雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

討論は主導権の奪い合いなのに…

2009年06月18日 | 政治の雑談
麻生総理と鳩山民主党代表の、2度目の党首討論があった。前回の党首討論の時に、筆者は「友愛社会」と「自分以外はバカの時代」と題して、自分以外はみんなバカだと言わんばかりに、威勢よく相手の主張を切り捨てることが自身の賢さと思い込み、他者とのつながりを失いつつある日本の現状を、ある意味よく象徴しているという趣旨のことを書いた。

舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、今回は前回の内容とは若干矛盾することを書いてしまいたい。あのようなブログ記事を書いたけれども、そうは言っても真剣勝負の討論なのだから、ある程度攻撃的になるのも仕方がないとは思っている。ただ、日本国のリーダーを決する討論なのだから、格調高いものであって欲しいし、更に言えば、鳩山代表が「友愛」ということをテーマに持ち出し、麻生総理も(留保を付けながらも)それに応じたのだから、「お前はバカだ」の投げ合いに終始するのはまずいのではないかと思ったのである。

さて、今回、筆者が気になったのは、麻生総理のぶらさがり取材における次の発言である。

…質問に対する答弁の形みたいになりましたんで、党首討論っていうような形にはならなかったんだと思っています。・・・

党首討論っていうような形に「ならなかった」のではなく、麻生総理が「しなかった」のである。

国会答弁ではないのだから、まともに相手の質問に答える必要など全くない。討論とは、戦いである。といっても、主張の正しさを戦わせるのではない。討論を聞いている第三者が、どうジャッジするか。それだけである。論理で負けていても、敵側はいけ好かないやつだとの印象を何となく広められれば、それで大勝利なのである(ブッシュ前米大統領とゴア民主党候補のテレビ討論がまさにそれであったと記憶している)。要は、目の前の討論相手ではなく、如何に第三者にアピールするか、そのためには、如何に自分の得意分野へ相手を引きずりこむかである。答えたくなければ、「そんな瑣末な議論をここでするのは時間の無駄だ!」と切り捨ててもいいのだ。

時間切れスレスレになって、本当は主張したかった安全保障の話を持ち出すのではなく、初っ端から「そんな話ではなく、まずは外交や安全保障の話をしましょうよ!」とブチ挙げて、相手を押し切ればよかったのである。結果、議論が全然かみ合わないことになるだろうが、およそ討論とはそのようなものだ。鳩山代表の質問に懇切丁寧に答えるのは、ご本人は反論しているつもりかもしれないが、ムザムザ主導権を相手に渡しているようなものであり、ただのお人よしである。

日本人は一般に、討論が得意でない。自己主張ばかりせず、人の話をまず聞くことを美徳とし、そういう教育を叩き込まれているので、なかなか主導権の奪い合いという意識に立てない。とは言え、麻生総理は、遥かにディベート慣れした外国のタフな要人たちともやりあわなくてはならない、日本国のリーダーである。そうである以上、流石と思わせるところを見せていただきたかった(それまでに外相も務めておられたのだから)。


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