四国の空と海へ 

四国へ行こう~~~

第二十番 鶴林寺さんへ・・・・・>(2) 信州の実家へ・・・・・>(2 )

2021-12-07 21:43:53 | 時の流れは速い・・・
12月6日 曇 7 / 10 ℃ 5.972歩 4km

10:00a.m. 鶴林寺さんへと向かう。
途中 犬が2匹近寄って来た・・・手を出すと舐めてくれた。
今度は、ついて来なかった・・・ホッ😄  四国では、犬を放し飼いにしているようだ。

標高570m 胸突き八丁の急傾斜面の遍路道を「南無大師遍照金剛」の真言を唱えながら、喘ぎ 喘ぎながら登る。
道路幅が狭く、岩石がゴロゴロしていた。 風が下から、吹き上げてくれるので・・・後押しをしてくれるようだった。

10:20a.m.  休憩 足を出して、靴下を脱いで・・・足に、陽射しと空気を与えた。一気に、足の蒸れが消えた。
10:20a.m. スタート
急な上り坂も、木陰が多く助かる。
両足の小指の豆が、毎日の歩きで中々治らない。

11:30a.m. 運慶の作と言われる、阿形と吽形の「仁王像」がある山門を入ると・・・。

本堂前に、阿形 吽形の表情の鶴が居た!!!!!!!
吽形

 鶴に、阿形 吽形の表情をさせたのを観るのは、初めてのことだ。
参拝を済ませてから、昼食をと思ったが、寒い風が吹いているので、下山することにした。一気に、水呑大師さんまで下りて、水を頂いた・・・昼食を済ませた。12:35p.m.
足に、陽射しと空気をあたえて、ゆっくりと休んだ。
帰り道は、急勾配の下り坂・・・足首が痛んだ。
13:40p.m.  
金子屋さんに帰った。 洗濯を済ませた。
民宿のお風呂としては、大きな風呂にゆっくりと入らせて頂いた。
隣の部屋には、年配のご夫婦が居て・・・足の豆が痛いと言う声が聞こえた。失礼とは思ったが、ドアーをノックして、お話が聞こえたので、宜しかったら、これを使って下さいと「キズ ドライ」を差し出した。
予想以上に、お2人さんに喜んで頂き、恐縮した。

家族は、どうしているだろうか? お酒を止めて、8日 途中 自販機を観ても、飲みたいとは思わない。
塩田さんのことだから、飲んでいない・・飲めば良いのにと思った。

今日の歩いた距離 18.5km・・・累計136.6km 


実家へ・・車の中で、ママさんが、お饅頭 餡子は青い色の薩摩芋・・・皮の表面には、ゴマがあった・・・美味しかった。
車がドスン・・・ブレました。

暖かいお茶も・・・。

体調の悪い家内を、運転席の横に座ってもらう。
高速道路から観る紅葉は、12月の紅葉になっていた。

長男の運転で、車は快調に進んだ・・・。妙義山 上手く撮れない。

家も近くなるも、故郷の山々は雲に覆われている・・・。

左の方に「烏帽子岳」が、観えて来ました。生産日本一の「樫ぐるみ」の木が散見された。

「烏帽子岳」顔を観せて・・・。実家の、姉さんに電話をした。

あっと言う間に、実家に着きました・・・皆さんが、庭で待っていました。もう会えないかと想っていたので、感激でした。胸が熱くなりました。 家内の妹さんにも、昨日電話をしておいたので来てくれていた。 家内は、ビックリしたようだ。😄 😄 😄 


露地の木々が、大きくなっていた。 鯉 金魚は居なくなっていた。

松の木 躑躅の木

皆さんで、お墓参りに行きました。
嬉しかった・・・胸に込み上げる想いがありました。
小池家之墓の石碑が、周りの色と同化して目立たない。(写真では)
小池家では、この他に二ヶ所のお墓が在った。
その他に、氏神様が在るが、今日は行けなかった。
氏神様は、かなり古い・・・墓石 小池忠三郎 正保三年(1.646
375年前)初め、いくつもの墓石が残っている。
毎朝 毎晩 このお墓を想い出して、皆さんの御冥福と私達家族7人の、ご加護をお願いしています。
改めて、このお墓を頭の中に、納めました。

父の石碑 昭和10年3月10日 支那事変で、山東省 廬山で戦死しました。行年33歳 😭  言葉がありません・・・書けません。

祖父の石碑

故郷を想う時は、「烏帽子岳」は必ず目に浮かびます。

家の近くの郵便局は、様変わりしていた。

家の横の家は、廃屋になっていた。 幹が捩じれた、梅の木は、樹齢100年以上。

家の横から観た「烏帽子岳」 左の山 2.o26m 表からは、3回 裏からは、2回登った・・・想い出の山だ。
表から、1人で登った時に・・・途中 沢を観たら、熊が居た!!!!!!!
登るか・・・帰るか、迷ったが登ることにした。
その時、登山道のガレ場で、蝮と出合った!!!!!!!!  シュッと音を立てて、跳びついて来た!!!!!!!!!! サッと身をかわした・・・蝮は、瓦礫の中に消えた・・・蝮は、怖い蛇です。😵 
私が此処に住んでいる頃は、上の人家は無かった。
右の家は、村の役場であった。

和村役場跡

家の直ぐ裏は、村の「駐在所」が在った。もう何年も前に、署員家族は居なくなった。

懐かしい眺めだ~~~(^^♬  右の山は、子烏帽子と呼んだか❓
その山の下には、昔々噴火した時に出来た穴に水が溜り(爆裂火口)ある時に、崩れて大量の水が流れ下った・・村一帯は被害を受けて「大川」と言う名前になったと、言う。😄

家の横の道の左には、赤松の大木が在った・・・富士見松と呼ばれた。良く登った。
その下には「道祖神」が在った。 懐かしい~~~(^^♬

これは、下大川から持って来た。私が居た頃は、無かった。

和小学校に在った講堂 立派な建物 明治時代  昔の面影がある建物は、これだけになった!!!!!!!!!! 有名である。

和コミュニティーセンターは、私達夫婦が58年前に、結婚式を挙げた所である。

*ここからは、明日投稿します。
小池家之墓の所に、少し加筆しました・・・ご覧ください。

家内の実家です。

声を掛けたが、応答が無かった・・・何処かに、出られたのか???

昔と、余り変わっていなかった。





堀内家の墓へ5人で行った。

私の記憶にある「堀内家之墓」は、この石碑である・・・が、この石碑の右側に、大きな堀内家の石碑が建立されていた。
家内は、お参りするのは、お兄さんの葬式の時 以来だと思う。
風が強く、線香に火を点けるのに、パパさんとままさんが苦労した。
線香を上げました・・・皆さんの御冥福を、お祈りしました。
毎朝 毎晩 このお墓を、頭に浮かべて、お祈りをしています。
家内の病気が、治りますようにと、お祈りしました。

ブドウ園 石垣は、昔々のものです。 帰路に着きました。

海野宿 観光スポット 車で通るのは初めてだった。

中々の宿です~~~(^^♬

右側には「千曲川」が、流れていた・・・水量は少なかった。

昼食は、信州の蕎麦と決めていた・・・それも「くるみ汁」でと・・・お目当ての、蕎麦やさんは人が並び・・駐車場が無かった。
ネットで探した「ふるさとの草笛」に着くまでは、時間が掛かった。

くるみ汁の蕎麦が、食べられると「わくわく」した。

くるみの実を、潰したのが小さな器に入っていた・・・それを、この器に入れて、たれを入れて、この様な汁をつくった。味は❓

天ぷらの盛り合わせは、皆で・・・。

信州蕎麦 量の多さには驚いた!!!!!!!! 普通の量の、倍近くあった。
美味しかった~~~(^^♬ くるみ汁は、昔ながらの方が良いと思う。
孫は、これを3/4は食べた・・・凄い 凄いと、皆で言ったので、乗りました~~~(^^♬ 😄 

家内の妹の旦那が、このお宮さんの掃除をしていた。

千曲川 本当に、水量が少ない。

蜂 !!!!!!!

浅間山が撮れた~~~(^^♬
昔は、東京から信越線で帰って来ると、碓氷峠の10個以上のトンネルを抜けると、軽井沢・・・浅間山を観ると、あ~~~帰って来たと想った。2.500m

荻原の「峠の釜めし」本店 5個購入

妙義山

中々 上手く撮れない・・・。

帰路には、休まずに来た・・・>高速道路も後 900m

帰って来ました・・・行き帰りの運転 ご苦労さんでしたと、パパさんへ・・・家内の病気を治すために、実家の「お墓参り」をセットしてくれたママさんに、お礼を申し上げた。ありがとうさん。

いつもの時間に、夕陽を撮ることが出来た。
素晴らしい~~~(^^♬ 😄 





























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