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藤原教通の妾は 和泉式部の娘小式部

2005年12月28日 | 平安時代

 藤原道長の五男 藤原教通は小式部内侍・和泉式部の娘を妾とし一子を生む。静円である。兄頼通より譲られ関白となるが、外戚ではなく天皇親政により 実権は弱かった。

 二条関白藤原教通の、白川へ花みになむ に対しての返歌

春のこぬところはなきを白川のわたりにのみや花はさくらむ

京都・白川へ桜の花を見に行こうっておっしゃるけど、ここにも綺麗な桜は咲いてるのよ・・・春の来ないところはないのに、白川のあたりにだけ花は咲くのでしょうか。私の家にだって花は咲いておりますのに・・・どうして、家を訪ねてくれないの・・・と拗ねてみせたものでる。ほんっとかわいいです^^

 

また、教通が何日も病臥していて、小康を得てのち、「どうして見舞に来てくれなかったのか」と言って来たのに対する返事。

死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしかいきてとふべき身にしあらねば

 あなたのご病気を聞いて私の方こそ死ぬばかりに嘆きに嘆いておりましたのよ。 とても生きてはいられず、あなたのお宅へお見舞に伺えるような我が身ではないことは、あなたもご存知でしょ・・・。

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