四国の空と海へ 

四国へ行こう~~~

9/24 投稿 忘れ!!!

2013-09-30 22:49:33 | ウオーキング

9/24 朝肩まで雨 晴れ  18/27℃  7.287歩  5.5km

先日 栗を購入した・・・そして、一気に皮を剝いた・・・右の首筋が、張って痛む・・・寝違えたか?  原因は、皮むきだった。

こんな時は、鴻巣の「たいよう整骨院」だ。  今日は、火曜日 休診日ではない・・・鴻巣へと向かった。

鴻巣駅 着  「たいよう整骨院」へと、歩いて五分・・・ 玄関に立つ・・・カーテンが閉まっていた。  休診だ~~~ ガッカリしたぜ~~~  以前にも、こんなことがあったかな? 駅へ・・・梅林堂 甘い物が食べたいが、止めた~。

反対側には、以前は、グンゼの鴻巣工場が在った。 私は、以前何度か仕事で来たことがある・・・広い土地だった。

時は流れて、鴻巣市が駅周辺の開発を始めた・・・依頼があって、グンゼも乗った・・・駅を含めて、様変わりした。

鴻巣市のキャッチフレーズ

帰って来て、花ちゃんと散歩へ・・・・・交番をバックに

PM17.23  日が沈む・・・

 

 

 

 

 


今月二回目の  古河市MG場へ  

2013-09-29 22:28:13 | マレットゴルフ

9/26 曇り 18/23℃ 14.160歩  10.6km

9/15~16日の大雨で、MG場は冠水した!!!!! 以来、プレイすることが出来なくなった。 マレッター達は、小堤MG場の方でプレイをした。

やっと「渡良瀬川のMG場」が、今日から OKが出た。  大堤防を、小林さんの車で下りる時に、小林さんが運転しながら・・・お~~~  車の前を、雌キジが横切った・・・一瞬のことで、私には見えなかった。

今月 二回目の古河MG場だ・・・仲間12人が集まった。  AM8.50の、古河MG場 思っていたより、綺麗に整備されていた。   AM8.50  未だ誰も、プレーをして居なかった。

会員・役員の方々が、ご苦労されて綺麗に整備されたんだ・・・感謝   台風18号の、雲と風が来ていた。 小雨も降ったが、長くは続かなかった。 

PM12.10  怪しい雲が、次から次へと押し寄せる・・・・・ プレーをしたが、汗が出なかった  秋が・・・ 涼しい~~ 

PM15.09 今日のプレーは、終了した・・・大変な一日であった・・・ホールインワンが、五回出た~~~内、二回は藤倉さんだった。    

PM14.15 帰路についた。  台風18号は、速い速度で通り過ぎた様だ。

男体山方面に、青空が顔を出して来た。

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ(3)

2013-09-26 22:55:30 | 歴史

9/23

柳井さんは、DVDを使って当時の話を約一時間・・・テープが、回っている様に話された!!!!!画面に出る事を、当時の事を一つ一つ夢を観ている様に話された。

当時は、この様な立派な道路と橋は無かった・・・太郎衛門橋

特攻に行って・・・ 戦死場所の文字が・・・沖縄西方洋上   高橋さん 生存  

岡本さん 徳之島 不時着 生存

兵舎の裏を撮った・・・時代の流れの中に、引きずり込まれない様 頑張って居られる方々に感謝と幸せを・・・

太郎衛門橋

昔は、この先に荒川・・・そこに太郎衛門橋が在った・・・木製の橋だった。 橋が流されると、渡し船で運んだそうだ。

ホンダ飛行場からは、引っ切り無しに セスナが飛び立っていた。

親切に 誠実に、説明 案内して頂いた、 天沼さん  柳井さん  此処での、お仕事が生き甲斐になっておられる様だった。 3.000坪の土地  雑草との戦いは、会員の方・・・市役所の担当の方々か?  

又 お出で下さいと言われた。

ありがとう ございました。

帰りは家内と二人で、桶川駅まで歩いた・・・・今日の歩きは 13.623歩  10kmだった。 

ホームページ  http://www.okegawa-hiko.jp   を、開いて ご覧下さい・・・詳細が分かります。

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ (2)

2013-09-25 18:24:35 | 歴史

9/23 飛行学校の、入口に置かれていた資料から、利用させて頂きます。

 

ホームページ http://www.okegawa-hiko.jp

家内は、建物の古さと全体の環境に、絶句状態であった。   

昭和10年に開校した「熊谷陸軍飛行学校」は、現在は、航空自衛隊熊谷基地となっている。 その分教場として、昭和12年6月に、桶川市大字川田谷に「熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場」として開校した。  分教場から、西方を見下すと荒川が流れている。

その河川敷に、飛行場が在った・・・滑走路は、現在のホンダ航空の滑走路と同じ所に在り、格納庫と現地事務所も在った。

昭和18年9月に卒業した、少年飛行兵第12期生は、45名中18名が、昭和19年3月卒業の特別操縦見習士官第一期生は、80余名中20名近くが戦死されました。

昭和20年2月以降は、特攻隊の訓練基地として使用された。同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻となる振武79特別攻撃隊 12名が、知覧基地に向けて出発した。

の特攻機に、途中まで同乗した人 柳井さんが、此処で「語り継ぐ会」の理事として、お元気に説明をされている。

前面からの 兵舎

 

兵舎の前に、建てられていた。

兵舎の内部には、数多くの展示物が展示されていた。

今日の来場者は、限りなく少なかった。

 

 

 

 


旧陸軍桶川飛行学校へ (1)

2013-09-24 22:51:04 | 歴史

9/23 曇り  19/23℃ 13.623歩  10km

昨年の十一月だったか、一人で自転車で此処を訪ねた。 驚いたのは、その建物達が、今 崩れてもおかしくない位、歳を取っていた。 表現は、適切では無いかもしれないが・・・  時の流れと共に、人々の記憶の中から忘れられて、放置に近い状態が続いた結果がこうなったんだろう。

私の高校時代の先生が、此処で「特攻隊員」として、飛行訓練をしたと、お聞きした。 そんなことがあったので、昨年行く気になった。 正式には、「熊谷陸軍飛行学校桶川文教場」だそうだ。

飛行場の歴史に、もう少し踏み込んでみようと思っていた。  数日前に、家内に行かないかと声を掛けた。 行きたいと言うので、今日 行く事にした。 自転車で、桶川駅周辺の駐輪場へ・・・川越行きのバスで、かしはら停留所下車した。

徒歩 三分 案内の掲示板が在った。

分教場へ 

熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場跡の看板  (守衛所)

その側面には、守衛所の張り紙があった。

分教場の土地は、3.000坪 更地にして返還する費用が、3.420万円掛かる・・・土地を3.420万円で、国から桶川市が購入したそうだ。

左隅に、特攻隊員さんの怨念が、燃えているかの様に「彼岸花」が咲いていた。