イシバマから海にはいった。
護岸工事で植えた防風林が繁茂して
人が一人やっと通れるくらいの通路だった。
たまーにしか行かないので
今に人が歩けないほどにアダンの気根が伸びている。
ウンジャミの活動家たちしか歩いていないのかもしれない・・・。
一軒の人家を守るためでもあったのだが
その方もあの世で見守っていて下さるだろう。
生前は時々自宅に来てくれて
よもやまがなしをしてくれた。
自衛隊の通信網を整備する仕事を任されていたという。
秘密事項を守るのが条件で
通信室にもこもってっ仕事をしたとのことだった。
ミナタのサキバナリの古い写真なども見せてもらった。
蔵書も多くあってユダヤの本をいくつか借りて読んだ思い出がある。
オオゴマダラの屋敷だった。
ホウライカガミを大事に育てていた。
手ずくりの大きなヨットは今もあるだろうか・・・。
移住者が住んでいると聞いたが
今はどうだろうか。

海を歩きすぎて左足が痛いが
海草が繁殖しているのを確認できた。
観光客の女性とも他の逝く話をさせてもらった。
数度来島しているという。
ミナタの海の楽しみ方を話した。
次は亀供養洞窟に誘ってみよう。
いい春の日和でした。


護岸工事で植えた防風林が繁茂して
人が一人やっと通れるくらいの通路だった。
たまーにしか行かないので
今に人が歩けないほどにアダンの気根が伸びている。
ウンジャミの活動家たちしか歩いていないのかもしれない・・・。
一軒の人家を守るためでもあったのだが
その方もあの世で見守っていて下さるだろう。
生前は時々自宅に来てくれて
よもやまがなしをしてくれた。
自衛隊の通信網を整備する仕事を任されていたという。
秘密事項を守るのが条件で
通信室にもこもってっ仕事をしたとのことだった。
ミナタのサキバナリの古い写真なども見せてもらった。
蔵書も多くあってユダヤの本をいくつか借りて読んだ思い出がある。
オオゴマダラの屋敷だった。
ホウライカガミを大事に育てていた。
手ずくりの大きなヨットは今もあるだろうか・・・。
移住者が住んでいると聞いたが
今はどうだろうか。

海を歩きすぎて左足が痛いが
海草が繁殖しているのを確認できた。
観光客の女性とも他の逝く話をさせてもらった。
数度来島しているという。
ミナタの海の楽しみ方を話した。
次は亀供養洞窟に誘ってみよう。
いい春の日和でした。


