に従っていなかったという事実を無視します。

私が調べたところ、少年のマウスを用いた研究に言及し紹介していたのは、あるウェブサイト(訳者注:http://www.i-sis.org.uk/MicePreferNonGM.phpであり、さらにそのウェブサイトはもう一つの別のウェブサイト(もう、なくなっています)を参照して書いていました。それに、少年の研究に関して証拠となるものは、偶然に会った少年の母だけということも判明しました。つまり、少年の母だけが、少年が行ったという実験に関する科学的情報のソース、「源」なのです。Guusjeママは、息子を非常に誇りに思っています…という具合です。

少年の母親との会話のことを科学であると言う人がいるでしょうか? Smithは、科学的なプロセスの基本的理解に欠けるか、あるいは彼がただ気にしていないだけか、あるいはその両方です(あるいはもっと悪意に満ちた何か...)。しかし、彼は気を遣うべきです;なぜならこの手のいつわりは人々を混乱させて、そして恐ろしがらせるだけですから。ほとんどの人々が、自分の息子について、通常母親が最良だと信じるものだということに同意するでしょう。ですから、母親の推薦は、このような場合には明白な利害関係の得失を表します。このような明らかにされない利害関係の得失によって汚された研究は、遺伝子工学についての討論において重大な懸念です。

もし遺伝子組み換え農作物の利点に関するピアレビューされたデータだけが、その主要な関心が公益ではなく私益にある当事者によって供給されたなら、一般人は研究の整合性に疑問を抱く理由を持っているでしょう(これが、非営利のピアレビューされた研究だけを、私が引用しようとする理由でもあります)。同様に、もし農業への遺伝子組み換え技術の使用に対する強いスタンスを持っている人が営利目的のバイオテクノロジー企業もしくはオーガニック産業の従業員であるなら、利害関係の得失が存在するかもしれませんから、このような雇用関係は明らかにされるべきです。

(全面開示:私の研究室におけるすべての研究は、非営利の関係筋によって資金提供されています。Raoulと私の給与はカリフォルニア大学デイビス校と政府補助金から支払われます。私たちは二人とも、バイオテクノロジー企業あるいはオーガニック産業からの支払いを受けていません)


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8 コメント

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放射線あえて浴びてみようじゃないか (三品一成)
2011-10-18 20:31:15
放射線、敢えて浴びてみようじゃないか

放射線を浴びるにはやっぱり福島に行くしかないと思いきや、日本国中いたるところに放射線を浴びることの出来るところはあった。
それは温泉である。
温泉とは言ってもやたらと種類が多いのだが、放射線を浴びる事のできる放射能泉に分類される温泉は環境省から認定を受けた放射能泉である。
福島原発事故以来、放射線を浴びる事はとんでもない事で、被曝量はゼロにすべしとの事が日本の空気になってしまった。
日本で、空気に逆らうことは極めて勇気のいることで、非国民の烙印を押される覚悟で放射線を浴びることについて考えてみたい。

温泉は行政の管理管轄下にあり、管轄省庁は環境省である。
温泉と言っても様々な種類があり、ざっと数えて単純温泉、塩類泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、それからまだまだあってずっとあとに放射能泉。
放射能泉と名乗るには当然、認定基準がある。
ある一定以上の放射能を含まなければ放射能泉を名乗れないのだ。
放射能を含む温泉地ではどこもそれを隠さない。隠さないどころか、放射能泉のお墨付きを頂きたくて認定をうけるのだ。
放射能泉にも種類があるのだが、放射能の強さから分類すれば弱いのと強いのに分けられる。
専門的になるが、含まれる放射性元素としてラジウムとかラドンとか、その他あるのだが、いちおう放射能泉はラドンの含有量で決まる。
温泉1kgに含まれるラドンが8.25マッヘ以上含まなければ放射能を含む温泉として認定されない。そもそも8.25マッヘってなんぼ?
原発事故ですっかり認知された単位ベクレルで言えば、111Bq/kgである。
それ以上で弱放射能泉のお墨付きとなる。さらに弱でない放射能泉を名乗るにはkgあたり50マッヘ以上のラドン含有量が条件となる。ベクレル換算では670Bq/kg以上である。
670Bq以上であり、上限はない。上限がないところがすごいではないか。
なぜ上限がないか?ま、本当は日本の温泉は放射能泉は全国いたるところにあり、はるか昔から日本人は放射能があるなしに関わらず温泉を利用してきた。
農閑期になり、忙しかった頃の疲れを癒すために湯治へと赴いた。
そのような歴史のなかで、利用者に健康被害が出ないことを経験的に知っていた。健康被害どころか、とても体に良いと感じられてきた。体に良いと体験的に感じられてきたからこその温泉利用だったのだ。
近代になって放射能の含有量も客観的に測定され、付近住民の健康診断などで疫学統計的にも放射能泉が無害であることがわかった。
もちろんだが、いくら自然の放射能泉だろうと無原則に強い放射線を出す温泉ならば健康に悪い影響が出るのは間違いない。
有馬温泉の源泉近くでは13μsv/hもの強い放射線が出ているそうである。
その強さは原子力安全委員会の指針によれば屋内退避しなければならないそうだ。その強さで年間被曝すれば114msvになってしまう。
その被曝量によって予想される健康被害は癌の発症確率が0.06上昇する値である。ってその程度の確率上昇はたいしたことないではないか?
その程度で退避しなければならないのなら、側でタバコを吸うやつがいたら副流煙退避しなければならないはずだ。
話がそれてしまった。
要は、日本の放射能泉で経験的に体に悪影響がでることはなく、体にとても良いと感じられてきたのだ。
温泉から受ける放射能のイメージは体に良いだけである。
イメージがいくら良くても、もしもとてつもなく高い放射線を放つ温泉があればそれは有害だろうが、そのような温泉は日本には存在しない。
それ故、環境省の放射能泉認定基準に上限がないのだろう。
しかし、その良し悪し加減を科学的に普遍化することを日本人は苦手とする。あくまで感情で判断するのだ。それは福島原発問題でもある。
話が小難しい話になってしまったが、ゆったりと温泉の話に戻ろう。
小さな日帰り温泉がある。
放射能泉として環境省の認定に合格したラドン温泉である。
とても健康に良いとの巷の評判の良い放射能泉でもある。
その温泉のホームページには温泉の放射能レベルが48.8キュリーとあるが、それはナノキュリーのまちがいであるはずである。まちがいはご愛嬌だろう。
48.8ナノキュリーはマッヘ単位で135.9マッヘであり、1808ベクレル/kgとなる。
う~ん、1808ベクレル/kgって食品の暫定基準値(500Bq/kg)よりもだいぶ高いです。温泉は飲料水として利用することもあるので、その場合の厚生省による基準値は200ベクレル/ℓで、現在の緊急時暫定値も200Bq/ℓということです。
環境省の放射能泉認定レベル(上限なし)から言えば問題なしですが、厚生省の飲料水基準値からはだいぶ離れています。
その辺の行政側の整合性はどうなんでしょうね?
ま、私にしてみればそれはどうでもいいことです。
この日本において、温泉放射能は体に良いとの常識がある、あった?ことは事実です。
放射能が体に良いとは迷信か?
何を血迷った設問か?放射能が健康に悪影響があるのは常識だ。癌になるのだ。
老人なら放射線の影響で癌になる前に寿命が尽きて死んでしまうから問題ないが、子供達はこれからの人生長いから癌になってしまうのだ。
それが今の日本の常識だ、空気だ、覚えておけ!
ははーー、恐れ入ります。
とにもかくにも、数値は問題外なのだ。200Bq/ℓの飲料水を一日どれくらい摂取して、一年間ならいくらの内部被曝量などと言うのは野暮というものだ。ましてや、被曝線量故の癌の発症確率がどうの他の発がん物質と対比すればどうのなど意味がない。くどくどと数値を使って論理的な説明などめんどくさいだけだ。放射能が怖いと感情にグッとくる言い回しをするには数値はまったく必要ない。
最後に、自然放射線と原発由来の人工放射線を浴びる事について自然は安全で人工は危険だとかいう御仁がいるがあまりにもばかばかしいのだ。アルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線、中性子線、陽子線、その他の放射線に自然も人工も違いはまったくない。それほど自然が好きなら天然のトリカブトを煎じて飲めばたぶん、健康的に死ねるだろう。

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間違えました (三品一成)
2011-10-18 21:42:06
どうもすみません。
コメントの掲載場所を間違えました。

適切に怖がりつつ・・・

の記事のところでした。
返信する
放射能のジレンマ (三品一成)
2011-12-22 18:55:42
放射能のジレンマ
避難地域に指定されない地域住民の中でも、他県に自主避難した人たちがいる。
避難区域は年間被曝量が20mシーベルトを超えると予想される地域の住民なのだが、20mシーベルトを超えない予想の地域住民も自己判断により汚染量の少ない他地域か他県へと自主避難している人たちがいる。
はたして、20mシーベルトが安全か否かは別として、避難するのは自主判断による行動という事になる。
この日本では自分で判断して自由に行動を選択できるのは当たり前でもある。
いくら政府が拡散した放射能のレベルが安全だと言っても、0でない限りはそこから避難する行動を選択してもだれも文句は言えないだろう。但し、自主避難したことにより発生する放射能以外のリスクを負うのは避難した人の責任でもある。かように日本は自由な民主主義の国である。
さて、福島県民であるならそれなりの放射能被曝(実際的、数値的には福島県民には限らない)があったわけだ。そもそも原発事故が起きなくても生きている限りは自然界の放射能(カリウム40もしくはラジウム、ラドン等)を我々は身体に取り込んでいる。その体内の放射能量は情報元によりばらつきがあるが、一人当たり4000ベクレルから7000ベクレル(食品由来のカリウム40)程度とのことである。福島県人で、それなりの被曝をしているなら日本人一人当たりの平均よりもわずかに多めの放射能量を取り込んでいる可能性がある。現にフランスに送って調べてもらったら子供の尿からセシウムが検出された(尿1ℓ当たり数ベクレルのレベル)という事実がある。もちろん問題外の量である。
さて、ここで問題である。
他県に避難して他県の学校に通学した場合、福島からの避難民は避難先の人々よりもわずかに放射能の量を体内に多く持っているとも言える。
そのわずかの多さの放射能の量から出ている自主避難民からのわずかに多めのガンマ線を避ける自由もあるはずである。
つまり、地元の学生は避難民を避ける自由もあるのではないだろうか?
決していじめなどではない避ける自由である
しかし、避けられた児童にとってはいじめ以外の何ものでもない。
その放射能による現実のリスクを科学的論理的に考えたらあまりにもばかばかしいことではある。
だが、そもそも避難した人たちは健康上問題のない汚染レベルだと言われても自主判断によって避難した人たちである。
避難した自分らを自主判断によって避ける人たちを非難できるのだろうか?
避難してきた自分達の論理は正しいが、我々を避ける人の論理は間違っていると?
チェリノブイリ原発事故による現実の最大の被害は放射能による実際的な健康被害よりも人々の感情による様々な被害(精神的な被害、差別の被害など)が多かったとの報告があるのです。
似たようなことに花火もあるし、橋桁もある。
このようなことは民主主義のコストなのだろうか?
それとも、大衆の科学的論理思考の欠如なのだろうか?
それとも、マスコミの市場原理主義の弊害だろうか?


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Unknown (三品一成)
2011-12-25 17:37:33
放射能よ何処へゆく
3月11日午後2時46分東日本大震災発生
3月12日1号機が水素爆発、ついで14日15日、3号機、2号機、4号機と連続した水素爆発による建屋の崩壊により大量の放射性物質が上空に舞い上がった。
そのときの放射性物質は主にヨウ素とセシウムでした。
大気中の放射性ヨウ素は、元素状あるいはメチルヨウ素として存在するか、固体粒子状エアロゾルとして存在すると考えられています。いずれも単独でいるのではなく、種々の微小浮遊物に付着していると考えられます。
つまりは、原子炉建屋の水素爆発により、放射性物質は種々の微小物質(いわゆるチリやホコリ)に付着して、上空に舞い上がり、当時(3月)の風向きではあまりない南東からの風により北西方向へと流れていった。放射性物質が上空を漂っているところで雨とか雪に見舞われて、地形条件などから不均等に地上に降りたのである。
放射性物質は地上に降り積もった。
地上に何があろうが、ミクロ的には均等に降り積もった。
グーグルアースの航空写真で見るように地上にある畑だろうが田圃だろうが、家の屋根だろうが、林だろうが原野だろうが、山だろうが、市街地だろうが降り積もった。局所的には上空から見た面積に均等に降り積もった。
露地栽培の野菜にも、冬枯れの落葉果樹畑にも降り積もった。
舞い降りた放射能の量は場所により偏って降り積もった。
上空から見えるように面積に対し、あたかも雪が降るように降り積もったのである。場所により不均等ではあっても、面積に比例して降り積もったのである。
降り積もった放射能は土壌の粘土質とか、枯れ草や落ち葉などの有機物と結びついた。あるいは、木々の樹皮などにも取り付いた。常緑樹の葉っぱにも。
降り積もった放射能は放射線を出し続けた。初期の放射線量の大部分はヨウ素からの放射線が占めていた。
福島市における原発事故以後の放射線量が公表されているので見てみよう。
場所を福島市御山町にある県北保険福祉事務所駐車場の値を見てみると下記の通りである。理論値はヨウ素の半減期からの予想値。
       実測値    理論値(ヨウ素のみ)単位はμシーベルト/hour
3月15日   18.4     18.4
3月23日   5.19     9.2
3月31日   2.41     4.6
4月08日   1.98     2.3
4月16日   1.87     1.15
4月23日   1.70     0.575

放射線量の低下率はヨウ素の半減期以上に激減していくのがわかる。
しかし、4月半ばからは理論値よりも減り方が少なくなっていく。
それは、ヨウ素の半減期と、セシウムの半減期の違いが交差して、セシウムからの放射線量よりもヨウ素の放射線量が少なくなっていく過程かと思われます。
事故後、文科省が福島県の線量を車載の線量測定機器による測定結果をネット上に公表していました。すでにそのときには、飯館村の長泥地区とか、福島市の大波地区、伊達市の上小国地区の線量が高い事はネット上に公表済みでした。
さて、舞い降りた放射能は場所により大きく違いましたが、ミクロ的には面積に比例した量です。
東北地方の肉牛の精肉から規制値以上の放射能量が検出されたのはその後でしたが、原因は原発事故以後に田んぼから収集された稲藁の給餌が原因でした。このときにいわゆる専門家からその原因に言及されましたが、なんとも歯切れのわるいものでした。
農業の現場から見れば明らかな原因が見えていたのです。
それは、田圃に放置されたままの稲藁にダイレクトに降り注いだ放射能がそのまま収集後、給餌されたことです。
平面に降り注いだ放射能を計測する事も出来ますが、体積あたりのベクレル数を計測するのが現実的なようです。
福島県下で、田圃の土壌1kgあたりのベクレル数は早い段階で計測されたようでした。計測方法は円筒を土壌に地表から15センチの深さに突き刺して土壌の比重を1と見なして1ℓの土壌のセシウムベクレル数を1kgのベクレル数とするものです。
深さ15センチで1000立方センチの土壌の採取すると、地表面積は66.7平方センチです。つまり1平米(10000平方センチ)の150分の1です。
土壌1ℓの汚染量は土壌表面66.7平方センチの汚染量で決まるのです。
福島県下で米の作付け可の汚染ボーダーラインは土壌5000ベクレル/kg未満でした。その場合の最大土壌表面汚染量は750000ベクレル/平米です。
米の作付けのできる最大汚染量の田圃の上面に稲藁があったならその汚染レベルはどうでしょう?稲藁は10アール(1000平米)当たり500kgの収量ですので1kgの稲藁は2平米にあります。稲藁1kgの汚染量は1500000(150万)ベクレル/kg です。汚染レベルはかなりのものです。
比較的汚染の少なかった伊達市の梁川町の地区内のある田圃土壌が1300ベクレル/kgの汚染量でした。平米汚染では195000ベクレル/平米ですのでもしも稲藁が事故後に収集されたら390000ベクレル/kg汚染の稲藁となるのです。
給餌量にもよりますが、その稲藁を給餌された肉牛の精肉が500ベクレル/kgを超えるのは納得のいく事です。

さて、田圃土壌1kgあたり5000ベクレルを限度として米の作付けボーダーラインとしました。その根拠は5000ベクレルの土壌で米を栽培すれば米はどの程度に放射能を吸収移行するかです。
社団法人日本土壌肥料学会においての研究による移行係数は0.00021から0.012とのことですので、安全率をとって0.1としたわけです。ほとんど最大値のさらに10倍にまで安全率を採ったわけです。
つまり、5000ベクレルの10パーセントを吸収移行すれば500ベクレルとなるのが根拠でした。
吸収移行係数の最大値のさらに10倍を考慮してのボーダーライン、土壌汚染5000ベクレル/kg未満なら米の作付け可のお達しは納得のいく事でした。
しかし、残念ながら伊達市の一部の米から最大値1520ベクレル/kgの米が出てしまいました。
移行係数の最大値0.012として、1520ベクレルの米が産出されたならその土壌の汚染量は126667ベクレル/kg 以上でなければならない。そうでなければ移行係数の最大値を書き換えなければならない。
もしも、5000ベクレル/kg の汚染土壌から産出した米が1520ベクレル/kg なら、移行係数が0.304にもなるので田圃の除染には米を作ればいいことになる。
そうなら万々歳だ。
たぶん、それはありえない。
そこで考えられる事は、米の汚染ははたして稲の根っこからの吸収移行だけで説明できるのだろうかとの疑問である。もちろんその田圃の汚染量が5000ベクレル以内だったとは考えにくいが、126667ベクレル/kgもあるとは考えられない。
あくまで憶測ですが、規制値を超えた米を産出した田圃の立地条件はほとんどが山間の山すそに接した田圃だった。つまり山林に降り積もった放射能が降雨により雨水に溶け込み、田圃に流れ込んだと思われます。そして降雨の後の田圃の深水により稲の根っこからよりも茎葉から吸収移行したのではあるまいか?
その事は、畑作物が長雨によって根に障害がおこり土壌中の養分を根から吸収が難しくなったとき、茎葉に直接肥料成分を水で希釈散布して弱った作物を元気にする技術があります。ごくわずかの肥料成分がたちどころに作物に吸収され、元気を取り戻すのです。そのことと同じような現象が起こったとも考えられます。
さて、11月の25日の全国紙に阿武隈川のセシウム汚染量が掲載されていました。
阿武隈川一日のセシウム流出量が最大5250億ベクレルとの記事です。
考えればわかることですが、阿武隈川の汚染は阿武隈川に注ぐ阿武隈山系から流れれてくる中小河川の流水が汚染されているからです。
それはとりもなおさず、・・・山野における降雨による除染?の結果でもあります。
阿武隈川から汚染水が太平洋に流れた分だけ山野の汚染は少なくなっていく。
ですが、阿武隈川の水が汚染されていては生活上大きな問題です。
5250億ベクレル、途方もない汚染量です。阿武隈川の水を水道水として使っている宮城県県南地方ではとんでもないことです。
総量としての汚染量5250億ベクレルの健康リスクは水の汚染としてkg(ℓ)あたりの汚染を比較しなくては何もわかりません。
さて、阿武隈川は大河です。なんと一日当たりの流量は600万トンにもなります。5250億ベクレルのセシウムは600万トンに溶け込んで流れているのです。
5250億ベクレルの放射能量は600万トンをkgに変換してkgあたりの放射能量を計算しなければなりません。答えは8.75ベクレル/kgです。
意外にも厚生省が来年四月からの基準値と定めた飲料水の基準値10ベクレル/kgをクリアする汚染値です。
陸上に降り注いだ放射能による放射線量は明らかに低下しています。半減期の短いセシウム134(2年)が減っているだけでなく、天候による(主に降雨)流出が主な原因でしょう。
阿武隈川での放射能流出量を調査依頼したのは文科省ですが、京都大や筑波大が実地での調査を行ったわけです。525億ベクレルの流出量は8月での調査だったそうですが、その後の流出量の変化はどうなったのでしょう?9月10月でも変わらなかったのか、増えたのか、減少しつつあるのかは非常に興味のあることです。
阿武隈川への放射能拡散はそのまま陸地での放射能の減少へと繫がります。
もし、8月よりも時間経過とともに減少しつつあるのなら、降雨によって流れる状態の放射能はだいぶ流れ去り、残っているのは降雨によって流れにくい状態の放射能(大部分)が残留していると考えられます。
今年の福島産農産物の放射能量はたいへん問題になりました。桃で60ベクレル程度でしたが、ものによっては500ベクレル超、米に至っては1500ベクレル超のものまでありました。
それらの汚染は根からの吸収移行よりも、果樹なら樹皮に取り付いた放射能が降雨とともに果実や茎葉へと流れて吸収されたと考えた方が論理的です。
なぜなら、土壌の汚染は土壌表面数センチに止まっているとのことですので、果樹の根張りの根圏は汚染されていないからです。
もしも、阿武隈川の放射能汚染量が減少しているのなら来年の農産物の汚染量は今年をかなり下回ると考えられます。
果樹を汚染した樹皮などに取り付いた放射能のうち流れやすい状態の放射能はその大部分が流れ去ったとも考えられるからです。
あたりまえですが、来年にならないと分かりません。



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Unknown (三品一成)
2011-12-31 17:25:26
日本人と感情と論理
先の大戦時のアメリカ駐日大使はグルーであった。
グルーは日本人の特質として情緒に走り易い事を認識していた。
数値による合理的な判断よりも、感情的に情緒へ傾き、重要な判断さえも感情が優先した結論に至ることが往々にしてある事。
日本人として耳の痛い事であるが、今回の原発事故に関する新聞報道を見ていると、そうかも知れないと思ってしまう。
さらに、ある雑誌の記事に載っていたタイ人の原子力を専攻した留学生の今回の原発事故に関する言葉が印象的である、曰く。
事故調査・検証委員会について一点申し上げておきたいのは、ステークホルダー(狭義的には利害関係者の意)の中で「誰が悪いのか」という犯人探しに終始するようなら、問題の本質を見落とす恐れがあるということです。よくメディアでも単に「東電が悪い」「保安院が悪い」といった表面的な報じ方をしますが、あれでは結果として何の解決にもならない。「誰が悪かった」ではなく、「何が悪かった」のかを調査すべきです。
上記の言葉、日本人にはなかなか言い難い言葉である。
しかし、まさしく正鵠を得た言葉だろう。特に今の日本においては正論である。
マスコミにおいて、数値的な論理的情報などは読者から見向きもされない。それよりも、直接感情に訴える言語表現が読者の心を揺り動かすのである。
特に怒りの感情に訴えるのが効果的であり、これでもかと、怒りのターゲットを探し出し、あるいは怒りのボルテージアップするのに血道を上げるのである。
例としては、福島県の地方紙を見て見れば分かるだろう、ほとんどそればかりである。たぶん編集者において無意識的にである。
そのことは本質の解決には程遠い考え方であり、まったく違う方面で同じような失敗をくり返す元となるだろう。
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食ってしまえ!放射能 (三品一成)
2012-01-09 22:18:45
食ってしまえ放射能
福島県の中通で狩られた猪肉の放射能がかなり高いと報道されていた。なんとセシウムが最大で14600ベクレル/kgも検出されたとのことだった。
今年の4月からは食品の規制値が100ベクレル/kg未満に変更されるはず。その146倍もの汚染値はかなり高い汚染量である。
今年私は私的なルートで猪肉をゲットしたが、たいした量ではない。375g程度の量である。
食品暫定規制値500ベクレル/kgはるかにオーバーしていると思われる猪肉。
どうしたものか?
とりあえず、文科省の健康ホットラインに電話して聞いてみることにした。
「もしもし、福島県人ですが、私的に入手した猪肉を自己責任においてかってに食することは出来ますか?福島県からは行政指導的に食べることは遠慮するようにとのお達しです」
「あ、もちろん食べないでください」
「そうですか もしも猪肉の汚染量が14600ベクレル/kgだとしても375g食べても5475ベクレルですし、その場合の人体の被曝線量は0.07mシーベルトと計算しました、汚染猪肉を食べるのは今年それだけだと思います」
「しかし、計算上はほとんど問題なくても県から食べないでくださいと言っているのなら食べない方が・・・」
とまあ、そんなやり取りがありました。本当の事を言えば健康ホットラインに出てくれた担当者はほんとうに話の分かる人でした。立場上言えることと、言えないことは私にも理解できるので上記のように書いておきます。
さて、私が食べた0.07mシーベルトは山崎直子さんの宇宙飛行中に浴びた線量約15mシーベルトの200分の1よりも少ないのである。
(165日滞在の古川さんと対比すれば2200分の1)
しかも、彼女は宇宙から帰還して後、健康な第二子を授かっているのです。
まさか、彼女は放射線の危険性を知らないので二番目の子を授かったとか?
まさか、彼女は東大の大学院卒なのだ。放射線の危険性を数値で理解しているからこその行動だと思われる。
さて、私は蛮勇を奮って猪肉を焼肉にして食べました。あはははっは・・・
子供を授かろうという女性の200分の1よりも少ない線量を食うのに蛮勇を奮うこともないのですが、福島の男といえども、なぜかほとんど誰も食べません。
「おめーら、股間にぶら下がってねーのかよ」
えーー名誉のために、福島の男を代表して言っておきます。
「何よりもコンプライアンス重視の精神ですので」

返信する
リスクのジレンマ (三品一成)
2012-01-20 19:26:08
リスクのジレンマ
放射能はなぜ怖いのか?
なぜ?などと言うまでもない設問です。
大量の放射線を瞬間被曝すれば死んでしまうし、少量の被曝なら発癌の確率を上昇させます。
言うまでもなく、放射線被爆を避けることは人間としてごく当たり前の行動でしょう。
しかし、どれくらいの被曝量で死んでしまうのか。少量の被曝としてもどれくらい被曝すればどれくらい癌が増えるのかは知っておくべきでしょう。
ばかばかしい例え話ですが、局所的にある場所の放射能汚染がとても強いスポットがあって、線量計をもっていた人が線量計の値を見てあまりの高さに恐怖におののき、その場所から突然逃げ出して道路に飛び出したところで運悪く車に轢かれて死んでしまった。(もちろんそんな話は聞いたことはない)
突然逃げ出すほどの線量が例えば100μシーベルト/hだとすれば、感情的には逃げ出したくなるのも良くわかります。
なんと言っても環境放射線量が2.28μシーベルト/h以上なら年間被曝量20mシーベルトを超えてしまい、避難しなければならなくなるのですから。
マスコミ報道による放射線の恐怖感から言えば100μシーベルト/hの線量は直ちにその現場から逃げ出したくなる線量でしょう。
しかし、冷静になって考えれば数分間100μシーベルト/hの放射線を被曝する事と、100μシーベルトの数値に恐怖して前後の見境無く道路に飛び出す事のリスクを比較するのが本当ではないでしょうか。

胃がんの定期健診においてエックス線の被曝は明らかな発癌リスクを背負うことになりますが、胃がんの早期発見による早期治療のメリットは検診による発癌リスクをはるかに超えるということです。
リスクとメリットの対比をリスクとリスクの対比に置き換えれば、胃がん検診を受けないで、癌による自覚症状が出てから治療する場合の死に至る確率と、自覚症状が出る前に癌を発見して早期治療しても死に至る確率プラス検診によるエックス線被曝による癌の発症確率を比較対比して、リスクが少ないはずとの考え方により胃がん検診を受けるわけです。異を唱える人もいるが、検診は受けた方がより少ないリスクなのでしょう。
日本放射線技師会によれば、胃検診による放射線被曝のリスクは100万人のうち20人の癌発症確率上昇だそうです。
早期がん検診の団体に電話で聞いたところ、一回の胃がん検診で被曝する線量は600μシーベルトです。そして一回の検診で被曝する時間は約4分間とのことですので、1時間あたりの線量は(60/4)×600となります。マスコミで取り上げられる環境放射線量の単位で比べると胃検診で受ける単位時間放射線量は9000μシーベルト/hとなりますのでかなりな線量です。

福島原発事故で、年間被曝線量が20mシーベルトを超える恐れのある地域の住人が避難しているわけですが、1年間で20mシーベルトを超えるには環境放射線量が、2.28μシーベルト/h以上でなければならないことになる。
2.28μシーベルト/hと比べると胃検診でのエックス線の単位時間線量9000μシーベルト/hはすごい線量です。
では、20mシーベルトを被曝すればどれだけのリスクを負うことになるのだろう?
少ない被曝量での健康被害を考えるのに専門家でも様々なのですが、大きく分ければ3通りの説があるようです。少ない被曝量なら健康に良いとの考え方が「放射線ホルミシス効果説」であり、少ない被曝量の場合、ある値以下なら健康リスクはないとの「閾値説」そして、どんなに少ない被曝量でも被曝量に比例したリスクが生じるという「LNT説」です。
医学上の定説ではないのですが、LNT説で検証してみましょう。
LNT説の前提として、100mシーベルトから200mシーベルトの被曝量で、癌の発症確率が0.5パーセント上昇するとのことですので、中間値150mシーベルト被曝で0.5パーセント上昇を前提とします。被曝量0において、発癌リスクも0とする、その基点から150mシーベルト被曝において発癌確率が0.5パーセント上昇とすれば、20mシーベルト被曝すれば0.5パーセントの20/150です。つまり約0.067パーセントです。
20mシーベルト被曝者100万人では670人が癌を発症する確率になります。
それって胃がん検診の被曝による癌発症の20人と比較すれば確かに多いのですが、まさか、健康のための胃検診で生じるリスクと比べて33倍のリスクはそれまでの生活を捨ててまで避難する事が合理的なのだろうかと考えてしまいます。
原発事故に関係なく日本人が癌を発症する確率はほぼ50パーセントですので、20mシーベルトの被曝によって癌の発症確率が50パーセントから50.067パーセントに上昇する事を意味します。0.067パーセントのリスク確率上昇は面白くもないことですが、涙を流して泣くほどでもないと考えます。
もしも一日20本タバコを吸う人が18本に減らせば0.067パーセントの確率上昇をカバーして余りあると思います。

環境放射線量が高めですが、避難地域には該当しない福島市で考えて見ます。
福島市民が自主避難して米沢市へ住居を住み替えたとして、勤務地の福島市へ米沢市から車で通勤したならば、福島市から米沢市まで30kmとして往復では60km、一年間に250回往復すれば15000kmです。統計上の事故率は1億km走行キロ数で143件の負傷事故発生件数ですので15000kmを1億kmで割って143を乗すれば事故発生の確率が求められます。0.02145ですのでパーセントだと、2.15パーセントとなります。つまり、1年間に福島米沢間を250回往復すれば負傷事故が起こる確率は2.15パーセントです。(凍結路はそれ以上)
では、福島市での空間線量を1μシーベルト/hとして、1年間では8760μシーベルトとなります。約8.8mシーベルトですからそこから導かれるLNT説による癌の発症確率は0.0295パーセントです。
リスクを対比すれば、
癌発症の確率0.0295パーセントから避難するために負傷交通事故率2.15パーセントを甘んじて受容する。
それは合理的な判断となるのだろうか?
しかし、
極めて厄介な現実的問題として放射線被曝による現実的なリスクよりも、放射能は怖いと思う精神的ストレスにより発生する健康リスクは極めて大きいようです。
ストレスリスクから逃れるには避難して安心だと思うのも重要ですが、しかし、精神的なストレスから解放されるために受けてしまう別方面のリスクとコストを考えれば、論理的判断によって精神的ストレスから解放されるのが、より良いはずです。
チェリノブイリ原発事故での実際的な健康被害は精神的なストレスからの健康被害のほうが、放射線被曝から発生した現実的な健康被害よりも大きかったとの報告があります。
下記文は日経メディカルオンラインからの引用です。

原子力事故の心理的負荷は見逃されがちだが、実は国際原子力機関(IAEA)は91年に、チェルノブイリ事故の精神面への影響は生物学的なリスクに比べ非常に大きかったとの結論を公表している。国連のチェルノブイリフォーラムも、事故の最大の影響は住民の精神的健康面に認められ、放射性物質曝露が健康にもたらすリスクに関する情報が適切に提供されなかったことによって被害はさらに深刻になったと述べている。
つまりは、マスコミによる報道は真実ではなかったとの報告です。

今回のような原発事故において我々が独自に危機から逃れる手段は一つしかありません、ひたすら自分の居場所から逃げ出すことです。
しかし、休みの日に行楽に出かけることとは違います。住民のほとんどが一斉に逃げ出す事になると思われますから、限られた避難先へと向かう国道にあらゆる枝道から車がおしかけ、交通がマヒするのは時間の問題です。そこから先は考えたくないほどの無秩序状態でしょう。
今回の事故でそうはならなかったことに感謝するしかありません。
もしも、放射能の予測装置スピーディーの一次情報がダイレクトに我々に報道されたらどうなったのでしょう?
少なくても私自身はスピーディーの一次情報を正確に判断することなど出来ません。たぶん、恐怖に駆られることだけは間違いないでしょう。
そして、マスコミ関係者の誰が正確な判断を下せたのか?はなはだ疑問です。
我々が、正しい情報を受けたとしても、正しい行動を選択できるのかと。

もしも、年に一回の健康診断の日の胃検診を受ける前にお医者さんにこう言われたら?

「これから胃の検診をしますが、透視のために照射するエックス線の線量は9000μシーベルト/hです、わずか4分間ですのであなたが被曝する実効線量は600μシーベルトになります。尚、検診によるあなたの不利益は癌になる人が100万人に20人程度増加することですがそれを了承して検診を希望するならこの書類にサインしてください」

あなたならどうする?

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ニュースバリュー (三品一成)
2012-01-28 23:27:30
ニュースバリュー
よく聞く外来語である。報道価値と訳せると思うがどうも若干ニュアンスが違うようだ。国語辞典によれば“報道した時に大衆にうけるかどうかという観点から見たニュースの価値”ということだ。
つまり、マスコミからみて売れる価値があるかどうかの判断で決まるようだ。
最近、スギ花粉の放射能汚染がニュースになって、杉雄花1kgあたり253000ベクレルもの汚染量であることが報道された。
253000ベクレルとはすごい量だ。今年、スギ花粉のシーズンにはしっかりとマスクをかけて外出しなければ危ないことになる。かもしれない。
報道によれば2530000ベクレルの汚染杉雄花の採集されたところは福島県浪江町のある杉林でした。
スギ花粉の放射能汚染が253000ベクレル/kgもあって健康に悪影響があるのではないかとの報道はニュースバリューがあるので、各報道機関でも取り上げられた。放射能は危ないので危ない報道こそ値打ちがある。危なくない放射能ではニュースバリューはない。
さて、253000ベクレル/kgのスギ花粉はどれほど危ないのか?検証しなければ意味はない。危ないスギ花粉はどれだけ危ないのか?
スギ花粉が危なくても体に取り込まれなければ危なくない。
呼吸によって吸い込んでもどれだけ吸い込んだかが問題である。
さらに、吸い込んだ放射能の数値によって内部被曝量が分かり、実効線量が計算できる。被曝した実効線量により定説ではないが微量であっても人体に影響があるとするLNT仮説により癌発症確率が求められる。癌の発症確率を数値化して初めてどれだけ危ないのかがわかると言うものだ。
しかし、計算式的にそれほど難しいわけではないが、計算はかなり厄介でもある。
そもそも、どれほどのスギ花粉が空気中に浮遊しているのか?1㎥の空気中のスギ花粉の重量を求めて、さらに人間の呼吸量から単位時間の呼吸量㎥と、スギ花粉が浮遊している期間から人間が1シーズン中に吸入した放射能総量を求め、呼吸によるセシウムの実効被曝線量(シーベルト)を求めて、さらにLNT仮説から癌の発症確率を求めるという煩雑な手順が必要になる。
林野庁によると、それらを踏まえた呼吸からの内部被曝から受ける実効線量が計算済みで農水省のホームページに開示されているという事です。
それによりますと、汚染のレベルが253000ベクレル/kgの杉雄花、浮遊する花粉量が㎥当たり2207個(過去に観測された一ヶ月平均最大値)スギ花粉一個の重さが12ナノグラム、人の呼吸量1日当たり22.2㎥、スギ花粉が飛び交う期間として2月3月4月の3ヶ月間。呼吸による被曝実効係数がセシウム134、137でそれぞれ9.6 6.7mシーベルト(100万ベクレル当たり)それで結局0.000553mシーベルトの実効被曝線量ということです。サイトには0.000553mシーベルトがなんぼのもんじゃが出ていませんでした。0.000553mシーベルトと言われても判断がつきかねます。仕方がないので自分なりに判断するために胃がん検診での被曝線量と比較してみました。
胃がん検診でのエックス線被曝は0.6mシーベルトです。
0.6/0.000553=ほぼ1085ですので被曝線量は胃がん検診の 1/1085です。
かなり低線量ですが、いかに低線量でも癌の発症確率を求めてみましょう。
胃がん検診で0.6mシーベルト被曝による癌の発症確率は100万人に20人とのことですので1億人では2000人です。その1/1085ですからいくぶん多めに見積もって1億人で2人です。
胃がん検診で受けるリスクが1億人に2000人の癌発症だとしても胃がんの早期発見によるメリットがありますが、スギ花粉の吸引による癌発症リスクが1億人に2人はよけいなリスクです。
しかし、いくらよけいなリスクとしても1億人に2人の癌発症確率ではニュースバリューがないようで、その後の報道はありません。

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