雑談の達人

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日本の将来を憂う人々の白々しさ

2010年07月19日 | 政治の雑談
誰が言い始めたのか、日本は未曽有の危機らしい。日本企業の競争力喪失。巨額の財政赤字。止まらぬ少子化と高齢化。若者の失業。自殺の増加。世代間格差。

で、日本の将来を憂いて、天下国家を論じる方々は多い。評論家、ニュースキャスター、作家、政治家、学者、専門家、果てはお笑い芸人まで。

テレビ、新聞、雑誌、新書、ネット… 日本改革の処方箋を唱える声は百家争鳴だが、筆者はこれらに触れるたび、何とも言えぬ違和感を感じてきた。それは、こうした人々の言説の内容や真偽云々の問題でない。理由を超えたところで感じられる白々しさ。煽り文句の向こうに透けて見える危機感のなさ。具体的実行になると、やれ政府は何をやっている、企業はこうしろ、某国はずるいと、ひたすら他力本願となる無責任さ…

結局のところ、日本の将来を憂いてみせる人々は、全く本気でないのである。何故か。彼ら自身は、この沈没しつつある日本でも運よく安定的なポジションを確保し、とりあえず生活の不安のない人々なのだ。安全な所から上から目線で、「今の日本の××はケシカラン」と言うことを商売にしているだけなのである。

本物の危機に直面している人たちは、天下国家を憂いたりしない。カッコよく憂いて見せる前に、生き残りを掛けて目の前の危機と全力で闘うほかない。例えどんな手段をつかってもだ。一刻の猶予もない。ブログやメールマガジンで、自分こそは問題の本質に気付いている正義の使者だと主張する暇など勿論ない。喰うか喰われるか、殺すか殺されるかの真剣勝負をする時に、上から目線の他人事的姿勢はあり得ない。

そういう意味で、天下国家論じて飯を食っている輩が溢れかえり、そういう輩の書いたものが売れて商売になっているような内は、本物の危機はまだ訪れていない証拠と言える。そういうくだらない言説が影をひそめ、日本人の大多数が現実の危機に直面しないかぎり、現在の状況がタラタラっと続いて行くのは間違いない。

逆にいえば、日本の将来を呑気に憂う奇特な方々がたくさんいる内は、安心して惰眠をむさぼっていて良いのである。彼らの商売に協力してやる必要は全くない。煽る方も釣られる方も同罪である。

本当のところ、日本はまだまだ現状のままで十分過ぎるほど安泰なのだ。残念だけど。

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