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紫日記 祈祷

2006年03月15日 | 平安時代

第一部 第一章 寛弘五年(一〇〇八)秋の記
【一一 九月十一日の暁、加持祈祷の様子】

 十一日の明け方に、北側の御障子を二間取りはなって、中宮様は廂の間にお移りあそばす。御簾なども十分に掛けることができないので、御几帳を幾重にも重ね並べておいでになる。雅慶僧正や定澄僧都、法務僧都済信などが伺候して御加持申し上げる。院源僧都は、殿が昨日お書きあそばしたご安産の願文に対して、さらにたいそう尊い文言を書き加えて、読み上げ続けている文言が実に尊く聞こえ、頼もしそうなことはこの上ないうえに、殿が一緒になって、仏を念じ申し上げていらっしゃる様子が心強くて、いくら何でもとは思いながらも、ひどく悲しいので、居あわせた女房たちはみな涙をこらえることができず、

 「縁起でもありません、そうお泣きなさるな」

などと、お互いに言いながらも、涙を抑えることができないのであった。

 人が大勢混んでいては、ますます中宮様の御気分も苦しくいらっしゃるだろうということで、殿は女房たちを南面や東面にお出ださせになって、しかるべき女房だけが、中宮様のいらっしゃる二間の側に伺候する。殿の北の方【道長家の奥様。倫子】と讃岐の宰相の君【藤原道綱の娘豊子】、内蔵の命婦【道長家の女房。教通の乳母】は、御几帳の内側におり、さらに仁和寺の僧都の君と三井寺の内供の君も中に呼び入れた。殿が万事につけ指図なさる大きなお声に、僧侶たちの読経の声も圧倒されて聞こえないくらいである。

 もう一間に控えていた女房たちは、大納言の君、小少将の君、宮の内侍中宮付きの【上臈の女房。橘良芸子】、弁の内侍【帝付きの女房で中宮付きの女房を兼務】、中務の君【中宮付きの女房。源隆子】、大輔の命婦【中宮付きの女房。大江景理妻】、大式部のおもと、この人は殿の宣旨【道長付きの上臈の女房】ですよ。たいそう長年中宮様にお仕えしてきた女房たちばかりが、心配で心配でたまらないでいる様子などは、まことにもっともであるが、中宮様にまだお馴染み申し上げて日も浅いけれど、又となく大変なことだと、わが心の中にはっきりと思われた。

 また一方で、わたしたちのいる後ろの境目に立ててある几帳の外側には、中宮様の妹君たちの乳母の尚侍研子様付きの中務の乳母、姫君威子様付きの少納言の乳母、幼い姫君嬉子様付きの小式部の乳母【藤原道長の受領家司である藤原泰通の妻】などが入り込んで来て、二つの御帳台の後ろの狭い通路は、人も通ることがでない。行き来したり身動きする女房たちは、顏なども見分けられれない。

 ┣ 道長44━┳ 頼通28━┳ 師実━━ 師通━━ 忠実━┳ 忠通
 ┣ 道綱51 ┃      ┗ 寛子(後冷泉后)     ┗ 頼長

 ┃  ┣豊子 ┣ 教通14少将996-1075 和泉式部32娘・小式部13を妾とする)                            
 ┃     ┣ 彰子22               
 ┃     ┃  ┣敦成親王2(69代後朱雀)  ┳親仁親王1025-(70代後冷泉)
 ┃     ┃  ┣敦良親王1(68代後一条)  ┓┃ (紫式部娘・賢子が乳母)
 ┃     ┃ 一条帝31 66代        ┃┃
 ┃     ┃               ┃┃
 ┃ -1004  ┣ 妍子16(67代三条后)   ┓┃┃                       

 ┣ 綏子  ┣ 威子12(後一条后)     ┃┛┃                  
 ┃  ┃  ┗ 嬉子3(後朱雀后 後冷泉母) ┃ ┛産後死去                 
 ┃  ┃                  ┃
 ┃  ┗━━━━━━┓           ┃
 ┣ 超子-982(ゆきこ)┃          ┃           

     ┣居貞親王34 67代三条帝       ┛

 殿の御子息の頼通・教通たち、宰相中将藤原兼隆、四位少将源雅通などは言うまでもなく、左宰相中将源経房、中宮大夫藤原斉信などは、いつもはあまり親しくない方々までが、御几帳の上からともすれば顔を覗き込んだりして、わたしたちの泣き腫らした目を見られていたのも、すべての恥を忘れていた。頭の上には魔よけの散米を雪のやうに降りかかっており、涙でくしゃくしゃになっている衣装がどんなに見苦しかったことであろうと、後になって考えるとおかしかった。

道長家族の様子がよく伺えます。彰子の新旧の女房達や兄弟とそれぞれの乳母がおりますね。幼い姫君嬉子様(この時1歳です)付きの小式部の乳母・・とありますが、藤原泰通妻のことです

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