娘が出産した
爺になったのである
一つの役目を果たしたという、安堵の心持である
時は流れ、時代の主役は交代する
累々のこと、仕方のない事ではある・・が
「孫は可愛いい」、そう思う気持ち・・・分る様な気がする
親想ふ 心にまさる 親心
今日の訪れ なんと聞くらん
・・・吉田松陰
私の胸をつまらせる
孫の誕生で、思ったことは両親のこと
歳をとってゆくという、その淋しさを・・慮る
年老いていく両親のもとへ 再び 子 として帰ってゆく
そうしてあげよう
・・・『 2007年3月5日 』 の、吾が想いである
淀川に上る朝日
時は
滔々と流るる
而今
吾が娘も、吾が孫娘も
共に、
吾が懐にある
そして、
吾が両親は
共に、
吾が心懐にある
夕陽が伸びる
定めの中で
私の子供が、私にに対して
親との思い を 持ってくれた時
私の父・母への 思い は 成就する
継続されてきた、祖先の 思い は 継承されていく
役目を果たした・・と、
自分が存した意味があった・・と、そう思う
せめてもの、
私にできる事は
累々と、祖先がしてきた同じ事をする
「吾が子に思いを伝える」
それだけである
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親の祖 おや またその祖 おや を懐しみ
子の子のその子に 清明心越 あかきこころを
・
清明心とは、人の 「 まごころ 」 をいう
この歌は 「 三代一人 」 と題した筧克彦博士の作である
「 三代一人 」 とは、
人の命は忽然としてあるものではなく、
親から与えられ、また子に与えてゆくものである。
親子のつながりは永遠であり、
親への責任、子への責任を果してこそ、
はじめて社会的な人間らしく その人格がつくりあげられるという。
自分からみれば 孫を含めて、
つまり 三代一如で漸く 人として一人前というわけである