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不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

再生可能エネルギーで今の生活が続けられる?

2025-03-24 06:26:29 | 人間学

答えは無理で~~す。
できましぇ~~~ん。

過去の太陽エネルギーの遺産である石油・石炭を使い切ったところで終わり。
詰み(罪)で~~~す。

理由を超々簡単に説明すると~。

人類が今、1年間で使用している
過去の太陽エネルギーの成れの果ては
太陽からもらったエネルギー10万年分
 ※石炭とか石油とか



地球上に存在するエネルギーは
地球由来のモノを除けばすべて太陽から得ている。
 ※水流だろうが風だろうが平衡状態にない全ての状態。

エネルギーはエネルギーの高い所から低い所に移り平衡状態で安定する。
エネルギーは外部からエネルギーを加えない限りエネルギーが増えることはない。

エネルギーを使って何をするにもエネルギーの一部は熱に変わり、
変換すればするほど熱損失で使えるエネルギーは減っていく。

絶対的な物理法則を打ち破らない限り、全ては幻想で終わります。
無理なものを行けると宣伝して強行しているのは、
それをお金にするためですねぇ。
人間の欲だけは可能性が無限で~す。
人間は腐りきってま~す。

ちなみに過去の太陽エネルギーを使わず、
リアルタイムで得られる太陽エネルギーで生活を賄うとすると?。


こういう生活になるようですよ。








ここに至る前の激動の現代(そして今からちょっと先まで)では
気象災害のロシアンルーレットで常に抽選が行われ、
当たりを引けば家・土地・財産・命のどれか、
あるいはすべてを失うかもしれませ~~~ん。
でもまあ、みんな好き勝手に生きてエネルギーを使いまくってるわけだから、
しょうがないよねぇ~。


大谷選手とどう対戦する?でわかる人間性判定術

2025-03-18 05:53:45 | 人間学

記事を投稿しないと表示の仕方まで変わるの?ココ。

オワコン人間なのでネット社会から距離を置き始めているんですが、
(特にココは病気ブログなので健康体が元気さを発信するのはいかがなものかと)、
ブログの更新がないと寂しいと言ってくれる方や、
もう天の川の写真は撮らないんですかと言ってくれる方や、
YouTube動画は出さないんですかと言ってくれる方など、
この性悪ジジイに実にありがたい(余計なお世話感もあるが)
お言葉をかけてくださる方はゼロではない。

老いるとは?。
なんでもメンドクサクなることなのか?。
脳細胞の萎縮が懸念される「元心房細動男」で~~す。


今メジャーリーグの日本人所属球団が日本で荒稼ぎをしている。
中でも大谷翔平選手の注目度は別格だろう。
さて、大谷さんと対戦した投手の投球で、
ああ、こいつは小物だな(今どきの)と思ったエピソードを。

私が現代人(老若男女を問わず、結果さえよければとか承認欲求しかない連中の総称)
が大嫌いなのは、大したことないくせに俺俺(あるいはワタチワタチ)を、
必死に生きるための拠り所としている人が実に多いためである。

もし、私が大谷さんと対戦する投手となったら?。
全球ど真ん中のストレートを予告投球し、
己の投げられる最速の球を、とにかくど真ん中に放り込み続けるだろう。
(たとえ監督やチームメイトなどに反対されてもね)

こうする理由は?。
大谷選手にホームランを打ってもらって大いに盛り上がってもらうこと。
(お客さんを喜ばせることがプロである証だろ)

大谷選手を打ち取ってドヤ顔なんてカッコ悪い。
小さい・・・・人としての器が小さすぎる。
それに浅はかだ。

打者の打率は概ね3割程度。
普通に10回対戦すれば7回は黙っていても打ち取れる(プロ同士であれば)。
打ち取れても、まあ当たり前である。
逆に10割ホームランを打ってもらう。
これはなかなかない。

当たり前でウェ~~イ。
かっこ悪すぎる(でもこういうのがほとんどを占めるのが今の人類の現実である)。

それに誰が主役だよ。
主役を引き立てつつ、あいつもなかなかやるな!とさりげなく自己アピール。
(何とか打ち取ろうと必死になった挙句に打たれるなんて、みっともなさすぎる)

万が一打ち取ってしまっても大谷さんが打ち損ねたとなって、
自分の小粋さが失われることもない。

どっちに転んでも双方ウインウイン。
実にめでたい。

さて、生きる時間の全てにおいて、こういう考え方で物事に当たるクチなので、
凄いなと思える方や、お友達になりたいと思える方は実に少ない。

それでも世の中には自分よりすごい人間がごまんと居るのだから、
人ってのは奥深い。

以上、小物がもっと小物を嘆くという誰の役にも立たない話でした。


史上最悪の丈夫なぼけ老人予備軍ではありませんか? 脳トレしない歩くだけの人はキケン

2025-01-03 07:56:58 | 人間学


2025年初日の入り(太陽柱=サンピラー=縁起物のおまけつき)。
時流に流される他人と同じことをするのはまっぴらごめん。
(即ち初日の出とやらを必死に追うような真似)
ちなみに元日の会津は雪予報だったが、
撮ろうと思ってないと初日の出も初日の入りも拝めるという意地悪ぶり。
日の入りは我が人生の如く、あとは沈んでいく一方でありながら
なお、光の柱が出現するとは・・・・。
宝くじはもらったぁ~~~~~~~

明けましておめでとうございます。
ここの主はすでにオワコン化しているので、本年もよろしくしなくてもいいです。


昨夏の猛暑が過ぎた頃から撮り歩く距離が伸び、
10km、3時間も疲れるが苦ではなくなってきた。
こういうとそのくらい歩いてまっせという自慢する人がいるが、
あなたは知ってますか?。
体力は有り余っているのに脳が死んでいる恐ろしい人の話を。
痴呆のクセに体力おバカなのでとんでもないところまで徘徊するという恐怖を。
足腰は丈夫なので長生きはするが、自分のことも家族のことも忘れる恐ろしい結末を。

私の散歩コースでもかなりの方が「体力おバカ痴呆老人予備軍」ではないかと疑われる。
つまり、距離・時間・消費カロリーなどばかりに着目して脳を使わない暇老人だ。
散歩コースで徘徊している大半のジジババについて背景まではよく知らんが、
実はお隣さんが間違いなく迷惑老人になるであろうという価値観と生活習慣を持っている。
散歩以外、外で見たことがない。
キレイな庭はあるが手入れは100%奥方がやっておられる。
たまに会うとする話は、ご自身の過去話だけ。
毎日歩いているが白鳥が来たねくらいで、日々腐るほど見ている情景の話などもない。
このじじい、歩いている間ナニ見てんねん。
歩いた後はナニやってんねん?。
もしゲーマーだったらボケることはないが、ゲームなどしていないだろう。
してたらそういう話が出る。
思うに、散歩から帰ると昼飯食わせてもらって昼寝。
その後は有料の時代劇チャンネルでチャンバラを見て一日が終わる。
おそらくその程度のモノだろう。

「体力おバカ痴呆老人予備軍」にならないためにカメラを持て!、ゲームをやれ!。
とくにカメラはいい。(ボタンを押せば済むスマホは論外だ)
虫でも鳥でも(景色はダメだ、すぐ飽きるし、飽きを防ぐためにはガソリンを使わなければならない)
五感を駆使し探す。
その後、撮るためにどうするかリアクションが必要だ。
鳥や虫の特徴や習性について見て学ぶし覚える。
どう撮るか、ワンパターンではない思考と体動が求められる。

テレビを見るなど与えられた刺激をただ受けるだけでない。
脳はフル回転でボケる要素は1ミクロン足りとも入り込む隙間はなくなる。

帰ったらPCに取り込み写真をセレクトする必要がある。
イイのがあったら画像処理をして整えインスタにアップだ。
ただ写真をあげ、何月何日 ナニナニだけでダメだ。
キャプションをしっかり書け!。
何がどうでどう撮ったなど詳細にだ。
これは何があったか脳内イメージを辿ることであり、
アップする写真につながる情報(情景)を引き出し、
頭の中でまとめ、キーボードでポチポチ形にする必要がある。
ここでも脳はフル回転でボケる要素は微塵もない。

なに~?。
いいねやリプライがないと続かないだと~?。
他人のリアクションや評価を必要としないのが、
「体力おバカ痴呆老人予備軍」脱出のための自己満だ。

想像してみて欲しい(私は病院でしょっちゅう見ている)。
か細い奥方が歩けなくなったじじいを車いすで介助する様を。
行方不明になったと思ったら隣県から徘徊で保護されたという電話を受け取る子供の姿を。

脳トレを軽視し、足腰だけ弱らなければ健康長寿に過ごせると勘違いしているじじいたちよ。
頭も酷使しやがれ。


不整脈に負けたくない? じゃ~人間力を上げましょう

2024-09-21 13:34:01 | 人間学


【令和の米騒動】 何人たりともオラの米は渡さねぇ byシオカラ米穀店


ここでいう不整脈は直接命を奪うわけではないが、
発作でメッチャ苦しかったり、人生の楽しみが色々制限されたり
精神的なダメージまでも含めたQOL(人生の質)を下げる御三家を言う。
それ即ち、心房細動、上室性頻拍、上室性期外収縮の3つの不整脈を指している。
心室性のなにがしや、その他モロモロについては管轄外なのでそっと退出なされよ。

不整脈から完全におさらばするためには医学・医術に頼らないと無理なモノが多い。
まあ筆者の根治までの格闘や根治術の体験談、その経過などについては
当ブログでも紹介しているので、そちらを見てもらうとして、
不整脈の怖さは、その病態とか症状だけでなく精神をも蝕む特性にある。
 ※心房細動は脳梗塞につながるので放置してはいけません
  もし脳梗塞で体に障害が残った場合、家族に迷惑をかけるからです
例えば心房細動や上室性頻拍が出始めの頃は、
あまりの苦しさや恐怖心で予期不安によるパニック症を患った。
一時は人としての生活に支障が出るんじゃないかくらいに追い込まれたり、
その後も健常人とは同じように生きれないという苦渋も味わった。
このパニック症を克服するまでざっくり10年の歳月を要したが、
不整脈を知り己を知ったあとは発作中でも平気で眠れるようになった。
苦しいのは著しく血流(=血圧)が変化するとか血流が滞るものであって、
心拍数が160近くても血圧が大きく変化しないモノは
恐怖心さえ感じなくなれば共生できる。(これが良くない場合もあるが)

同じ不整脈に襲われていても、恐怖におののくか?平気で寝られるか?の差は
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」にある。

老若男女問わず、今どきの人は情報過多な上に情報が即時入手できる弊害で
とにかく頭に知識やデータを蓄積しない。
また、タイパ(タイムパフォーマンス)とか言われる通り、
すぐに答え(あるいは成果)だけを求めたがり地道な活動を嫌う。
まあ勝手にやってろなのであるが、
自分の不整脈はどんな不整脈で、どういう時に襲ってきて、どういう時に収まって、
肉体的・精神的にどのようなダメージをもたらすか?。
数年以上という長いスパンで真摯に向き合うことである。
(それが嫌なら医者がまだ早いと言っても医者に捻じ込んで根治術をしてもらえ)

さて、ここで直接的な答えを期待した方は甘いなぁ~。
ここの住人の症状や対処法が誰かに合うとは限らない。
ということで撮影体験に例えて考え方をご紹介する。
撮影体験に例えられたら読解できない人は、まあそれまでの人。
苦しんでくれ。(逃れたければ覚悟を決めて足掻け、学べ、戦え)


筆者は腎臓の劣化防止・負荷軽減のため塩分制限や内臓脂肪の削減が必要で、
食事に気を遣ったり(まあ、あんまりしていないが)、毎日散歩をしなければならない。
始めは良かったが、散歩だけでは苦でしかないので撮影を楽しみながら歩くことにした。
歩くことを主眼にしたときは1時間に7200歩、2時間で14400歩ほど歩く。
歩数の計測や歩く距離を出すのにスマホやスマートウォッチは必要ない。
時計があれば事足りる。
さて、時計がなくなったら?。
太陽が出ていれば時間は測れる。
太陽は1時間で15°東から西に動く。
おおよその真南(別に東西南北どこでもよいが)がわかれば日時計で時間は測れる。
はっ そんなことわかんなくてもスマホあればそれでいいじゃん。
でた!。
スマホや電気がいつでもあるというお気楽な前提で考えてる。
たかがこの程度の事でも知っていると知らないとでは違いはできる。
人間支障なく生きていくためには、まあいっぱい色々あるわけだ。
こんな感じで生きることの全てで一事が万事、人間力の差が広がっていく。
(スマホなくなったら生きていけない人、わんさかいるんじゃね?)


さて、自分が歩ける範囲(半径2キロ程度か)に縦横無尽に走る道路や歩道や土手。
ここをコース・つながりは固定せず、春夏秋冬・朝昼晩、晴れ/曇り/雨/雪/嵐、
とにかく歩き回って景色の変化や自然界に何が起きているかを見て記憶にとどめながら、
撮って撮って撮りまくる。
ちなみに人の目で見るだけではダメだ。
また、スマホやカメラの液晶でもダメ。
周囲の情報から隔絶され、自分が見た世界を強く意識できるファインダーで見る。
ここが重要である(視界を絞りより深く深く見る必要がある)。
これを地道に丹念に繰り返していくと見えてくるものが沢山ある。
まるっきり関係がないように見えることでも、
理由があって密接につながっているのがわかり
なぜそうなっているかが見えてくる。

不整脈とも同じように付き合えばよい。
春夏秋冬・朝昼晩。
発作が出た時、出る前、出た後。
いつ・どこで・何をしていたとき。
その時の肉体の状態、精神の状態。
心電図(5分心電図だと自律神経状態を解析してくれるものもある)、血圧計。
発作の持続時間、活発度。
気温、気圧。
薬効くのか効かないのか、どの薬が効くような気がするか。

あらゆることに耳をすまし、目を凝らせば(もちろん記録も)、
あるいは一人ひとり特有の何らかの繋がりとかパターンとか、
解決とまでは行かなくても、軽減する方法とかが見えてくるかも。
努力をしてもしてもどうにもならなければまな板の上の鯉になる(手術台に上がる)。
その決心がつけば、それはそれで良きである。

不整脈との戦いにあたっては
感度を上げ、知識を上げ、分析力を上げ、想像力を上げ、
五現(原)主義に基づいて行動することをお勧めする。(現場・現物・現実・原理・原則)
総合的な人間力が上げれば持ち主に意地悪をする心臓も白旗をあげるかも知れない。


超えられる身の程と超えられない身の程

2024-06-16 20:48:33 | 人間学


自分の撮った写真を売ろう。
撮り貯めた数々の作品をフォトストック(写真販売サイト)に登録し始めた。
ブログにしてもYouTubeにしても時間を使う割にお小遣いにもならない。
どうせ時間を使うのであれば一文にもならないことに時間を浪費するより、
少しでも収入につながるかもね的なことに時間を使おう。
まあ、そういうことである。
しかし売れないのはわかっている。
理由は簡単だ。
すでに1億点近い作品が登録されており、クリエーターの数も40万人超え。
ガチガチのレッドオーシャンであり、ぽっと出の後発組が入り込める隙間はほとんどない。
検索に引っかかるのも一苦労であろう。

だが、売れない原因はそれだけではない。 
そもそも人様に評価されるような身の程ではない。
それが売れない最大の要因である。


人様に評価されない身の程とは?

 ★人様に評価されるのが大嫌い
   他人に評価されるなんてまっぴらごめんだ。
   おまんまを食うために欠かすことのできない会社で評価されるだけでお腹いっぱい。
   他人に評価されるのが心底嫌な男が人様に評価されて作品を買ってもらえる道理がない。

 ★流行りを追うことは断固拒否
   流行りのヒト・モノ・コトには全く興味がない。
   流行りに乗らなければ人様が欲しがる作品を出せるはずもない。

 ★一生懸命とか必死とか努力するなんて考えられない
   何の努力もせずに中の上辺りにいれたらいいなぁ~というクズ。
   努力しても成功するとは限らないが成功した者は皆すべからく努力している。
   努力が嫌なヤツが成功するはずがない。

 ★権威に媚びるなんて死んでもイヤ
   この世でのし上がるには「寄らば権威の影」が手っ取り早い。
   親の七光り・虎の威を借る狐の言葉通りで
   実力があるヤツだと錯覚させる着ぐるみを着れば無能がバレることはない。
   被写体の威を借りれば写真が下手くそでも評価される。
   権威の威を借りれば実力如何にかかわらず評価される可能性が高くなるのは事実。
   ヒト・モノ・コトを利用しないヤツの作品が売れることはないだろう。

 ★性根が腐りきっている
   いじわる・あまのじゃく・口も性格も悪い・狡賢い。
   出世欲のあるヤツが狡賢いのは出世につながるが
   出世欲のない私のようなヤツが狡賢いのは救いようがない。
   性根がねじ曲がっている者の撮るものが人の心を打つことは、まあないだろう。

 ★出不精でめんどくさがり屋
   いい写真が撮れるかどうかは、まず下手な鉄砲の数を撃たねば話にならない。
   出不精でめんどくさがり屋はそれだけで機会を失っている。
   マメに通うものが売れるとは限らないがマメに通わないものが売れることはない。

 ★持病持ち
   腎臓保護の薬で頻尿・多尿のためトイレがない場所では活動ができない。
   身体的制限・ハンデのある者は相当の覚悟がないと健常人と同じ過程を踏むことは難しい。
   いける場所、やれること、これに縛りがある時点で健常人相手は相当厳しいだろう。

人は経験を積むと価値観が変わることがあり己の身の程が改善されたり改悪されることがある。
だが自分の本質の部分はどんな経験をしようが変えられない変わらない。
どんなに意欲を持とうが身の程にも超えられるものと超えられないものがあるのだ。

さて、そんな超えられない身の程で写真が売れない哀れな身ではあるが、
実は狙いも大博打である。
即ち、
 ★需要はあるがリッチなジャンルの熾烈な競争の世界で勝負するか?。
 ★需要ゼロかもしれないがニーズがあれば確率大のニッチなジャンルで勝負するか?。

需要はないかもしれないが競争も少ないニッチなジャンルで勝負することにした。

まあ、あまり下調べをすると絶望感しか残らないかもしれないので、
私が思ったジャンルがニッチなのかは知らんけど。

知らぬが仏という言葉もある。
期待せず、粛々と売れないであろう作品の数を増やしていきますか🤣


ボッチは強いのか?弱いのか?

2024-06-04 05:48:24 | 人間学


モンキチョウ


ボッチ。
ここでいうボッチとは?。
コミケ力はあるが好き好んで独りになりたがるヤツ。
コミケ力はあるが集団の中に居ると疲れるので結果的に独りになるヤツ。
また、日常のほとんどのことは自己完結できる能力のあるヤツのことを指す。
無能者や変質者のように周囲から拒絶されるヤツらや、
親のすねをかじって引きこもって一人という輩はボッチではないので注意されたし。

あと、ここはビョウキブログデスカ?。
という疑問が湧くかもしれないが、
病いという足かせが外れると病のことをぼやく必要がなくなり、
病以外のことが考えられるようになるので自由闊達になれる。
そのように解釈していただければ幸いである。


ボッチは強い。
災害に遭って周りに誰もいないとき、無人島に一人でほっぽり出されたとき、
生き残れるのはスマホという外部記憶装置ではない、
己の脳みそに豊富な知識と経験を蓄えたボッチである。

ボッチは弱い。
社会生活を集団で過ごさなければならなくなったとき。
皮をかぶり続けるのに疲れるのでやがて自分勝手に動き出し、
いずれは集団から脱落してボッチに戻る。
もし集団生活から逃げることができなくなったらボッチは実質的に死んだも同じだ。
集団の和をかき乱すやっかみ者か孤立して後ろ指をさされる爪弾き者となる。

呂布は一騎当千と言われたが、たとえ烏合の衆であっても1万人いたら呂布でも勝てない。
数は力、人の和は足し算、人の縁は掛け算である。


最近、ボッチ好きのワタクシに会いたいと
遠方からわざわざ会津に来てくださった方がいる。
この方、腰が低く自身は低能であると事あるごとに言ってくるのだが、
こういう方は要注意である。

今回の来訪は、とあるイベントの下見も兼ねていたのだが、
イベント時の宿泊先に挨拶がてらお土産を渡し、
条件が合わず宿泊予定をキャンセルした宿泊先にもお土産と謝罪の挨拶をし
今宵の宿泊先にもお土産を持参し、お世話になりますと渡す。
私も過大なほどのお土産をいただいた。

イベントで夜間複数人で撮影をやることになるわけだが、
イベント会場近くの道路わきの待避所や、国立公園の展望所などの使用許可を取るのである。
あ~いうのって使用許可とれるんだ
(もちろん誰もいない夜だから約束事を守れば使ってもいいよ的な意味である)。
さらにドローンを飛ばせるか否か?、飛行許可の必要性有無の確認まで、
ありとあらゆることをテキパキとこなしていく。
聞けば市町村や県や国の機関に電話しまくって管轄権者を探し交渉するのだそう。

自分は何でも自己完結させようとするボッチである。
この方は人の和と人の縁を巧みに使う集団型の人であると推測されるが、
行動力・実行力の差でボッチ力でも大きく負けている。
自分ボッチは人の和、人の縁をほとんど使えないので人間力では大差がつく。

身の程という言葉がある。
あまりいい意味で使われない言葉だが、実は大切な言葉だ。
これは己の価値感やこだわり、好き嫌い、持って生まれた行動力(行動範囲)、
体力や持久力、持病による制限、財力、
仕事や家族によって自由に使える時間の多い少ないなどを足し合わせたものが、
己の身の程となる。

人の和を図り、
人の縁を構築し、
それを巧みに使いこなす方にボッチオンリーの人間は勝てない。

世の中に自分よりすごい人間は五万といるが、まあこういう理屈故である。

ボッチは強いのか?弱いのか?
食うに困らない能力や自主自立性を持ち、
己の狭い世界に閉じこもっても一人で生きていけるボッチであれば強い。
周囲からの影響を受けず独自路線を歩めるからね。
ただ、行き過ぎると深い闇に堕ちて、
自死を図ったり、無敵の人になって他人様に迷惑をかける恐れが大きくなる。

あまり個に深く沈みすぎず、適度に集団と付き合いながら生きるのが吉である。


命の儚さを知ると自然が好きになる

2024-05-28 09:00:16 | 人間学

そして人間が大嫌いになります。

もちろん大半の人は普通、
いい人も大勢いるけど、
あまりにもクソな人間が多すぎて帳消し。



命に係わるかどうか別にして、

 病気の世界にもマウントってあるんですかね
 カメラの世界では金額や性能でマウントとる人いますけど
 軽い病気だと、その程度の病気で騒ぐな・・・みたいな

痛みや苦しみで死というものを意識すると、
健康のありがたみや普通に生きれることがとても貴重なのだと感じれるようになる。

孫娘が生まれて本当の愛情というものを知ったということもありますが、
最近は特に小さな世界の命の儚さが愛おしく思えるようになりました。

1cmに満たない生き物にも命があり、
人間よりはるかに生きることに真剣です。
(適当に生きてたら死んじゃうからね)

写真のクモは、どちらもハエトリグモという種で、
目がとてもよく、頭がよく動くので仕草がとてもかわいい。

しかし、一瞬の油断が命取り。
自然は多くの命を育みますが、同時に命に対してとても厳しい。

健康のために歩き回り、自然をくまなく見て回ると
自然の儚さがわかって自然に優しくなれます。

好き勝手わがまま放題に生きてエネルギーの無駄遣いをし、
そのしっぺ返しで災害で家を失ったり命を失ったり。
それでも自分には関係ねぇ~と、どんどん我儘ぶりが増長しまくり。

もう少し地球に対して謙虚に生きませんか?。
言ってもわからんか・・・。
せめて病に苦しんだ人には、そこに気づいてほしいけどねぇ~。


人が人を必要としない世界をせっせと作る いよいよ滅びへのカウントダウンが始まった

2024-05-16 08:24:05 | 人間学


【カタバミ】葉がレッドタイプ
ただの雑草/そこら中に普通に見られる/ヤマトシジミ(蝶)の幼虫の食草/
花は小さいが可憐で綺麗/種は手りゅう弾のように弾け飛ぶ/

カタバミは葉が青いタイプと赤いタイプがあるのは知っていたが、
花に微妙な違いがあるところまでは見てなかった。
葉が赤いタイプは花弁内側に鮮やかなレッドリングがある。
生物の進化とは実に不思議なものだ。
赤と青に分かれた理由はなんだろう?。
自然は実に奥深い。



昨今、AI(人工知能)が目覚ましい発展を遂げている。
ここで主導権を握れば莫大な富が得られる。
例によって欲の亡者(=人間)は恐ろしい勢いで開発を進めている。
AIが人を滅ぼすか否か?。
滅びるをどう定義するかによって見方は変わるだろう。

例えば、人が生きているか死んでいるかの定義。
筆者は人間らしい活動ができなくなった時点で人の死と定義している。
人間らしい活動とは?。
自分の意志で何かを成せること。
それができなくなる、あるいは大きな制限によって多大な労力を必要とする時点で、
人の死と考える。(つまり、自分はそのような状況下で生きるのはまっぴらごめんということ)



カメラで話を進めよう。
現時点の最新の高性能機は、
 被写体の高精度な自動認識機能
 高精度なAF機能
 高精度な被写体の追尾能力
 プリキャプチャ機能(シャッターを押す前から記録を開始している)
 著しい連写・記録機能
それを可能とする処理能力を有している。

SNSを見ればわかるが、かつてはプロ、あるいはハイアマチュアの領域だった
カワセミの飛び込みなども、高性能機さえ持っていれば
にわか野鳥カメラマンでさえ撮れるようになった。(必ず撮れるとは言ってないよ)

ここで問題です。
 人がシャッターを押す前から裏では記録されている。
 人が到底制御できないスピードで連写し記録している。
 ピントを合わせるモノ、ピントを合わせる位置を人が制御していない。
この状態を人が撮っていると定義できるか?

カワセミの飛び込みをこのような高性能機で撮る場合、
人が介在している撮影プロセスは何か?と考えると、
 その場にいた。
 必要な設定をカメラに施した。
 カワセミを追ってカメラを向けた。
 シャッターは押した。
せいぜいこのくらいである。

人間が写真を撮っているか否かを筆者基準でいえば、
「まあギリギリ人が撮っていると言えなくもない」である。
撮るプロセス、どう撮られたかを写真の価値とみなす筆者にとって、
こういう撮り方をされたものは、もはや写真として見る価値はない。
ちなみに商売としてなら話は別だ。
これはあくまで撮ることが趣味でぇ~すと言ってる輩が、
自分が撮ってるか否かを主張していいか悪いかの話です。

ここで一気に話を進めよう。
生成AIが著しく進化した未来。
人間がせっせとSNSなどに投稿した画像やEXIF情報、日時や位置情報から、
パソコンの前で撮影位置・方角・時間帯・気象条件などを指定してやれば、
生成AIは、まるで人が撮ったかのような素晴らしい画像を生成するだろう。

その頃の人間は多くのことを自動実行されるタスクとしてAIに実行させているだろう。
その頃にSNSが存在意義を持ち続けているか、甚だ疑問ではあるが、
AIは承認欲求を満たし続けたい依頼主の要求に応え、せっせと画像投稿をし続ける。
あるいは画像だけでなく、依頼主の特徴をLLM(大規模言語学習モデル)によって掴んだAIは
まるで、その人間が書いたかのようなキャプションやコメントを書き続けるに違いない。
もちろん返信も!である。
そして、それはその人間がある日突然死んだとしても続けられることになる。
(銀行口座、アカウント、本人が死んでも存在し続けている現在を見れば改善される見込み薄だ)
これは実に恐ろしい話だ。
これが100人1000人なら、まだいいが、
実在する人間の数を大きく侵食することになったら?。

私たちは人が発信していない画像や情報に日々晒され続けることになる。
で、睡眠欲と食欲以外のタスクをAIに任せて暇を持てました人間は何するか?
まあ、自堕落した生活を送るんでしょうねぇ。

ちなみに、国・企業などが、この手の問題の解決策を打ち出すのでは?とお考え?。
まあ、メタの詐欺広告に対する対応を見ればわかるだろう?
金になるのであれば何でもやるのが企業である。

だって~、自らの存在価値をなくす方向に人類自らせっせと舵を切っているんだもの。
バカとしか言いようがないよねぇ。

ちなみに筆者はAIが人類にもたらす恩恵も重々理解している。
だが、私、あるいはあなた個人に存在価値がある未来かというと、
まあ、ゴミ・クズ・カスみたいなもんだろうね、個人としての人の価値なんて。

ただ、自分が死んでも自分に成り済ましたAIが
せっせと自分らしい発信を続けてくれるんだから、
承認欲求厨にとっては自分が存在しなくても本望と言える未来なのかもしれない。

ちなみに、今現在も人の欲が絡んでいる情報は一切信じていない。
(動画やキャプション付きの画像も含めて)

なるほど、だから人を遠ざけ自然と向き合うことに走るのか俺は。


病気になったからこそ見える世界がある

2024-05-10 07:24:31 | 人間学


【カタバミ】ただの雑草/そこら中に普通に見られる/ヤマトシジミ(蝶)の幼虫の食草/
花は小さいが可憐で綺麗/種は手りゅう弾のように弾け飛ぶ/

Nikon Z 7ⅱ+TTArtisan 100m T/S 2×Macro


死ぬまで人工透析にならないように塩分制限や適度な運動(減量)が必要になった我が人生。
病気にならなければ自宅周辺に限らず、あちこち歩き回ることはなかっただろう。
(退職してジジイになったら暇を持て余して歩いたかもしれないが)
自宅に閉じこもって1日中パソコンの前に座ってポテチをほおばりながらペプシゼロを飲む。
出かけるときは車でピュ~~ッ。
世界のほとんどが見えず、何も知らない人間で終わったであろう。
(ちなみに自転車でもダメ、歩くのに比べて圧倒的に触れる情報量は少なくなる)

ただし、距離を稼ぐために歩くことがメインになると視界は大幅に狭まる。
道端の草、雑草の花など、あらゆるものをじっくり見ながら歩こう。

病気にならなかったら決して見ることのなかった世界が見えるだろう。
自然をじっくり見て歩くのも悪くはない。


追伸
ただし、病気にならずに酒池肉林で人生を終えられた方が個人的には良かったがね(-_-)


自分を大きく見せるための写真らしきものが蔓延ってる件について

2024-04-30 09:43:46 | 人間学

病気ブログなのに病気の話がない?。
痛ぇ~ 肩が痛ぇ~よ~。
五十肩も立派な病気です(マジで寝れね~し)。


【まずはじめに】
どこのどなたが何を写真と呼ぼうが、写真をどう利用しようが個人の好き好きである。
ただ、もしあなたが物事の本質を理解できる人だったら?。
私が言いたいことはわかるハズである。


桜の季節になると桜の名所は人の群れに埋もれ、
桜を見に来てるのか?人混みに揉まれに来てるのかわからなくなる。
さらに世は似たような桜の画像で溢れ、うんざりさせられる。

ある食べ物がバズると、そのお店には人が溢れ、世は同じような食べ物の写真で埋まる。

毎日名所を巡り、
毎日名物を漁り、
毎日SNSに投稿し、
毎日かなりの時間を他人へのいいねに費やし、
お互い様のフォロワーの数や、
お互い様のいいねを増やすことに必死になる。

欲に群がる醜い人間。

痛い! 痛すぎる!。
病気だ。(病気ブログに登録しなさい)



さて、まあほとんどの人間が侵されてるSNS病。
なんでこんなことになってるのかというと、
人は認めてもらうことに飢えてるんだなこれが。
よく考えてみて欲しい。
家を建てるために銀行にお金を借りる時、銀行があなたにお金を貸してくれるのは?。
少なくともあなたが納税の義務を果たし、
社会的信用のおける企業かなんかに属しているからである。
その手の後ろ盾のないプータローだったら絶対にお金は借りられない。
同様に住民登録をして住所が定まってないと、
これまた普通に受けられる権利を甘受することもできない。

ただの一般人が他人に認めてもらえる(ような錯覚を得られる)。
昔は納税の義務を果たし立派に会社勤め(つまり社会的信用というバックがあった)
をしていたとしても、不特定多数の他人に対しては認められるなんて機会すらなかった。

しかし、SNSは実現しちゃったんだなぁ~。
どんな馬鹿でもアホウでも、とりあえず日本語の上っ面が読めて(真意が読めないアホが多いが)
キーボードなりスマホの液晶で日本語らしきものをポチポチできれば、
社会的信用がないオポンツク野郎だとして一丁前の口が利けるようになった。
カメラや撮影の専門知識がなくても、馬鹿でもチョンでもボタン一押しで
それなりの写真(あるいは動画)も撮れるようになった。

で、ボタン一つでSNSに上げられ、どこの馬の骨とわからないやつでも
人から認められる(ような錯覚を得られる)ようになった。
で、カマッテチャンや認めてチャンがワラワラ湧いて出たのが現代なのである。

にしてもだ、少なくとも家族や自分の会社(これは生きるためのお給金に直結するからね)
に認められていればそれで十分だと思うんだか、

上っ面だけでも認めてもらうことが現代人にはとても重要らしい。


しかも、
 名
 場所
 モノ
の威を借るナントカ

そういうバック(自分をアゲアゲしてくれるヒト・モノ・カネ・肩書など)
に頼らないと認めてもらえないので、まあ、必死!必死!。

最初はいい写真撮るなぁ~と思ってフォローした人も、
本性を垣間見ると、まあ、承認欲求中毒者ばかり。

真摯に撮影に向き合ってる人って絶滅したようです。
もっともSNSには出没していないだけなんだろうね、
SNSなんて得られるものは空虚しかないし。
(小銭稼ぎの手段にしているのはもっと醜い)




TTArtisan 100mm T/S ×2 Macro(Nikon Z 7Ⅱ)

さて、今回の写真は【春】である。
 ※この春の真の意味が分かるあなたは助平です

名もなく(あるかもしれんが調べるのがメンドクサイのでパス)
バックがあるわけでもなく
バズる要素もなく
ただただ平凡な被写体に対して
 極薄の被写界深度と
 絞りと
 露出と
 シャッタースピードと
 ピント位置の
せめぎあいの苦闘をしたただの記録である。
(それを春で表現しようとしたワタクシの深慮遠謀を理解してくれる人は素晴らしい人です)

虎の威を借るSNS民には理解できないであろうが、
名もなき映えないこの被写体の
この撮り応えはわかる人にしかわからない、
撮影の真髄がそこにある(なんつってね)。