この寝台にはシャワーがあり入線後直ぐにシャワー券を購入しシャワーですっきりしました。
あとは飲んで寝るだけです。
なんだろう!
いろんな縁あって今の自分や当社がありますが、そのご縁で来年から面白い事業を立ち上げられればと思っております。
とにかく自分で動かないと何も始まりません。
来年はもっと馬力を上げたいと思っております。
皆様におかれましては、今年も何かとお世話になりありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます❗
高松自動車道が開通して30年が経ちました。
当時21歳です。
思い起こせば、高校の時に瀬戸大橋の橋げたなど大規模工事が行われており、隣接する宇多津町や坂出市の海岸沿いの道路が大幅に変わってしまいました。
どこを走っているのだろうかと思ってしまう場所もありました。
当時は巨大プロジェクトが立て続けに建設されてました。
18歳の時に、鳴門大橋が開通し開通記念の博覧会のようなものが開催され記念グッズを売ってましたので、当方の名前が成登(なると)ですからローマ字かひらがなのなるとグッズを買った思い出があります。
またそれと同時に四国初の高速道路(愛媛県の土井~川之江)が開通し10km程度でしたが当時乗っていた中古の昭和51年式いすゞジェミニでスピードが何キロ出るのか試したことがありました。
20歳の時には、瀬戸大橋が開通し皆さん勝手に路側帯に駐車して写真撮影を行ってました。当時橋の大きさに度肝を抜かされた記憶があります。
また、皆さんドライバーが右に左にキョロキョロと瀬戸の景観を眺めながら走行していたので、もちろんスピードものろのろで当時日本一遅い高速道路と言われた時期がありました。
それから順次高松自動車道や四国の高速道路が整備され現在に至っています。
昔当社でも高速道路が中途半端なエリアしかなかった時期は、高速道路料金を経費扱いにするかどうか議論されていたのを覚えています。
今では考えられないですね!
昨日深夜といいますか、本日早朝0:10からのNHKスペシャル「脱炭素革命の衝撃」を見ました。
今日のキワニスクラブの例会はJR四国の方が観光列車についてのご講演でした。
JR四国の観光列車は以前からアンパンマン号があるのは知ってましたが、3年前から「伊予灘ものがたり」「四国まんなか千年ものがたり」「志国高知幕末維新号」など本格的な観光列車が登場し人気を博しています。
乗車率は90%を切る事がないとのこと。
「四国まんなか千年ものがたり」という長い名前になった理由は、最初の本格的観光列車の「伊予灘ものがたり」の伊予灘がどこなのか分からないという意見から香川の多度津から高知の大歩危間を走行するので四国まんなかがネーミングに入り、その区間には善通寺、金刀比羅宮、平家落人の秘話や伝説が今なお残る秘境の祖谷地方など千年以上の歴史がある事から千年も入って長くなったそうです。
なお来年からその観光列車を乗り継ぎ四国四県を旅する「四福の物語」が登場します。
列車の車窓から四国の瀬戸内海、太平洋、大歩危などの大自然を眺めながら(四福)至福のひと時をいかがでしょうか?
詳しくは、JR四国のホームページをご覧ください。