雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

美人過ぎる~は、隠れた差別用語。

2010年01月10日 | その他の雑談
「美人すぎる市議」とか、「かわいすぎる海女」とか、特定の職業の女性の美貌が話題になっている。まぁ、見目麗しいのは良いことである。

しかし、気になることがある。「~すぎる」とは、一体どういう意味なのか。一般に「過ぎる」とは、何かの標準に照らして、度を超しているということだ。いったい、市議や海女に、どんな美的標準があるのか。単に「すごく美しい」とか、「超かわいい」ではだめなのか?

端的に言ってしまうと、「美人すぎる」「かわいすぎる」とは、「この職業に就いている女性としては、例外的に容姿端麗である。」ということだ。つまり、「この職業に就いている女性は、ブサイクが多い」と、ほのめかしているようなものである。

その証拠に、ネットの動画サイトで人気者になった、英国人の少女には、「かわいすぎる」という表現は使われず、「かわいいにもほどがある」という称号が贈られた。つまり、タレント活動をしている女性の美的水準は元来高いので、「かわいすぎる」という表現は相応しくなかったわけだ。

当然のことながら、「美人すぎる」「かわいすぎる」御当人たちには、なんら落ち度はない。ただ、そのようなレッテルばりをして、嬉々として報じるマスコミに対して、女性団体からクレームが殺到してもおかしくはない。今のところ、そういう動きはないようなので、ミスコンテスト批判や政治家の失言叩きには熱心なようだが、こういった表現に対する感度は鈍いようである。

美貌の同僚がいるだけで、「美しすぎる」とか、「かわいすぎる」ともてはやされている、他の女性市議や海女さんたちの心中はいかなるものであろうか。


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