四国の空と海へ 

四国へ行こう~~~

北陸新幹線を撮った~~~   雉を撮った~~~

2015-03-14 21:16:07 | 歴史

3/14 曇り 3/14℃ 11.390歩 8km

家内と二人でウオーキングに出た・・・今朝は、寒くはない・・・北陸新幹線 延伸開業の日だ、もしかして出合うかな・・・と歩いた。 

新幹線の音がした・・・下りだ 撮れなかったが、上りが来た・・・撮れた!!! ラッキー

B地区で、雄キジが居た・・・普段は、居ない場所だ・・・慌てて撮った・・・逃げた・・・

枯草の中に、逃げ込んだが追わなかった。

久し振りに、金魚が顔を見せた・・・大きい!!!!!

長生きをしている

二度目の耕耘をしていた

玄関の、花きゃべつがヒヨドリに食べられた・・・糞がしてあった。

家の庭に、15個目の蕗の薹が在った。 明朝の味噌汁に、刻んで入れてもらおう。


名刹 泉福寺へ・・・・(1)

2014-11-25 17:51:26 | 歴史

11/23 快晴  (投稿日は11/25  十一月になって、五回目の雨だ!!! 雨らしい雨は、無かったが今日は、しとしとと降っている・・・予報では、夜には激しく降るらしい・・・適度の雨は、大歓迎だ。)

9:00a.m. 近くのバス停から、桶川駅へと向かった。

桶川駅西口から、川越行のバスで約二十五分・・・柏原バス停で下車した。 昨年 彼岸花が、咲いていた頃に、熊谷飛行場跡の見学に、家内と来た時に下りたバス停だった。

さて、泉福寺さんはどう行けば良いか? バス停前の、食堂 かしは亭で、お聞きした。店は、休日だったが親切に教えてくれた。

私の泉福寺さんの記憶は、素晴らしい大銀杏の紅葉だけである。 いつ 何で、行ったのか全く記憶にない。

教えられた通りの道を、二人で辿った・・・庚申塔が在った。 かなりの年代が、過ぎているんだろう。

案内板を見ると、281年前に建てられたものである!!!!! 堅い石も、281年風雨に晒されると、こんな姿になってしまうんだ・・・人間の平均寿命は、八十年前後・・・日々是好日・・・

庚申塔   青面金剛さん

此の辺には、牛舎が多く見らてた・・・独特の臭いが漂って来た・・・乾燥された牧草が、銀色の袋に入れらて積まれていた。

珍しく、牛が六頭放牧されていた。

この牛だけが、際立って大きかった。

馬頭観音

181年前に建てられた馬頭観音さん・・・優しい顔   先程の、青面金剛さんと100年若いと、晒され度が違うね~~~。

お墓と同居していた

柏原バス停から、かなりの距離があった・・・牛舎が何軒も在った・・・堤防に沿って歩いた・・・泉福寺の裏門に着いた。

お墓の横に、一体のお地蔵さん・・・何の お地蔵さんかな?  三界萬霊塔・・・多くの方が、お参りしたことだろう。 赤い頭巾は分かるが、赤いよだれ掛けは? どなたがしているんだろう? かなりの年輩の、おばあちゃん?引き継いだ、お嫁さん?

 

 

 

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ(3)

2013-09-26 22:55:30 | 歴史

9/23

柳井さんは、DVDを使って当時の話を約一時間・・・テープが、回っている様に話された!!!!!画面に出る事を、当時の事を一つ一つ夢を観ている様に話された。

当時は、この様な立派な道路と橋は無かった・・・太郎衛門橋

特攻に行って・・・ 戦死場所の文字が・・・沖縄西方洋上   高橋さん 生存  

岡本さん 徳之島 不時着 生存

兵舎の裏を撮った・・・時代の流れの中に、引きずり込まれない様 頑張って居られる方々に感謝と幸せを・・・

太郎衛門橋

昔は、この先に荒川・・・そこに太郎衛門橋が在った・・・木製の橋だった。 橋が流されると、渡し船で運んだそうだ。

ホンダ飛行場からは、引っ切り無しに セスナが飛び立っていた。

親切に 誠実に、説明 案内して頂いた、 天沼さん  柳井さん  此処での、お仕事が生き甲斐になっておられる様だった。 3.000坪の土地  雑草との戦いは、会員の方・・・市役所の担当の方々か?  

又 お出で下さいと言われた。

ありがとう ございました。

帰りは家内と二人で、桶川駅まで歩いた・・・・今日の歩きは 13.623歩  10kmだった。 

ホームページ  http://www.okegawa-hiko.jp   を、開いて ご覧下さい・・・詳細が分かります。

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ (2)

2013-09-25 18:24:35 | 歴史

9/23 飛行学校の、入口に置かれていた資料から、利用させて頂きます。

 

ホームページ http://www.okegawa-hiko.jp

家内は、建物の古さと全体の環境に、絶句状態であった。   

昭和10年に開校した「熊谷陸軍飛行学校」は、現在は、航空自衛隊熊谷基地となっている。 その分教場として、昭和12年6月に、桶川市大字川田谷に「熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場」として開校した。  分教場から、西方を見下すと荒川が流れている。

その河川敷に、飛行場が在った・・・滑走路は、現在のホンダ航空の滑走路と同じ所に在り、格納庫と現地事務所も在った。

昭和18年9月に卒業した、少年飛行兵第12期生は、45名中18名が、昭和19年3月卒業の特別操縦見習士官第一期生は、80余名中20名近くが戦死されました。

昭和20年2月以降は、特攻隊の訓練基地として使用された。同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻となる振武79特別攻撃隊 12名が、知覧基地に向けて出発した。

の特攻機に、途中まで同乗した人 柳井さんが、此処で「語り継ぐ会」の理事として、お元気に説明をされている。

前面からの 兵舎

 

兵舎の前に、建てられていた。

兵舎の内部には、数多くの展示物が展示されていた。

今日の来場者は、限りなく少なかった。

 

 

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ (1)

2013-09-24 22:51:04 | 歴史

9/23 曇り  19/23℃ 13.623歩  10km

昨年の十一月だったか、一人で自転車で此処を訪ねた。 驚いたのは、その建物達が、今 崩れてもおかしくない位、歳を取っていた。 表現は、適切では無いかもしれないが・・・  時の流れと共に、人々の記憶の中から忘れられて、放置に近い状態が続いた結果がこうなったんだろう。

私の高校時代の先生が、此処で「特攻隊員」として、飛行訓練をしたと、お聞きした。 そんなことがあったので、昨年行く気になった。 正式には、「熊谷陸軍飛行学校桶川文教場」だそうだ。

飛行場の歴史に、もう少し踏み込んでみようと思っていた。  数日前に、家内に行かないかと声を掛けた。 行きたいと言うので、今日 行く事にした。 自転車で、桶川駅周辺の駐輪場へ・・・川越行きのバスで、かしはら停留所下車した。

徒歩 三分 案内の掲示板が在った。

分教場へ 

熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場跡の看板  (守衛所)

その側面には、守衛所の張り紙があった。

分教場の土地は、3.000坪 更地にして返還する費用が、3.420万円掛かる・・・土地を3.420万円で、国から桶川市が購入したそうだ。

左隅に、特攻隊員さんの怨念が、燃えているかの様に「彼岸花」が咲いていた。