12/8 晴れ 4/13℃ 4.364歩
3km
寒い朝だが快晴 家内と二人で、高崎線で熊谷駅へ向かった。兄の告別式へ・・・熊谷駅から、北陸新幹線に乗った。
はくたか 9:07a.m.発に乗車した・・・自由席でも満員状態であったが、二人席が空いていた。
安中榛名駅に近ずくと、ご覧の様な紅葉真っ盛りであった。
北陸新幹線がトンネルを抜けて軽井沢に入ると、景色は一変した・・・紅葉らしき世界は、何もなかった・・・寒々しい世界が広がっていた。
新幹線を降りて、軽井沢からは「しなの鉄道」に乗った。ローカル線だ~~の感じが、懐かしく嬉しかった。 各駅停車で・・・>昔 SLが走っていた頃を想い出した・・・遥か昔のことだな~~~
新幹線からは中々撮れない浅間山が、青空をバックに毅然と聳えていた・・・いつ見ても浅間山は美しい・・・ドーンと男性的だ 2.560m
今日は白煙が見えなかった。 木々には葉が付いていない・・・関東平野とは、気温が違うんだ~~~!!!
小諸駅で5分停車
もう50余年も前に、小海線 中込駅の機関区で、ジーゼルカーの清掃をしたことを思い出した・・・今の車両とは比べられない・・・車両であった。 洗車をするコースに入れられた車両を、硝酸? 硫酸?を水で薄めて車体と窓を洗い流した。車内は、廃油をモップに付けて拭いた・・・車内は油の臭いがしてた。
車体下のエンジンなどは、運転に使った重油の廃油で磨いた。両手の爪が反り曲がった!!! あの当時一緒に仕事をした、仲間達の名前は全て思い出せない・・・半年の仕事場であった。男性のみの職場であった。機関区の裏からは、浅間山が見えた・・・美しかった・・・
洗車は今も変わらないだろうか? 車体の下は、今は磨いていないんだ・・・今時 手を油だらけにしての作業はしないんだ。
懐古園へ行くと、千曲川 旅情の詩の石碑が在ったっけ・・・あの詩に感動した十代
大屋駅で下車 この駅も変わっていない・・・信越線が走っている頃と、通学の時には利用した・・・退職後は、新幹線で上田駅で下車 兄が車で駅前で待って居てくれた・・・そこから菅平の「菅平サングリーンマレット場」へ、直行した・・・そしてマレットゴルフを、二人で楽しんだ。
退職してからは、15年位は年に2回は来ていた・・・兄の仲間のみなさんとも、楽しませて貰った・・・昼には飲食、休む時間もなくMGを楽しんだ。
塩さんとも、塩さんの車で2回は菅平に来た・・・菅平に着く前に暗くなり、道路脇の空き地で車を止めて寝た・・・朝起きたら、お墓の前だった~~~!!!
大屋駅から実家までは、タクシーに乗った・・・運転手さんは、今朝は 零下6℃でした~~~!!! 驚いた。
11時前には実家に着いた・・・姉さんはじめ皆さんに、挨拶をした・・・兄は座敷で、棺の中に横たわっていた・・・10月29日に会った時とは、違う顔になっていた・・・穏やかな顔であった・・・姉さんは、家に来て5日経ったので・・・その時の方が、もっと良い顔をしていたよ~~ 出棺まで時間があるので、兄との無言の会話をした・・・この家で兄と生活したのは、22年位だったが迷惑を一杯掛けました・・・不肖の弟であった・・・が、退職後は仲の良い兄弟であった・・・菅平でも、俺の弟だわいと良く紹介された。
菅平で、兄弟二人で一緒にマレットゴルフをしている人は私達だけだと思う。
実家に帰ると、リンゴ園でニンニクダレで漬けたマトンの肉を、腹一杯食べさせて貰った・・・美味しかったな~~~!!! 兄は、酒豪であった・・・飲め 飲めと勧められたが、兄貴が満足するまでは飲めなかった。
キノコ採りが好きだった・・・リンゴ園の中に、クリタケを栽培した!!! 野球も好きで、自分でも活躍した・・・仲間3人で巨人会をつくり、年に数回は後楽園に観戦に来た・・・その時に銀座4丁目の三越の前で、兄とバッタリ出会った~~~!!!
釣も好きだった・・・特に 岩魚を釣りに行った・・・山で、川干しをして岩魚を獲った・・・一緒に、私の子供も行った・・・
兄は、旧制の上田中学へ行った・・・村でも3~4人位しか行けない、有名校で在った。 それに比べると私は、出来の悪い弟であった。
などなど、尽きない思い出を、兄と話した・・・兄の顔が見えなくなった・・・額に手を置いた・・・冷たかった・・・10/29に、頭が痛いと言うので額に手を置いたが、熱のある感じはしなかった。
兄の孫は二人 長男は慶応大学経済学部 長女は中央大学法学部 夫々に良い会社に就職した・・・長女は9月に結婚をした・・・兄の自慢の孫である。
出棺の時間が来た・・・近所の方々の、お手をお借りした・・・皆さんの、お見送りの中・・・
途中 南アルプス 中央アルプス 北アルプス 立山が綺麗に見えた。
午前に家に着いてから、家内とお墓参りをした。
古い石塔には、苔が付いていて何方の墓か分からないものが多い・・・明治5年の石塔も在った・・・400m位離れた所には、小池家の氏神様が在る・・・天明3年建立とある・・・250年前になる・・・小池の墓は、近くに此処を含めて3ヶ所在る・・・書ききれない、歴史がある。
最後に見た兄が、骨だけになった・・・骨壺に親族で拾い入れた・・・今迄 とは違う時間であった。
告別式は、盛大に行われた・・・埼玉では、考えられない様なものであった・・・和尚さんも歳を取られていた。
家の裏からの、烏帽子岳
7:20p.m. 上田発 東京行き
席は空いていた
家に着いたのは9:10p.m.であった。
兄が逝き・・・体の中に空洞が出来た様だ・・・ご冥福を、お祈りします・・・親父さん お袋さんに宜しく・・・爺やん 婆やんにも・・・祖先の皆さんにも・・・