一すじのひかり
一、 一般個室 ②
一日の殆んど眠っている。
而し乍、僅かなれど意識が戻ってきている様だ。
合間に行った問い掛けに、頷いて応えるようになった。
「 莞爾、聞こえるか 」
「 ・ 」
「 お父さんや、判るか 」
「 ・ 」
「 莞爾、お母さんや、判るか 」
「 ・ 」
頷いて応えている。
声が届いている、判るんや・・
危険状態の峠は越えたのか
ホッ・・と一安心
どれほど、安堵したことか
暗雲の隙間からの一すじの光
・・・感慨、表わしようがない
国立大阪医療センターに 倅を見舞う日々の中
2011年7月17日の帰り道
偶々
遭遇したる景色である リンク→希望の光さす
而し
いつまで経っても
倅の瞼は閉じた侭・・いっこうに開こうとしない。
妻がどれほど心配したか
開けないのではなく、開こうとしないのかも知れない
原因は脳の方に有って精神面からだと担当医 ( 脳神経外科 ) は謂う。
はたして、そう ・・だらうか
妻の必至の懇願で、レントゲンすると眼に出血しているのが判った。
出血が原因で瞼を開けることが出来なかったのだ。
硝子体出血・テルソン ( Terson ) 症候群
クモ膜下出血の合併症のひとつ
クモ膜下出血による急激な頭蓋内圧亢進に伴って生ずる硝子体出血のことを謂う
( 厳密には、頭蓋内圧の上昇により毛細管が破綻し、硝子体腔に血腫が拡散した状態 )
テルソン症候群はクモ膜下出血患者の数パーセントに発症が認められ合併する頻度は少ない
傾向にあるものの
テルソン症候群を合併したクモ膜下出血患者の死亡率は、
合併していない患者の2.5倍と高く、予後判定の根拠となる
その他の後遺症、意識障害や運動麻痺も重度と為り易い
硝子体出血は自然吸収される為、発症から少なくとも6ヶ月は経過観察した方が良いとされてきたが、
視力障害が著しいと、而後のリハビリに悪影響を及ぼすのみならず、
五感の八割を占める視覚が機能しないと日常生活に多大な介助を要する為、
早期の治療が予後を左右する
・・と、謂われている
東棟11階中央南側
病室③からの眺望
遠く上本町六丁目辺りが見える
而し、
倅は此の景色も
此の室に存たことすらも分らない
・
作業療法士によるリハビリ
ここ急性期の病院に於ては、1日45分が限度
麻痺している半身のみならず、全身動かせない
ほとんど一日眠っている状態で、リハビリなぞできようものか
このまま、動かないまま・・・なのか
不安が募ってゆく
二、退院、転院の準備
ここでの治療は終わったと言う。
次は回復期の病院でリハビリせよと言う。
吾々からすると 命を取り留めたというだけ、治療はこれからではないのか
そう言うと
今の保健医療制度では、急性期の病院の入院期間は最長で2カ月
従って、8月13日までが入院の期限となると言う。
それまでに回復期の病院に移らねばならない
期限を越えてしまうと、回復期の病院にすら転院することが適わないと言うのだ。
急がねばならぬと・・
医師からの病状の説明を乞うた
説明に依ると
順調に回復している、水頭症の心配もないだらう
多発性脳梗塞は発生した、・・と、MRI画像を見せながら、
「 此のヤケドの痕のようなものがが脳梗塞の痕です 」 ・・・と、数えてみせた。
そして、
命が助かった理由をしいて言えば、
「 若かったから 」
脳の半分が壊れてしまった、一旦死んだ脳細胞は再生しない
脳障害の回復は、全く分らない
ダメージを受けた右脳はその機能を果さず、後遺症として、体の左半分に麻痺が残る
だからと謂って、リハビリせずんば寝たきり状態の侭となるから
兎に角も、リハビリで頑張るしかない
リハビリにより残った左脳を鍛え麻痺した部分の機能を補って行く
頑張れば車椅子に坐れるまでには成るだらう
「 リハビリ 頑張って下さい 」
・・と
もう、死ぬことはなからう
一つ
峠は越した
2011年8月11日 退院
・・・後顧の憂い (五) ・ 峠こへて 千里の途1 (心機一転)へ、つづく