ここは京都蹴上にある義経地蔵。遮那王(義経)と金売吉次が、奥州へ下る途中の松坂(粟田口から山科へ抜ける日ノ岡峠の西の街道沿いは、松並木になっていたため松坂と呼ばれていたという)にさしかかった時、この坂を下りてきた平家の侍、関原与市重治はじめ一党九人がすれ違いざま、水たまりの泥水を蹴りあげ義経の衣装を汚してしまったという。怒った義経は金売吉次が止めるのも聞かず、九人を斬り殺しました。蹴上という地名は、この故事に由来するという伝承がある。日ノ岡峠の東の山科寄り、現在の左京区蹴上の一部は、もと九体町と呼ばれ、斬り殺された与市ら9人の菩提を弔うために村人が九体石仏を安置したのが町名の由来といわれている。
- 優香-Ichinose@神戸 1日前
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- 乙広モネ@中ノ島 2日前
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