雑談の達人

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本当は世襲する本人が一番大変だ

2009年05月17日 | 政治の雑談
解散総選挙が間近にせまる中、政治家の世襲に関する論議が盛んにおこなわれている。現職議員の二世は「地盤、看板、かばん」をそのまま受け継ぐことができるので、選挙において圧倒的に有意な立場にあり、そういったものを持たない優秀な人材を政界から遠ざけているのではないかという懸念が背景にある。候補者の公募や、予備選挙の実施、同一選挙区からの立候補禁止など、さまざまな提案がなされている。最近では、同じ政党の身内からも批判が起こるようになった。

ところで、世襲は政治家に限った話ではない。政界以外では、世襲はさして問題視されず、ごく自然のことのように行われている。日本を代表するような大手有名企業でも、創業家が重要な地位を占めている。芸能人も、有名タレントの二世だとデビューしやすそうだ。試験で選抜されるので、本来は世襲などあり得ない医者や弁護士、官僚なども、教育面でのアドバンテージがあるので、親子代々というケースが少なくないと思う。

人間は、生まれながらにして平等なんかでは全くないという、身も蓋もない現実がある一方、政治的権利については、万人が平等でなくてはならないという建前が強力なので、政界の世襲は批判にさらされるのだろう。

非上場の中小企業の場合だと、トップの世襲はごく当り前のことである。筆者の勤める勤務先の社長もそうである。客先も概ね中小企業ばかりなのだが、逆に世襲以外のトップを見つける方が難しいような印象がある。まだ若い創業家の御曹司が社長に就くまでの間をつなぐため、大番頭的存在の古参社員が社長を務めるようなケースがたまにあるが、大番頭と御曹司の確執は相当なものであったりする。

世襲によって将来が約束されている方々を見ていると、羨ましいとか、不平等であるというよりも、重い宿命を背負われて大変だな、というのが、率直な印象である。例えば、父親が一代で築き上げた会社があるとする。当然ながら、父親のそのビジネスでの才能や人脈は素晴らしいものである。息子は、偉大なお父さんを前に、同じ分野ではかなわないのではないかと薄々感じている。そのため、当初はお父さんとは違う分野に挑戦したりする(そういえば、小泉元総理の息子さんも俳優をしている)。

だが、別の分野においても、社会的地位や収入といった普遍的な尺度でお父さんと比べられてしまうと、結局かなわない。お父さんが築き上げたほどのものを生み出せそうにないので、来るべき時期が来ると、自分なりに頑張ってきたものをあきらめ、跡取りとしての道を歩まざるをえない。その後は、必ずしも得意分野とは言えない部分でお父さんと比較されながら、何とか成果を上げなくてはならないというプレッシャーに晒される。その苦労は大変なものだと思う。

しかし、こうした辛さを仮に表に出しても、「初めから有利な地位を約束されているのに、そういうものが全くない人間の苦労に比べれれば、単なる甘えに過ぎない」と切り捨てられてしまうので、世襲する本人から聞くことはないだろう。だが、仕事がないとか、お金がないといった分かりやすく同情を得やすい苦しみではなく、誰にもわかってもらえない種類の苦しみというのが、実は一番つらかったりするものだと思うのだが、どうだろう。


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